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生きる。  作者: 要
武士の子に生まれて
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武士の子に生まれて(2)

 障子から差し込む陽光。

 庭で囀る小鳥の声。

 少し遠くで聞こえる、威勢の良い道交う人々の声。

 目を覚ました僕は、布団の上で足を投げ出して座り、幸福の意味を考えていた。

 今日も配達で忙しいのだろう。

 確か若旦那と一緒に、浅草の蕎麦屋や寿司屋を回るって言っていたな。

「さあ、頑張ろう。」

 頑張ろう?

 自分の行った言葉に、思わず苦笑する。

 「頑張ろう」久しく言っていなかった言葉だ。

 ――どうでもいい。

 ――どうせ。

 ――意味が無い。

 僕の使う頻度の高い言葉、ベストスリーだ。

 そんな僕が「頑張ろう」だと?

 何を言っているんだ。

 頑張ることになんて、何の意味もない。

 ほら出た、「意味がない」。

 どうせ僕なんて何の価値もない人間なんだ。

 今度は「どうせ」が出てきた。

「正太ちゃん、起きてる?」

 遠慮がちに障子を開け、ふみちゃんが顔を出した。

「起きてるよ。ちょっと待ってて、今布団を片付けちゃうから。」

 ふみの顔から笑顔が溢れた。

「分かった。朝ごはんできてるからねっ。」

 そう言ったふみは、昨日と同様にトテトテと足音をさせながら去っていった。

「おう、正太。今日は早いじゃないか。」

 座敷に上がった僕に声をかけてきたのは、若旦那だ。

 若旦那の歳は20歳前後だろうか。それほど背は高くなく、肩幅の広い筋肉質な男で、首が短く、頭が肩にめり込んでしまいそうな体格が特徴的だ。

「今日は浅草に行くんでしょ?帰りに少し買い物できるかなぁ。」

 僕は若旦那には話しかけた。

「仕事の終わり時間次第だな。何か欲しいものでもあるのか?」

「そういう訳じゃないけど、せっかく遠くに行くんだしさ。」

 若旦那は、「自由にしろ」と僕に言うと、蔵の方へ向かって行った。

 配達の準備に行ったのだろう。

 僕も急いで食べて手伝おう。今の浅草はどんな所だろうか。今から少しだけ胸が踊った。


 浅草は現代と同様に浅草寺を中心とした街並みだった。

 雷門をくぐると左右に仲見世が立ち並び、客の呼び込みを行う店員の姿を見ることができる。

「雷門って、思ったより地道なんだな。」

 浅草寺の入り口に建てられた、大門の前で僕は呟いた。

「雷門?何言ってんだ、これは風雷神門って言うんだ。それにな、地道とは違う。こういうのを「粋」のある作りってんだ。」

 若旦那が僕の呟きに反応した。

「そんなことより早く行くぞ。仲見世を回るのは、配達の後だ。」

 そう言って、若旦那が荷台を引き始める。僕も急いで押す腕に力を込めた。

 仲見世を迂回して配達先である蕎麦屋に向かった。浅草に店を構えるだけあって、先日配達に行った清兵衛の店より、かなり大きかった。

「醤油と味噌を届けに来ました。」

 若旦那が厨房に向かって声をかける。

「あいよっ、いつもご苦労さん。」

 厨房から出てきた威勢のいい店主は、若旦那に勘定を払うと、忙しなく厨房に戻って行った。きっと今日も忙しくなるのであろう。

 寿司屋、煎餅屋、飯屋と回り、僕らが風雷神門に戻ってきた時には、太陽は真上に昇っていた。

 ちょうど昼飯時だ。

 額から流れる汗を袖で無造作に拭う僕に、荷台に座った若旦那が握り飯を差し出した。

「ありがとう。」

 僕はお礼を言ってから握り飯を受け取ると、若旦那の隣に腰掛け、口に頰張った。

 少し塩辛いご飯の中に、練った梅が入っていた。少し物足りない感じがしたが、こんなご時世である。贅沢は言ってられない。

「仲見世では、何を買うんだ?」

 急に若旦那が話しかけてきた。

「うーん、見てから決める。」

 若旦那にはそう言ったが、本当は何を買うかはもう決めていた。しかし、それを口に出すのは少し気恥しかった。

 何しろ、いつも世話になっているふみに何か買おうと思っているからだ。

 どういう心境の変化からなのか、突然そう思い立ったのだ。以前の僕なら、異性にプレゼントを買おうなどと思いもしなかっただろう。

「じゃあ、行ってくる。」

 若旦那にそう伝えると、僕は金子を持って走り出した。

 何故だが心が浮足立っていた。

 仲見世には、煎餅や麩菓子などの菓子類、雑貨、着物や半纏など、様々なものが売っていた。

 どの店も威勢の良い掛け声を発し、盛んに呼び込みをしている。繁盛店となれば行列ができていた。

 人混み溢れる仲見世の通りを抜け、僕は装飾屋の前で立ち止まった。

 店舗には鮮やかな色のかんざしや、櫛が所狭しと並べられていた。

「おう、坊主。買ってってくれるのか?」

 店主と思しき人が話しかけてきた。

 かんざしか・・・おしゃれなふみには丁度良いかもしれない。

「どれも高いな。ちよっとまけてくれよ。」

 かんざしの相場は分からないが、金子の中には百文ぐらいしか入っていない。

 しかも、これは正太が必死になってためた金だ。無駄遣いをしては申し訳ない。

「しょうがないな。こっちに並んでるかんざしなら五十文で良いぞ。」

 店主が指差したのは、店の端に並んでいるシンプルな作りのかんざしだった。

 今の流行りは分からないが、あまり派手なものよりもこちらの方がふみに似合う気がした。


 疲れているはずなのに、帰りの足取りはとても軽かった。

 かんざしを見せたら、ふみはどんな顔をするだろうか。驚くだろうか、それとも素直に喜んでくれるだろうか、まさか怒られるってことはないと思うが。

 ふみ表情を思い浮かべるだけで、顔がニヤけるのを止めることができなかった。

「さあ、ついたぞ。」

 若旦那が荷台を下ろしながら言った。

「おかえりなさい。」

 りつとふみ、そして旦那様が出迎えてくれた。

 かんざしは、いつ渡そうか。

 仕事中に渡すことはできないから、夜になるかな。それまでは部屋にでも置いておけば良いか。

「正太、ふみ、二人には夕方まで休みをやる。ちょっと息抜きしてこい。」

 渡す算段をしていた僕に向かって、唐突に若旦那が声をかけてきた。

 若旦那は声を上げて笑うと、僕の肩を叩いて、店に戻って行った。

 いつの間に僕の意図を察したのだろうか?きっと、人の上に立つ人間は、色々と周りを見ているという事なのだろう。

 ふみは訳がわからず、キョトンとしていたが、すぐに満面の笑顔になると、僕の手を取り走り出した。

 ふみの行き先は分かっていた。

 暇をもらうと、ふみは近くの河原に向かうのだ。きっと今の季節は春の花でいっぱいなのだろう。

 店の前の道を真っ直ぐ進み、清兵衛の蕎麦屋を過ぎると、すぐに小川に突き当たる。

 予想通り、河原は花でいっぱいだった。

 白い花、黄色い花。

 僕に草花の知識が無いのが少し残念であるが、楽しそうに遊んでいるふみを見ると、そんな事はどうでも良く思えた。

「はい、正太ちゃんに髪飾り。」

 ふみが差し出してきたのは、よく見る花の王冠だった。黄色と白の花が散りばめられ、とても上手に作られている。

 こんな時代から、花冠というものが存在していたのかと感心した。

「ふみちゃん、渡したいものがあるんだ。」

 僕は意を決して、ふみに話しかけた。

 小首を傾げてこちらを見るふみの仕草に、意図せず鼓動が早くなるのを感じた。

「これ。」

 僕は、紙に包まれたかんざしを、無造作に差し出した。

 「もっと気の利いた言葉を添えろよ」と思うが、今の僕にはこれが精一杯だった。

「何?」

 ふみは不思議そうな顔をして、紙包みを受け取り、ゆっくりと中身を確認する。

「これって・・・。」

 驚きと、戸惑いと、嬉しさと、その他色々な感情が入り混じった顔で、ふみは僕を見た。

「あ、あれだよ。ふみちゃんにはいつもお世話になってるから、お礼も兼ねて。」

 恥ずかしい。

 目が合わせられない。

「ありがとう。嬉しい。」

 そう言うと、ふみはかんざしを髪に挿し、微笑んだ。

 何故だか少し寂しげな笑顔が印象的だった。


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