年越し長屋
しばらく書いてないので、リハビリがてら挑戦してみました。
急いで書いたので、推敲とかしてない……
えー、さて……。
年越しの風物詩と言えば【年越しそば】や【年越し詣で】、更には【除夜の鐘】なんてものがございますが――。
最近じゃ『深夜に鐘の音なんて、うるさくて敵わねぇ』なんてお人もいたりして、除夜の鐘を取りやめるお寺さんも多いとか。
耳を澄ませて除夜の鐘を聞くのが楽しみだったあたしらの子供の時分を考えれば『時代は流れているんだな』と、しみじみ感じるもんでございます。
今時の防音効果の高い家でも『うるさい』なんてお人がいるんですから、昔の壁の薄い――そう、お江戸の頃の長屋でしたらさぞや除夜の鐘が喧しかったろうと思いますが、それでも苦情なんぞは無かったようで。
どうなんでしょうね、昔の人は今の人よりうるさくなかったんですかね――音だけに。
とまぁ、そんな話は置いておきまして。
これからご披露するお話は、そんなお江戸の頃にあった長屋での年越しのお話でございます。
…………
その昔、とある長屋に大工の【牛松】ってぇ男がおりまして――
この牛松ってのが大の酒好きだったんですが、新年の頭っから何を考えたのか『いつまでも独りもんなのはきっと酒を飲み過ぎるせいだ……そうだ、酒を断ってみよう』なんてことを思いつき、丸々一年禁酒をしておりました。
ところがこの牛松という男、禁酒をしたはいいものの酒を飲めぬとなるとすぐにイライラしてしまい、もう落ち着かないわ怒りっぽくなるわとなかなかの厄介者。
大酒を飲んだ時も大声を出して迷惑でしたがそれでも飲んでいる時だけだったので、むしろ四六時中機嫌の悪い今の方がたちが悪いと近所の住人にはそれは不評でありました。
それでもまぁ牛松の住まいは両隣に迷惑の掛からぬよう、大家さんの計らいで長屋の端でありましたから被害を受けるのはお隣さん一部屋のみ。
とはいえ、迷惑なものは迷惑。
唯一お隣に住む浪人さん――名前を【根住 前乃進】というお年を召した浪人さんなのですが――。
「ええいくそ! お湯が熱いじゃねえか!」とか――
「何が大晦日だ!」とか――
「あぁー、酒が飲みてぇ!」とか――
ちびちびと酒をやりながら静かに年越しをしようとしていたのを、機嫌の悪そうな牛松の大声が薄い壁の向こう側から聞こえるもので、さすがに落ち着かないったらありゃしない。
うるさいからと薄い壁をドンドンと叩いても、あちらは聞こえているのかいないのか一向に静かになる気配もない。
いっそ乗り込んで黙らせようかとも思ったが、根住浪人もまた無骨者。
機嫌の悪い牛松のところに乗り込んでしまえば年越しのこの時に喧嘩になるだろうし、そうなれば長屋の住民たちを巻き込んでせっかくの年越しを台無しにしかねない。
そんな訳で――。
さてこういう時にどうするかというと、だいたい長屋の住人が頼るのは大家さんと相場が決まっておりまして――。
大家さんの家に向かい、トントントンと扉を叩いて。
「大家どの――大家どのはおられるか」
「なんだいこの大晦日の夜に……って、根住さんかい。 どうしなすった、こんな夜中に」
「いや、どうしたもこうしたも――隣のほら、牛どのが喧しくて敵わんのだ。 せっかくの年越し、静かに除夜の鐘を聞きながらと思うたのだが、これでは牛どのの怒鳴り声しか聞こえん」
「そんなに酷いのかい?」
「酷いのなんのって、酒がまずくなるような愚痴だか腹立ちだか分からぬ大声を、もう百と八回は聞いている」
「いやそんな、除夜の鐘じゃないんだから百八回とか……」
「とにかく――なんとかなりませぬか」
「なんとかと言われてもねぇ」
「お願いできませぬか、私が行くと喧嘩になりかねませぬ。 ここは大家どのの人徳でなんとか、せめて大声だけでも抑えるよう言い聞かせてもらえませぬか」
などと頼まれた大家さんですが、『さあ年越しだ』という大晦日の深夜にそんな面倒事など引き受けたくはないというのが本音でございます。
が……それでもしつこく頼まれると人というものはつい魔が差すもので、『もういっそ、さっさと牛松への説教を済ませてしまったほうが早いのでは?』などと、うっかり考えてしまうものでして――。
「わかった、わかった。 それじゃあ、大家のあたしが説教してみますがね……牛松の奴が聞き入れなかったその時は根住さん、悪いが諦めて下さいよ」
「もちろんです、話してくれるだけでも有難い。 お願いしますぞ、大家どの」
と、うっかり大家さんが承知してしまうと根住浪人は『よし、言質は取った』と言わんばかりに、逃げるように自分の住まいへと戻っていきました。
さて、困ったのは大家さん。
「ふむ、引き受けたのはいいが牛松の奴にどう話せば良いか」
そこでちょいと思案して思いついたのが、牛松に少しだけ酒を飲ませて落ち着かせようという作戦。
牛松はそもそも禁酒のせいで機嫌が悪いのだし、大酒さえ飲ませなければ騒がしくもならない――ならば適量だけ飲ませ大人しくするよう言い含めてやれば良いと考え、ついでに自分も飲もうと五合ばかしの酒をぶら下げて牛松のところへと行きました。
「おーい牛松や、ちょっと入れてくれないかい」
「あいよ――なんだ大家さんか。 店賃なら綺麗に払っただろうがよ、なんの用だい」
「いやいや、店賃の話じゃないよ。 ありていに言うと、ちょいとお前さんの声がうるさいと御近所さんから苦情が入ってね」
「ちっ、根住のジジイか……」
そう言って隣との壁をじろりと睨む牛松に――。
「まぁまぁそう言わず、まずは一杯やらんか。 お前さんのその機嫌の悪さは、酒を断っているからだろう。 少しばかり酒を持ってきたから、ちょいと一緒にやろうじゃないか」
そう大家さんが勧めたが、飛びつくかと思っていた牛松が意外や意外……渋い顔をして、首を横に横に振り――。
「そりゃあ勘弁してくれ、俺は願掛けのつもりで酒を断ってきたんだ。 せっかくここまで飲まずに来たのに、今更飲むとかあり得ねえ」
などと言いだした。
せっかく少しだけ飲ませて大人しくさせようと目論んだのに、これでは困ると大家さん――。
「願掛けってえと、いったい何の? そもそもどうしてそんな願掛けなんぞ……?」
と、飲ませる取っ掛かりでも掴もうと聞いてみた。
「それはほらよ、俺ってば今年は年男だったじゃねえか」
「あぁ、確かお前さんは丑年生まれだったから、牛松ってえ名前を親に付けられたんだったっけなあ」
「そうよ――で、せっかくの年男なんだから何かやってみようと思ってよ……」
「それで禁酒をしたのかい?」
「そういうことよ」
「で? 願掛けってのは?」
「それはほら……俺ももういい歳だし、そろそろその……」
「そろそろ?」
「そろそろ、その……なんだ」
「なんだい、はっきり言いなさいよ」
すると牛松、もじもじしながら――。
「その……嫁でも……」
「なんだって?」
「だからさ……」
「ふむふむ」
「だ・か・ら、嫁が欲しいなって思ったんだよ!」
それを聞いた大家さん、思わずぷっと噴き出して――。
「なんだい牛松、お前さん嫁が欲しくて願掛けしてたのかい?」
「そうだよ!」
「なんだい、それならそれと言えばいいだろうに」
「大家さんに言ったからって、どうなるってんだい?」
「そこはほら、あたしがいい人を見繕って縁談をすすめてあげますよ。 なぁ牛松、お前さんは腕のいい大工だし、大酒を飲みさえしなけりゃ人も悪くない――だけど今の禁酒をして始終機嫌が悪いお前さんも、それはそれで良くない。 どうだい? 禁酒なんてのはもう止めて、ほどほどの酒飲みを目指すってのは? それなら、あたしも先方に縁談を持ち掛けやすいしね」
そう言われると牛松も『なるほど』と思わぬでもない。
うーむと腕組みをしながら思案していると――。
「何事もほとほどってのが一番なんだから、ほれ……ここにある酒をあたしと半分ずつ飲めば、ちょうどいい塩梅だろ? どうだい? それに年男の願掛けったって、もうじき年を越して寅年だ。 年男じゃなくなるんだから、もう飲んでもいいんじゃないかい?」
などと、大家さんが酒を見せ匂いを嗅がせて更なる誘惑をしてくる。
そうなると元々が酒好きなので『飲んでもいいかな?』などと、ちらりと思ってしまった牛松にはたまったもんじゃない。
ゴクリと喉を鳴らして目が酒に釘付けとなり――。
「なるほど、大家さんの言うことももっともだ!――ようし決めた! 禁酒なんてやめだやめ! 今夜からは大いに飲もうじゃねえか!」
「こらこら、大いに飲んじゃいかんだろう」
「そうだった! ほどほどだった!――いけねえ、いけねえ」
と、お互いに機嫌良さそうに、湯飲み茶わんで酒を飲み始めた。
これに安心したのが、お隣の根住浪人。
相変わらず壁一枚の向こう側から聞こえる声は大きいものの、不機嫌そうな声と機嫌の良さそうな声では、同じ大声でも大違い。
「ふむ、これで少しは年越しらしくなったか。 大家どのには感謝だな」
などと、ようやく安堵して酒をちびちびやり始めた。
――のですが。
そもそもが声の大きな牛松――その声はお隣の根住浪人だけでなく、実は長屋中にもしっかりと聞こえておりました。
さっきまで聞こえていた不機嫌そうな大声が上機嫌な声に変り、それに何やら大家さんの声まで交じってるとなれば、それは近所の人たちも何やら気になるというもの。
となれば、久しぶりに楽しそうな牛松の声と大家さんの声に釣られて、『何やら楽しそうだから、ちょいと自分も行ってみようか』なんてお調子者が出てくるもので――。
「牛松っつぁんいるかい? ずいぶん今夜は機嫌が良さそうじゃねえかい」
「うしー、大家さーん、酒持ってきたぜーい!」
などと案の定、浮かれたお調子者が次から次へと酒を持参で、牛松のところに遊びに来やがった。
これには大家さんも頭を抱えたが、もっと頭を抱えたのがそもそも静かに年越しを迎えたかった隣の根住浪人。
こいつは大家さんに任せたのは間違いだったと思ったが、もちろん後悔先に立たず。
どんどん賑やかになっていく隣の部屋に、酒をしこたま飲んだのかどんどん大きくなっていく牛松の声。
こりゃ堪らぬと思いつつも仕方ないと諦めて、年越しの宴会に参加しているのだと自分に言い聞かせながら、ため息をつきつつ酒をちびちびとやっつける。
「それにしても、隣はいつまで飲むつもりなのか。 まさかあやつら、このまま寅年を迎えるつもりなのか?」
などと根住浪人、独りで愚痴ってはみたものの……一向に騒ぎが終わる気配も無い。
そのうちに除夜の鐘の頃合いになったのだが、隣の騒ぎのせいでやっぱり鐘の音なんぞこれっぽっちも聞こえやしない。
せめて除夜の鐘でも聞きたいと思った根住浪人、隣の騒ぎから逃れるように外へ出て長屋から離れると、ようやく――。
ゴーン、ゴーン……と、鐘の音が聞こえてきた。
長屋の外は、しんと静まり返りいかにも年越しという雰囲気である。
「うむ、年越しとはこうでなくてはな」
ちと寒いが、これはこれで風情があるなと根住浪人。
百八つの鐘の音を全て聞き終えて、いかにも満足そうに『うんうん』と頷いた。
「さて、これで丑年が寅年となったか……」
厳かな鐘の音で新年を迎え、まずまずの気分で帰路に就く。
チラチラと雪が降り始めたので、慌てて足を速めて長屋へと向かった根住浪人だったのですが――。
なにやら、わいわいがやがやと長屋がさっきよりも騒がしい。
その中で、ひと際大きく聞こえる声は、やっぱり牛松の声でありまして――。
「まったく、みんな牛どのにどれだけ酒を飲ませたのだ」
何年も隣に住んでいた根住浪人だから分かる、これは牛松が大酒を飲んだ時の声に間違いはない。
うむ、なるほど。
と手を叩き、そして根住浪人こう思った。
みんながあんまり酒を飲ませるから――。
どうやら長屋でも、牛がトラになったらしい。
お粗末様でございましたm(_ _)m