表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/3

<8>烏天狗(からすてんぐ)

 芸者のお駒と兵馬がお芳の置き屋で湯豆腐を食らいながら話をしている。

「ふぅ~! 寒くっていけねぇ~や。この分じゃ、明け方は雪なんじゃねぇ~か?」

「風が雪を呼んでますから、たぶん、…でしょうね…」

 お駒がそう言いながら銚子の酒を兵馬に勧める。

「おっ! …どうも、今夜は酔えねぇ~やっ! 降らねぇ~うちに帰るとするか…」

 堅苦しい武家言葉が性に合わず、お芳の芸者置屋が鬱憤を晴らせる唯一の場所になっていた。

「積もるといけませんから、お泊りになった方が…」

 お芳が熱燗を手盆に乗せて現れ、話に加わる。

「そうさなあ…」

 お芳の置屋からは町籠がすぐに呼べたから、何かにつけ兵馬は重宝し、奉行所出仕に利用していた。

烏天狗(からすてんぐ)の一件、兵馬さま、お聞きになってらっしゃいます?」

 手盆の調子を置きながら、お芳がそれとなく兵馬に(たず)ねる。

「ああ、その話は聞き及んでおる。おるにはおるが…」

「と、申されますと?」

 (いぶか)しげな目つきでお駒が銚子を手にし、酒を(すす)める。

「いやなに…お上も、その手の話は調べがのう。…何分(なにぶん)にも(とどけ)が出ておらぬのだ」

 被害の訴えが出なければ、奉行所に動く手筋はない。(から)になった猪口(ちょこ)を手にし、お駒の(しゃく)を兵馬が受ける。貧乏人の家前に小判の雨を降らせる烏天狗は、(ちまた)で、もっぱらの評判となっていた。

「雀長屋にも二日前、降ったようでございますよ…」

 お芳が空になった銚子を手盆に乗せ、去り(ぎわ)に小声で話す。

「ああ、喜助から二日前に聞いたところだ」

「盗賊でもない烏天狗って、いったい何者なんでございましょうね?」

「だな…。まあ、お前も一杯、飲め」

 兵馬が空の猪口をお駒に差し出す。

「…」

 お駒は無言でその猪口を受け取り、兵馬が手にした銚子の酌を素直に受ける。

「与蔵と又次が『ここ当分は、おまんまが食える』と申しておったそうだ…」

「喜助さんがそう言ってたんですか?」

「ああ…」

 その次の日の朝、申し訳ない程度の名残雪(なごりゆき)が地面を(おお)っていた。それは(あたか)霜降(そうこう)のようであった。

 烏天狗の正体は何者? 金の出どころは何処(どこ)? という謎が謎を呼ぶ一件は、ひょんなことから、その真実が明らかになった。

 ほろ酔いの兵馬が屋敷に向かい魚川端を(そぞ)ろ歩いていた。と、そのときである。

『フフフ…久しいのう、そこのお武家』

 どこからともなく響くような声がした。

「なにやつ!!」

 兵馬は一瞬、正気に戻って身構え、刀の(つか)に手をかけようとした。

(わし)じゃよ、お武家…』

 川面に突然、烏天狗の姿が浮かび上がった。

「出たな、(もの)()っ!!」

『物の怪とは、聞き捨てならぬが、まあ、よかろう…。ほぉ~れ、いつぞやも出会(でお)うたであろうが…』

 そう言うと、烏天狗の姿は、たちまち編み笠を被った辻占いの易者の姿へと変化(へんげ)した。

「おお! あのときの…」

『そうじゃ、天界にて姉上に追放された荒くれの須佐之男(すさのお)よっ!!』

「ま、まだ、この江戸におられたのですか…」

 豪気(ごうき)な兵馬の声が(にわ)かに震え出し、小さくなった。

『少し用ができた(ゆえ)通りがかれば、この世間の(ざま)よ。悪き奴輩(やつばら)闊歩(かっぽ)し、温々(ぬくぬく)と泡銭(あぶくぜに)を手にしておる。見かねた故、スゥっ~と頂戴し、スゥっ~っと貧しき者どもへ分け与えたまでのこと。フォッフオッフオッ…』

「そうでございましたか…。そうした悪き者どもは奉行所でも捕らえられませぬ。ありがとうございました」

 兵馬が深くお辞儀をし、川面を見上げると、易者の姿はふたたび烏天狗の姿へと変化した。そして、何処(いずこ)ともなくスゥっ~と消え失せたのである。

 その後、貧乏長屋に小判が降ることはなくなった。兵馬はそのことを自分の胸だけに(とど)めおこうと今日も漫ろ歩いている。


             完

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ