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4.ミスは一つもなし

「――人形劇?」

「ああ。その透明な腕を活かせば、まるで人形が勝手に動いているように演出できる。子どもたちはきっと楽しんでくれるはずだ」

 セレネは首を傾げた。

 二人が相対するテーブルには王立初等学校からの手紙が広げてある。内容は、同盟国を無血で守ったユーグに特別講義をしてほしい、というものだ。

 王立初等学校は貴族家や商家の令息令嬢が、将来宮廷の要職や王国軍士官になるべく在籍するエリート養成学校だ。近年創立された教育機関で、満六歳から入学し、六年かけて歴史や帝王学を始めとする多くの学問を修める。

 貴族家出身の将校であるユーグは生徒たちにとって『理想的な将来の姿』だ。そこで特別講師の依頼が舞い込み、ユーグは快く請け負った。

 ユーグは講義に生徒たちの興味をそそる工夫をしたいらしい。そこで手伝いをセレネに頼んできたのだ、が。

「色々言いたいけれど、まず、幼稚なものをあそこの生徒は気に入るかしら。ませていると聞くけれど」

 ユーグは嬉しそうに指を立てた。よくぞ聞いてくれた、と言ったところか。

「考えてある。エリニア大公国の建国の経緯をやろうと思っているんだ」

「……なるほどね。では子ども向けの台本が書けたとして、わたしが劇を担当して無事で済むと思って?」

「もちろん正体は黙っておくよ。そうしたらまさか王女様だとは誰も思わないさ」

 セレネはボンネットの頭を振った。

「もっと根本的な問題よ。透明な人間がこの世に存在するって知られたらどんな騒ぎになるか分かって? しかも貴方はその人間とお友達なのよ」

 指摘するとユーグは顎に手をやる。

「じゃあこうしよう。広大なアトッサ帝国には驚異的な人間が多くいるという。飲まず食わずでも生きられるとか、骨がなくて蛇のように動けるとか。だからアトッサで修行した奇術師ということにしよう。神秘的だろう」

 馬鹿馬鹿しい。と、言えたらどんなに良かったことか。むしろ少々感動してしまったことがセレネは悔しい。

 王宮では、セレネは心を病んでおり、姿を見られることを嫌悪していると思われていた。だから秘密を隠すため、わざと皆が信じている通りに振る舞わなければいけないことがあった。客人が来ると部屋に閉じこもったり、行事の時に服を分厚く着込んだりするのだ。

 そういう生活を続けているうちに、わざとしていたことが普通になった。閉じこもったり厚着したりしなければ不安になるようになってしまったのだ。

 もちろん、天気の良い日は外に出かけたいし、肌が出る服を着たいと思う。けれど凝り固まった頭では、お忍びで出かけるなんて発想は浮かばなかった。もし透明な姿を見られたら別人のフリをする、なんて対処法も考えたことがない。

「…………」

 セレネは七分袖に包まれている長い手袋をつけた腕を組んだ。その様子にユーグが自信のない笑みを見せる。

「やってくれないか?」

「……まだ何も言っていないでしょう」

 小さな溜息がベールを僅かに揺らした。

「やるわ。子どもたちに自ら教育を施す機会なんて貴重だもの」

「本当か! セレネ、ありがとう。嫌がると思ってたから嬉しいよ」

 ユーグは身を乗り出して手を取ってまで喜んだ。よほど助けが必要だったのだろう。この助力を必ず成功させようとセレネは決心した。



 ユーグの計画によると、まず人形劇で親しみやすい雰囲気を作り、次に自分の体験談を語り、最後に質問を受け答えする時間を設けるらしい。

 分かりやすく、しかし要点を押さえた人形劇にしてほしい、という注文だ。

 セレネは早速、台本を書くためにまず歴史書を改めて読んだ。


 ――数十年前、このロティス王国に大公がいた。虚弱ゆえに王位を継げなかった、当時の王の兄だった。

 大公は自分に王位を継がせなかった前王の父や母、王宮の者たちを憎んでいた。弱い肉体に望みがない分、最高の権力に希望を見出していたのだが、それが与えられなかったからだ。

 やがて大公は野望を抱いた。王を超越する権力を手に入れて王位を奪うという野望だ。

 企みに気づいた者は次々に排除され、大公の王宮での力は坂道を転がる雪玉のように膨れ上がっていった。だが王とてそれに気づいていないわけではなかった。

 当時、大陸の西にある小さな海洋国が、港を欲する砂漠の帝国アトッサの侵略に怯えていた。帝国のさらなる強大化を看過できないロティス王国はその小さな国と同盟関係となり、ひとまずの庇護を与えることにした。その庇護者に選ばれたのは大公だった。

 大公は王国を追い出されることに反発し、とうとう王に刃向かおうとした。だが、刃が届く寸前で、体の弱さが仇となり謀反は失敗したという。

 かくして大公は同盟国へ向かい、後に一国の主となる念願を果たしたのだった。


 ユーグの生家、エイル公爵家は旧エリニア大公家の親戚だ。ユーグがエリニア大公国に派遣されたのはこの繋がりが理由だった。つまり、現在の王家とエリニア大公国、そしてエイル公爵家の関係は良好なのだ。それを生徒たちに教えたいのだろう。

 ということは、過去のいざこざも包み隠さず盛り込んだ方がいいだろう。セレネは頭の中で話の流れを組み立て、几帳面な字で手帳に書き出した。

 並行して人形を準備した。既にユーグが玩具屋に人形劇セットを作らせていたが、セレネの目には不備が見受けられた。登場人物の服装が時代に合っていないのだ。仕立て直す許可をユーグにもらうと、セレネ自ら衣装をデザインし直すため、王家の古い服を資料に取り寄せるところから始めた。

 さらにその傍ら、演技の練習も行った。ジャネットに協力してもらい、適当な小説を一緒に朗読したり、声の出し方を学んだりしながら、連日余念のない練習に励んだ。



「頑張りすぎじゃないか?」

 ある日、予行練習の様子を見に来たユーグの言葉だ。

 セレネは目を瞬いた。

「もう本番は一週間後なのよ? 今が頑張り時じゃない」

「そうじゃなくて、貴方はもうニ、三週間も頑張り続けてるじゃないか」

 心配顔をされても身に覚えがなかった。きょとんとしている様子がベール越しでも分かるのだろう、難しい顔で頭を抱えられる。

「自覚がないのが一番恐ろしいな」

「何ですって?」

「俺はてっきり、台本も人形のことも専門家に任せるのかと思ってたよ。それがまさか自分でやるなんて」

 セレネは頭を叩かれたようなショックを受けた。よもや品質に不満が出るなんて思いもしなかったからだ。

「では今からでもそうするわ」

「は?」

 次はユーグがぽかんと口を開けた。

 立ち上がって劇の道具一式を片付けようとしたが、不安と焦りで手元が滑る。ユーグがテーブルの向こうで立ち上がった。

「ちょっと待ってくれ。何でそうなる?」

「何でって、頼まれたからには適当で済ませたくないもの。あなたも適当な劇をされるのは嫌でしょう」

「俺のためだって言うのか?」

「だってあなたが手伝ってほしいと言ったのよ」

 セレネは分からず屋を睨みつけた。

 予行練習を見るため部屋には他にジャネットとマクシムもいたが、もはや二人がけソファで黙って顔を見合わせるしかできなかった。

 やがてユーグが言葉を選びながら口を開く。

「セレネ、完璧を目指してくれることはありがたいよ。でも、そんなものは幻だ。誰もがそうであるように、貴方もどうしたって完璧には成し遂げることなんて不可能なんだ。元からそんなものないからだよ」

 心を切り裂く刃のような言葉だった。

 震える唇を一度引き結び、冷酷な婚約者へ叩きつけるように返す。

「そうね。わたしは欠けているわ。これまでも、この先も。だから欠けている部分を他で補うのよ。そうしないと、わたしは何者でもないのよ!」

 片付けた道具を抱えて部屋を出ていこうとする。その肩にユーグが振り払えない力で手をかけた。

「卑屈になるのはやめろ!」

 間近からの声にビクリとして半分振り返る。自分の声量に気づいたのだろう、ユーグは声を低める。

「貴方は貴方だ。どんな者の目にも見える、ここにいる。……俺が伝えたいのはそれだけなんだ。辛いことを言わせて、すまなかった」

 肩から手が外される。

 セレネはしばらく身を震わせていたが、やがて足早に部屋を出た。


 自室の前まで戻ってきたセレネの両手は荷物で塞がっていた。立ち往生していると、追いかけてきたジャネットがドアを開けてくれた。

「ありがとう」

 部屋に入り、荷物を一緒に棚に戻す。

「ごめんなさい、ジャネット。こんなことになってしまって」

「お謝りになられることではありません」

「……そうよね」

 なおも何かを言いかけたが口を閉じる。ジャネットの苦い顔には気づかない。

 お茶を用意してもらいながら、物憂げにソファに腰を下ろした。頭の中には先程のやり取りが繰り返されている。

「陛下はどうしてわたしが王宮を去ることをお許しになったのかしら。わたしはどうしてここに来たのかしら」

 セレネは心細さを感じていた。いつも自分を気遣ってやまないジャネットが味方をしてくれないからだ。先程の言い合いでは、あの執事も割って入る気がない様子だった。まるでユーグがセレネに立ち向かうのは当然であるかのように。

 今もまた、ジャネットが当然のように問いかけてくる。

「お尋ねにならなかったのですか」

「わたしから? どうしてそんなことができるの? 父といえども陛下よ」

「でも、分からないことはお尋ねにならないといけません。後悔してしまわないように。誰もお怒りになったりはしませんもの」

 セレネはジャネットを困惑して見つめた。

「もう尋ねられるような段階ではないわ。既にここにいるのに、どうしてここにいるのだなんて尋ねるのはお笑いよ」

「今からお手紙を出せば、きっと今日中にお返事をくださいます。両陛下はセレネ様を愛をもって案じておられるはずですから」

「ジャネット、何か……知っているの?」

 若き優秀な侍女は小首を傾げた。

「何かとは?」

「……分からない。わたしはおかしくなったのかしら……今のは忘れてちょうだい」

「仰せのままに」

 セレネはボンネットを脱いで紅茶を待った。カーテンを締め切った薄暗い部屋で湯気が漂い始めた。

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