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全てを押し付けられた悪役令嬢は逆行したのでこの国を救います!  作者: 折巻 絡


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 素早く3人で辺りを見渡すがそれらしき人はどこにも見当たらなかった。もしかしたら少し距離があるのかもしれない。声が聞こえたであろう方向を見ると、少し離れた場所の、建物の間にある細い路地が目に付いた。明るい大通りと対比するように暗いその場所はどこか冷たくざわついた不安を胸に広げた。

(っ、嫌な予感がする……!)

 気がついたら私は突き動かされるように駆け出していた。背後からルーカス殿下や魔術士の慌てるような制止の声が聞こえたが、聞こえないふりをして振り切る。止まってはいけない、行かなければいけない。そう思ったのだ。あの時の未来では、色々なことを見て見ぬふりしてきた。今回は私にできることは全部やりたい。

(早く、早く行かないと!)

 先ほど目に入った路地にそのままの勢いで駆け込む。建物と建物の間を細く縫うように作られた路地はほとんど光が届かないためか宵時の様に薄暗く、さっきまでの明るい世界に慣れた私はほとんど視界を奪われ足取りが重くなる。そして、ゆっくりと目が暗闇に慣れてくるに従って路地裏のその異様な全貌が見えてきた。

 美しく整った表通りとは対照的に所々に何かの空き容器や生ゴミなどが散乱している。奥に入り組んだ通路には大きな蜘蛛の巣。その下には陰に隠れる様に鼠や虫が蠢いており、何かが腐ったような、汚物のような嫌な臭いが酷く鼻についた。それはまるで『見たくないもの』を掻き集めて閉じ込めた様な場所だった。誰もが羨むような美しい街の裏側。人目に付かぬよう、最初からそんなものはなかったかのように隠された醜いものたちが、そこにあった。

(……ここに、こんな場所があるなんて)

 何も知らずに美しい表面だけを見て、愛でていたかった。でも、今回はそれでは駄目なのだ。私は腹をくくり暗い路地の奥へと足を進めた。入り組んだ路地は人が通ることもあるのかちょっとした獣道のように歩けるようになっていた。そこを辿るように曲がりながら進むと少し開けた行き止まりに着く。奥の奥、その暗く、悍ましい掃き溜めのような路地の最奥。そこはどこを見てもすぐに目を背けたくなるような、そんな場所だった。だけど私はそこから目を逸らすことはできなかった。

 少し開けたその場所に1人の少年が倒れていたのだ。急いで少年に駆け寄り、仰向けに倒れているその体を確認する。何か硬いもので頭を殴打されたのだろうか、頭から顔まで血と泥に塗れており、その顔立ちはよく伺えない。頭だけでなく体も傷だらけで、片腕が変な方向に曲がってしまっている。折れているのだろう。思わずその痛みを想像していまい顔が歪む。体格からおそらく私やルーカス殿下とさほど歳は変わらない。そんな幼い少年が、こんな光の当たらない汚れた路地裏で酷い暴力を受けていたのだ。

(なんて、酷い……)

 付近の石畳に付いた血は乾きかけており、怪我をしてから幾らか時間が経っているように見える。おそらく倒れていた彼を偶然見つけた誰かが悲鳴を上げたのだろうが、路地を見回してもそれらしき人物は見当たらなかった。もしやこの惨状を見て逃げ出してしまったのだろうか。彼の胸は薄く上下しており、弱々しいがまだ息がある。しかし小さな呼吸すら苦しそうなその姿からこのままでは長くない、いつ事切れてもおかしくないと直感的にわかった。

(すぐに治療をしないと死んでしまうわ。でも……)

 悲鳴の人物が助けを呼びに行ったのなら良いのだが、そんな希望的観測に縋ることは避けたい。私が呼んでくるとしても今にも死にそうなこの少年をここに置いていくことは躊躇われた。……だが、私1人でどうにかできるものではない。だからといって――

「ベル!」

 どうしたものかぐるぐると逡巡していると背後の路地から足音と共に聞き慣れた声が私の名を呼ぶ。はっと振り返るとそこには息を切らしたルーカス殿下が立っていた。

「ルカ様!」

「どうしてこんなところに、……っ!?」

 早足で側に来た彼が私の前に倒れている少年の姿を見て目を見開き絶句した。――だが、いいところに来てくれた。私は急いで口を開く。

「急いで救助を呼んで! 酷い怪我をしてるの!」

「っ……わかった、すぐに戻るから待ってて」

 ルーカス殿下は一瞬躊躇った後、踵を返し路地から駆け出して行った。案外頭の切れる彼のことだ、適切な助けを呼んでくれるだろう。……だが、その助けがすぐに訪れる保証はない。治療を施せる人間は少ないのだ。それまでこの今にも失われそうな少年の命が持つだろうか。たった一刻だとしてもその猶予はあるのだろうか。このまま目の前で尽きかけている命を見ているだけでいられるだろうか。


(……よし、)

 大きく深呼吸をする。覚悟を決めた私は少年の横に屈み、その傷だらけの体にそっと手を置いた。意識を集中し、手にゆっくりと魔力を集める。これは治癒の魔術だ。魔力を傷に集めることで傷を塞いだり痛みを軽減したりできるものだ。『聖女』でない私にはあまり効果を発揮できない魔術。だが、やらないよりは良いと思った。

(お願い、上手くいって……!)

 少しだけでもいい。ほんの少しだけでも。その傷が塞がることを、元気に治ることをイメージして魔力を込めていく。

(……きつい、わね)

 実は私はこの魔術が苦手だ。理由はよくわからない。相性の問題だろうか。術式自体は理解しているので使えないこともないのだが、ただ、あの時の未来から何故かずっと肌に合わなかった。胃の奥から何かが迫り上がるような、酷く不快な感覚がするのだ。

(ぅう、気持ち悪い……)

 魔力を放出する度に徐々に胸が詰まったように息が苦しくなっていく。肺が膨らまず息が吸えなくなっていく。本来の適性とは異なる魔術の行使は体に大きな負荷が掛かる。そして今はいつもの魔石の髪飾りも着けていない。この少ない体内の魔力しか使えないのだ。急激な魔力の減少により視界が少しずつ狭くなっていく。

(……もう、無理、かも。でも、まだ)

 でも、どうにか助けが来るまで繋げればそれでいい。私は襲いくる吐き気に耐えながら気力だけで魔術を使い続けた。

「――ベル! 今助けが、っ!? 何してるの!?」

 数刻ほど経っただろうか。ルーカス殿下の声と共に複数の足音が路地裏に響いた。良かった、助けが来たのだ。ぼやけてほとんど見えない視界を倒れている少年に向けると、彼の胸はゆっくりと上下して息をしている。それは治癒魔術が効いたのか先程よりも穏やかだ。すぐに大人たちが少年の周りに集まり、様々な治療を施していく。どうにか間に合っただろうか――

「ルカ、さ、ま……」

「ベル!?」

 ルーカス殿下に向き合うため立ち上がった私の体がぐらりと傾く。だが今回は地面に倒れる前にルーカス殿下がその腕で抱き止めてくれた。そして、無理な魔術行使で力尽きた私はそのまま彼の胸に倒れ掛かるように意識を手放したのだった。



 暗闇の中で誰かが私の名を呼んでいる。その馴染みのある声に導かれるように意識が浮上するのはどこか懐かしい感覚だった。私はゆっくりと重い瞼を上げる。目に映ったのは、あのお披露目会の時と同じ王城の救護室だった。……視界の外れで緋色が揺れている。見ると今回はルーカス殿下が付き添ってくれていたようで、彼はどこか不自然なほど綺麗な笑顔で私を見下ろしていた。

「おはよう、ベル」

「ルカ様……」

 少年への治療魔術に必死だったのであまり記憶はないが、どうやらあの時のようにまた倒れてしまったようだ。自分の姿を見ると、汚れた服は別のものに替えられており、髪や瞳の色は元に戻っている。変装魔術は既に解いてあるようだ。ルーカス殿下の護衛が私をここまで運んでくれたことなど、今の状況を彼は簡単に説明してくれた。

「また魔力不足だってさ。でも空っぽじゃないから前より症状は軽いって。だから少し休めばすぐ治るよ。……はいどうぞ」

 彼はカップに紅茶を注ぎ、上体を起こした私に手渡してくれた。ありがとうございますと伝えてそっとそれに口をつける。温かくて優しい味がしてほっとする。そんな私を見た彼は少しだけ目を細めて言葉を続ける。

「さっきの子はね、あの後病院に運ばれて、なんとか意識が戻ったそうだよ。……ベルが治癒魔術を使ってあげたおかげなのかな? 大丈夫そうだってさ」

「そう、よかった……!」

 良かった。あの私の治癒魔術が本当に役に立ったのかはわからないが、生きていてくれたことは本当に良かった。あとは何事もなく元気になってくれることを願うばかりだ。

「うん、そうだね。それはよかったね……でもね、ベル」

「? はい」

 一拍置いて口を開いたルーカス殿下はいつもより少し声が低く、落ち着いたようなその声質にはどこか圧があった。思わず姿勢を正す。

「なんでそんな無茶をしたの?」

「……」

 はっと見上げた彼の笑顔には少し憂いがあった。

「勝手に路地裏に走って行っちゃってさ。あんなところに入って怪我でもしたり、事故に巻き込まれたりしたらって思わなかったの?」

 何か返答をと思うもうまく言葉にできない。何も言えないままでいる私の目をじっと見たまま彼は言葉を続ける。

「それに治癒魔術、苦手なんでしょ? なのに無理して使って、また魔力をたくさん使って、それで倒れて。……俺ね、すっごく心配したんだよ?」

 部屋に沈黙が落ちる。彼の言葉はもっともだ。私は申し訳ないと思っていることを伝える。彼は笑顔ではあるが内心怒っているのだろうか、金色の瞳がいつもより暗く揺れていた。

「……だけど、私は誰かが苦しんでいるのに、助けられるかもしれないのに、それを見ているだけなんて、そんなこと到底できませんわ」

 だが、あの時の私はそうしたかったのだ。これは本心からの言葉だった。貸せる手があったのに貸すこともなく、ただ見ているだけだったあの未来へ後悔。何かができたはずだった、何かしていれば何かが変わったはずだったというそれはずっと私の心に突き刺さっている。

「うん、そうだね。それはきっとベルの良いところだと俺も思うよ。でも俺たちはまだ子供なんだよ」

 ぽつりと零された彼の言葉が2人きりの空間に重く響いた。私は思わず目を見開く。まだほんの小さな子供だということを忘れてしまっていた。19歳の記憶があるからといってなんでもできると思い上がっていた。周りから見たらただの子供に過ぎないのに。愕然としている私の前で彼は言葉を続ける。

「それに貴族なんだから。もし何かあったら、色々なところに迷惑がかかる。……今日、もしかしたらあの魔術士さんが罪に問われることだってあり得たんだから」

「あ……」

 その通りだ。ああ、なんてことだろう。そんなこと、その時に考えもつかなかった。いつも優しく魔術を教えてくれるあの人を私の勝手な行動で危険に晒してしまったなんて。最悪の想像をしてしまい胸がぎゅっと苦しくなった。

「……申し訳ございませんでした。私、もっと、周りを見ないといけませんでしたわ」

「うん。これから気をつければいいよ」

 私の言葉を聞いた彼は先ほどまでのどこか憂いのある笑顔ではなくいつものように優しく微笑んで諭してくれた。その優しさに不意に涙が出そうになってしまった。

「ルカ様、ありがとうございます。私1人だったらどうなっていたかわかりませんでした。ルカ様がいてくれて本当に良かったと思いましたわ」

 今回、彼がいなかったらあの少年は助けられていなかった可能性が高い。それだけでなく私はあの場で1人倒れていただろう。その後どうなったかなんてわからない。私の感謝の言葉に彼は穏やかな表情を浮かべる。そして、しばらく当たり障りのない会話を続けていたところ、彼は何かを思いついたかのようにやけにゆっくりと口を開いた。

「そうだ、ねぇ、ベル。これからはもう無茶なことはしちゃダメだからね? あ、保証できないって顔してる。じゃあ、それならそうだね――」

 そして、なんてこともないかのように、そんなことは当たり前のことのように、ただそう思いましたと言わんばかりに当然のように続けた。

「――どこかに閉じ込めちゃおうかな?」

 心臓を素手で握られたかのような感覚に息が止まる。彼は穏やかに笑っているがその瞳が、いつもは澄み切っている金色が、今は見たことないほど暗く泥々に濁っている。私は目を逸らしたいのに澱んだそれから目が離せなかった。

「王城――いや、誰も知らないところに閉まっておこうか。そうすれば、もう、無茶なんて1つもできないんだから」

「――!」

 彼はどこかウキウキしているように気軽にそう続ける。その様子は今までの、普段通りの彼と何ひとつ変わらないように見えた。しかし、今の彼は怖い――体中の細胞がそう感じている。生まれて初めて感じる類の恐怖だ。逃げなければと思うものの体は凍りついたように強張り動けず、何か言葉を口にしなければと思うもののはくはくと口を開いては閉じることしかできなかった。

「……」

「……」

「……」

「……ふ」

「っふ、あはは! 冗談。これは冗談、だよ?」

「……え?」

 固まってしまった私を見つめていた彼は「だから安心してね」と言って心底愉快だといわんばかりに笑い出した。表情は曇りのないいつもの笑顔だった。冗談……冗談、ということは揶揄われたということだ。

「なっ、そ、そうですわよね!? 驚かせないでくださいっ!」

「あはは、ごめんごめん〜!」

 揶揄われただけとわかり思わず安堵から強張っていた力が抜けてしまい大きな溜め息を吐いた。そしてほっとしたら徐々に腹が立ってきたので手元にあった枕を乱暴に掴んで彼に投げる。だが、けらけら笑っている顔にぶつかる直前で惜しくも受け止められてしまった。

「うわっ、あはは」

「もう! 本当かと思いましたもの! 次にやったら絶対に許しませんわ!」

「わかったわかった、もうしないよー」

(良かった。いつも通りのルカ様だわ)

 普段と変わらない彼に私は酷く安堵した。

「でも本当に無理はしないでね。心配なんだから」

「……そうよね。以降、気をつけますわ」

 私たちの行動1つで人生が大きく変わってしまう人もいるのだ。今日、私はそれを改めて理解した。これからは自分の身の振り方により気を配ろうと心に決めたのだった。それから私たちはいつもと同じように他愛もない会話をし、ある程度魔力が回復した私は彼が手配してくれた馬車に乗り我が家に帰った。


(……さっきの言葉って本当に冗談だったのかしら)


――


「俺、聖女様に助けてもらったんだぜ!」

「すげー!」

「聖女様って実在するんだな」


 死の淵から回復した少年が民の間で自らを救った聖女の噂を広め始めていたことなど、この時の私には知る由もなかった。



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