幕間の茶会 ①
「最初は策略でした」
ジャネットは話し始めた。
「きっかけは私がセレネ様のご様子を王妃様付きの筆頭侍女様にお話したことでした。ユーグ様にご興味がおありだったと、それだけのことですが」
「軽率な」
向かいの席で執事マクシムが切り捨てるように言った。主人と同じくらいの歳だが熟達した手付きで二人分の紅茶を淹れている。
ジャネットはムッとして反駁した。
「私だって考えなしではありません。もちろんセレネ様のお立場が念頭にありました」
呆れ顔をされたが構わず続ける。
「でもそれ以上に急がざるを得ない状況だったんです。セレネ様は結婚適齢期で、両陛下もご結婚をお望みだったからです。それに、王族が独身だと体面に関わります。なので、私たちは早急にセレネ様のお相手を選ぶ必要があったのです」
「他に候補は?」
マクシムが寄越した紅茶のカップに少し口をつける。
「おりませんでした。セレネ様は異性どころか客人には滅多にお会いしない方ですから、いっそうユーグ様の話が目立ったのでしょう。それに宰相閣下のご子息ですから釣り合いも悪くありません。相性には少々問題があるようですが……。これで私が話せることは以上です。さあ、ください」
ジャネットはテーブルの上の離れた所にある小皿を指した。それにはフィナンシェが盛られている。マクシムは考える素振りを見せた後、小皿を押して寄越した。
「ユーグ様をどう思う?」
長方形の角を味わいながら眉を寄せる。
「……まだよく分かりません。セレネ様を怒らせる人はたくさんいますが、あの方は中でも別格のようです。でもここだけの話、セレネ様の本音を引き出せる唯一の人でもあります」
「あの苛立ちと不機嫌が本音だと?」
ジャネットは赤い頭をゆるく横に振った。
「セレネ様は、ご自分がお嫌いなのです。そのせいで他人に刺々しい態度をお取りになってしまうことがあるのです」
「……面倒な女」
「今のは悪魔の声でしょうか? 聞かなかったことにします。次はマクシムさんの番ですよ、約束ですからね」
マクシムは左右に分けた焦げ茶色の髪の間で気難しく紅茶を飲んだ。
「貴女の話が『策略について』なら、私のは『策略が崩れた話』になるだろう。ユーグ様が策略をお忘れになったからだ」
「まさにそこが分からないところです。本来なら、ユーグ様は陛下のお頼みを聞き入れる形でセレネ様とご婚約なさるはずでした。でもセレネ様が王命を戴く直前になって、自ら結婚を申し込まれたのでしょう? なぜなのですか?」
「それは、ユーグ様が『一目惚れ』なさったからだ」
ジャネットの手が止まる。
「『一目惚れ』、そう言っていた」
「それは……その『一目』は、どこに……?」
「『顔だ』、と」
「顔」
しかつめらしい顔でマクシムは頷いた。
「我が主は肝が据わりすぎて大抵のことをあるがままに受け入れてしまうのだ。王女殿下は以前は姿があったそうだな。絵に描かれているとか」
「ああ、ユーグ様はあの絵をご覧になったのですね」
八年前、ギュスターヴ王子が生まれる前まで、王宮には三人家族の肖像画が飾られてあった。それには肌を持つ十歳のセレネの姿が描かれているのだ。
セレネを描いた絵がそれ以外にないため、両陛下はユーグにセレネを紹介する際、その絵を見せたのだろう。
そう考えて首をかしげる。
「ユーグ様は子どものセレネ様のお顔を見て一目惚れを……?」
「違う」
マクシムは自分のことのように顔を顰めた。
「王女の姿を絵で見せられた時は『何を馬鹿なことを』と思った、と仰っていた。噂も立たない王女だが、妙齢であることは誰でも知っていることだろう。だが、いざ会ってみて全てを理解した気がした、と。『見えないはずの美しい顔が一瞬だけ見えた気がした』らしい」
奇跡か幻覚か区別のつかない話だ。ジャネットは前者であることを願っている。
「本当にお姿が見えたのでしょうか」
「それはユーグ様しか知らないことだ。だが、顔に一目惚れをなさったのは残念ながら事実。我が主は軍で鍛えられた良い目を持っていらっしゃるが、見えないものに美を見出せるはずはないから、美人の基準は一般とは大幅に違うものをお持ちだと言えるだろう」
「言いません。王女様はそれはそれはお美しい方です。八歳の頃からお仕えしている私が保証します」
身を乗り出すと肩をすくめて返される。
「そうだとしても最近はどうだか分からない。人の美は人相にも依る」
「セレネ様をよく知らない者でも、気品のある立ち居振る舞いを見れば思いやりのある正しいお心が感じ取れるでしょう。きっと……きっと、お姿をお取り戻しになれば誰もがそのお美しさを理解できるはずです」
視線を手元へ漂わせたジャネットに、マクシムは小さく鼻を鳴らす。
「そんな日が来るか、疑問だ」
「……どうやら貴方はお二人のご婚約に否定的なようですね」
マクシムは当然とばかりに頷いた。
「ユーグ様は王女を突然押し付けられた。しかも王女は透明人間だという。ここに疑問を持たない者はいない。最大の疑問は、なぜ王女は透明人間になったかだ」
険しい表情で睨まれたが、ジャネットは悲しげに首を横に振った。
「そのことはセレネ様自身の話だと思っています。他の者が推測を交えて話していいことではないでしょう。ただ他人が言えることは……昔は姿がおありだった、ということだけなのです」
マクシムは追求しなかったが、納得のいかない顔で紅茶を飲み込んだ。