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――


 ――熱い。苦しい。痛い。


「……もうだめかぁ」


 どれだけ逃げても執念深くそれは追ってきて、振り切ることなどできない。きっと私を殺すまで地の果てまでも追ってくるだろうことを悟り全てを諦めた。これも沢山の人を不幸にしてしまった報いだというのなら納得だ。引きずりながらもどうにか動かしていた足を止めた途端に体を包む炎に身をすくめる。熱い、熱い、熱い――でもなぜだか氷のように冷たくもあって、憎しみの炎はこんなにも酷く苦しいものなのかと漠然と思う。


(あの人だったらどうしていたんだろう)

 黒くよどんだ炎に巻かれながら、私はとある人を思い出していた。

 その人はどんな逆境の中でもくじけず前を向いていた。不運という不運が重なってどう考えても絶望でしかない状況でもどうにかしようと力を尽くして、決して逃げ出さなかった。そんな彼女の最期は誰の目に見ても悲惨な形だったらしいけれど、それでも、果たすべきことも愛した人も何もかも全部捨てて逃げ出してしまった私にとってその生きざまはとてもとても眩しくて、私に与えられた力も役割も、ふさわしいのは彼女のほうだったのではないだろうかと思うほどだ。

(私もそんな風になれたら良かったなんて、今更思っても遅いかな)

 喉の奥まで焼けてしまった体ではもう声一つ出すことはできない。逃げて逃げて、そして逃げ続けた先に残ったのは結局、愛する人たちを破滅させてしまった後悔しかない人生だった。そしてそれもここでもうすぐ終わる。


 でも、もしやり直せるのなら。

(あ、そっか――きっと私はこの時のために生まれてきた)


 私は持てる力を、聖女として(・・・・・)の最後の力を振り絞り、絵空事のような奇跡を願った。

(叶うならば、全てが始まる前に。そうしたら、もう一度――)


 そして私の体は燃やし尽くされ灰となり消えた。


――


「私欲のために我が国を崩壊させようとするとは、なんたる悪逆! ベルティール・ド・ヴァロトア! 貴様を国賊として今ここで処刑する!」

 国王が高らかに宣言すると、広場に集った民衆が沸き立った。彼らは私の処刑を心待ちにしているのだ。

「異論はあるか」

「……ありません」

 静かな問いかけに対する私の言葉に国王は深く頷く。そして彼の合図によって壇上では私の処刑の準備が始まる。


 ボタンの掛け違いのような些細なことでも、二度と掛け直すことができないのならばその影響は計り知れない。それが一国を巻き込むような巨大な歪みになってしまえばなおさらだ。


 ここは古くからの魔術と文化を誇りとする我が国の最大都市である王都だ。かつては隅々まで丁寧に手入れされた煉瓦造りの街並みが放射状に広がり、その美しさから国中の憧れを集める都市だった。その中央に聳え立つ王城の門前は緑あふれる広大な広場で、普段は民の憩いの場となっていた。しかし、今や戦争とそれに伴う暴動の煽りを受け、街並みは傷付き、街道は土や瓦礫が散乱している。美しかった広場も土埃で汚れ、浮浪者が彷徨いている状態で、いつどこでまた暴動が起きるかわからず民は常に不安を抱えて生きている。

 しかし、今日この時ははまるで様子が違った。普段は寂れている広場だが、そこには数千――広場の外まで含めれば万は下らないであろう数の民が集まっている。そして、彼らの誰もがこれから行われる催し(・・)を一目見届けようとしていた。その目は広場の中央に造られた壇上に立つ国王たち、そして手枷を嵌められ左右から兵士に拘束された私に向けられている。私の、かつては女神とも讃えられた美貌は今や見る影もない。顔は疲労でやつれ深い隈を作り、絹糸のように長く美しかった髪は手入れされず所々絡まりぼろぼろに千切れている。ひと月以上も牢に入れられ罪人として酷い扱いを受けていたその姿に輝きは欠片も無かった。浮浪者だと言われても違和感はないだろう。私と距離を置き対峙している国王も、かつてのように威厳ある姿ではあるが、この数年でその目は深く窪み、髪の色は抜け落ちてしまった。国内外の対応で酷く疲弊しているのだろう。


 国王の命に従い側近が次々と私の罪状を民に聞かせるよう読み上げていく。私の犯した罪、その一つ一つを知るたびに民の怒りが高まっていくのが手に取るようにわかった。そして、それら全てが読み終わると、最後にゆっくりと国王が私を見た。その目は、ほんの一瞬だが、どこか哀れみを抱いているように思えた。


「実のお父上を、侯爵様を暗殺しただなんて……ああ、恐ろしいわ」

「しかも国境の魔物を操り隣国を侵略しようともしたらしいぞ! アイツが戦争を起こしたんだ!」

「あんな毒婦、処刑で当然だろ。ざまあみろ! 早くやっちまえ! 親父たちの仇だ!」

 群衆の様々な罵声が壇上まで届く。ああ、私はそんな悪行をしたことにされていた(・・・・・)のか。そう思い、ぎゅっと目を瞑る。しかしここで否定をすることはできない。私は身代わりだ――それも、『全て』の。


 初めはほんの小さな、例えば、湖に一欠片の小石が落ちるような些細な出来事があっただけだ。しかし、少しの思い違いや関係の歪みは積み重なり、斜面を転がる雪玉が積雪を纏い飛躍的に大きくなるように、それはやがては国を揺るがすほどの巨大な『悪』になってしまったのだ。国中を巻き込んだ惨劇でどれだけの数の人々が失墜し、そして命を散らしただろうか。沢山の物が失われ、人々に広まったその絶望は大きかった。なんとか持ち堪えた王国は復興のためにそれらの悲劇の皺寄せを受けるものを求めた。全てはその『悪役』のせいでこうなったと。自分たちは何も悪くなかったと皆で納得するために。身代わり、生贄。そういった役割を担う者が必要で、そしてそれに選ばれた――選ばれてしまった(・・・・・・・・)のが私だったのだ。気が付いた時にはそうなっており、もう逃れることなどできなかった。後ろ盾などは全て無くなっていた。もとより国のために生きる覚悟は決めていたがまさかこのような形で国のために死ぬことになろうとは。

(本当に運の無い人生だったわね)


 国王の側をちらりと盗み見る。偉大な彼のその後ろには側近以外にも数人が並んでいて、その中には第一王子――かつて私の婚約者であった――もいる。穏やかで、聡明で、優しかった彼は人が変わったような鋭い表情で、底の見えないような、光の無い暗い憎悪の瞳で私を見据えている。いっそ自らの手で私を殺したいとでも思っているのだろう。彼は王太子という身分以外、大切な物をほとんど全て失ったと言っても過言ではないのだ。そして、その全ては私の所為だと思っている。

(結局、私にはあなたの心を埋めることはできなかったのね)

 過ぎたことを悔やんでも仕方がないが、それを悲しいと思うことは許されるだろう。王妃となるため、彼の力になるために血の滲むような努力をしたことは忘れない。もしも歯車が狂わなければ、と何度思ったことか。


「おいさっさと歩け!」

 私を拘束する兵士が立ち尽くす私の腕を急かすように強く引く。

「……手を離しなさい。この私に触れるなど、下賤のものに許されるとでも?」

 両手に枷をかけられた私を断頭台に連れゆこうとする兵士の手を振り払う。そして高飛車な悪女に見えるように精一杯の表情を作り、民衆たちの目にも入るように大きく嘲笑してみせる。

「アイツ、罪人の分際でなんて女だ!」

「あの態度、今後に及んで反省も無しかっ!」

「おい! 早く首を落とせ!」

 広場に集う群衆からの非難の声が響く中、堂々と自らの足で断頭台に向かってゆっくりと進む。そう、これでいい。もうどうしようもないのだ。今から私は処刑される。それはもう変わらない。――ならばせめて、求められた『悪役』としての役割を果たして消えよう。それがこの国のためだというのなら。でも、


(叶うならば、全てが始まる前に。そうしたら、もう一度――)


 断頭台で人生最期の祈りを神に捧げ、そして、刑が執行される。大観衆の声が響く中、私の意識は途絶えた。


 ……はずだったのだが。


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