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妄想の中の兵士

作者: 晴樹

「先生、私は大変なことに気付いてしまったのです」


男はいかにも深刻そうな面持ちで切り出した。ここに来るものは大抵そんな調子であるから、私ももう慣れたものだ。


「先生は、過去の記憶というものを疑問に思ったことはありませんか? 例えば、昨日の朝食に何を食べたかと訊かれれば、パンを食べたと答えます。しかし、それは私の頭の中にしかない事実なのです。同じように、私は何十年と生きてきたはずですが、それを証明するものは私の記憶しかない。経歴を証明する書類も、過去を記録した映像も、捏造されたものではないとなぜ言えるのでしょうか。それに気付いたとき、私は何者なのかという不安に襲われたのです」


典型的な症状だな、と私は思った。意味のない事だとは分かりつつ、男が偽物と断じる経歴について確認する。


「最近、ご両親を亡くされていますね。それがストレスになったのでしょう」


「先生は、私がそういうストレスによって精神を患ったとお思いかもしれません。しかし違うのです。私は何者なのか――これまでは学校を良くも悪くもない成績で卒業し、平々凡々な企業に就職した、なんの面白みのない男だと思っていました。けれども本当は、魔王討伐のために編成された部隊の中隊長だったのです。ああ、そういったフィクションに影響されたとお思いでしょう。私はこれまでそういったフィクションを読んだことはないのです」


これは重症だ。早く何とかしなければならない。


「記憶にないだけで、読んでいたかもしれません。読んでいないにしろ、周りにはそういった書物がごまんとありますからね。自然と頭の中に入ってきてもおかしくはない」

「先生も、私の妄想だとおっしゃるのですか」

「そうは言っていません。ちょっと興奮されているようだから、水でもお飲みなさい」


そう言ってコップを渡すと、男は礼を言いつつ飲み干した。それを確認してから、私は「それで、何のお話でしたか?」と言った。


「何って……だから、……何でしたっけ?」

「あなたは、最近ご両親を亡くされて、情緒が不安定なようだ。薬を出しておくからちゃんと飲みなさい」


男は釈然としない表情で帰っていった。


これで今日も魔界の平和は守れた。男は私のことを精神科医か何かと勘違いしていたようだが、私は一度も医者だと名乗っていないし、ここが病院だとも言っていない。ここは植え付けた記憶に生じる綻びを補修する施設――そういう意味で私は医者と強弁できるかも知れないが、本業は魔術技官だ。


事の発端は、人間たちが魔界に攻め入ってきたことに始まる。互いに不干渉を暗黙の了解としてきたが、困窮した人間たちは――いや人間の為政者たちは、魔族に憎悪を向けることで自国の混乱から目を逸らさせ、口減らしのために進軍してきた。しかもご丁寧に「自然死以外で死ぬ際には、その土地に呪いを残す」という、魔族もどん引く魔法を兵士全員に施してだ。まさに人間地雷である。捕虜になった時点で自死を選ぶ偏執さから、広域催眠によって一斉に無力化・記憶を改ざんすることによって対処したが、ときどきあの男のように本当の記憶が蘇りかけることが起こる。そういうときに対処するのがこの施設であり、我々魔術技官であるわけだ。


はたして、彼らにとって記憶が蘇らないことは幸せなのかは分からないが、今日もまた元兵士の妄想に付き合うのである。


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