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8.まっとうな縁談

 謁見の間に緊張の糸が張り巡らされている。

 身動ぎすれば触れてしまい、振動が嫌な蜘蛛を呼ぶ。そう信じているかのように誰も微動だにしない。

 その糸の真っ只中で、王が鋭く言った。

「それはできませぬ」

 予想通りだったのか、客人に変化はなかった。もしくは褐色の肌を持つ異国人の表情を読み違えたのだろうか。

「理由は、既に王女には相手がいるから……でしょうか?」

 両陛下の僅かな動揺を客人の青い瞳は見逃さなかった。

「代理人が体調を崩しましたので、昨夜のパーティの様子は私自身で覗かせていただきました。昨夜の王女はお美しかったが、隙がないのが惜しかった」

「……入国のご連絡はいただいておりませぬが?」

「それは失礼しました。しかし、隠し事はお互いにあるようですね」

客人は王の御前で片膝を突いているが、内心の真逆の態度が見え透いていた。

「私の提案は必ず双方の変わらぬ平和のためになるでしょう。もし、厄介事を避けたいと願っておられるなら、の話ですが……」



 王宮の庭園には実が成る木もある。実が熟す頃を狙って小鳥やリスがやってくるのは微笑ましいが、カラスが集うのは嫌がられる。ふてぶてしい上にうるさいからだ。

 今朝も庭師たちが追い払いに成功したようだ。遠ざかりながら恨み言のようにカァカァ鳴いているのが聞こえてくる。懐かしい王宮の音だった。

 そこへ、予告通りドアがノックされる。

「どうぞ」

 セレネは見えない顔の表情を改め、ユーグを迎え入れた。

「おはよう、セレネ」

「おはよう、ユーグ」

 腕を伸ばすが、抱き合うのは気恥ずかしくてユーグの肘をそっとつかむ。セレネより腕が長いユーグは二の腕を抱いて頭同士を寄せた。

 ベール越しに頬が触れ合う。今はこれで精一杯だ。

「あぁ、まだ夢みたいだ。あのセレネと心が通じてるなんて。あのセレネと」

「……どのわたしなのかは言わなくて結構よ」

 ユーグは笑ってソファへ一緒に腰を下ろした。

「予定通り今日の昼、先に屋敷に帰ることにするよ。それまで一緒にいたくてさ」

「そのことね……ええ」

「ん?」

 セレネはためらいがちに言った。

「別に、一緒に帰ってもいいじゃない。昨日あれだけ派手なことをしたのだから、どうせ噂になっているわ」

 無関係を装いたかったはずなのに、あれでは仲の良さを見せつけたようなものだ。婚約のことは秘密にできても、恋仲だとは囁かれているだろう。もう事実なのだが。

 ……そもそも、なぜ婚約を秘密にするのだろう? 有用な人材であるユーグを守りたいなら、むしろ発表すべきではないだろうか。他国からすれば、エイル公爵家と縁続きになれば王宮に権力の一端を忍ばせられるのだ。発表はそういう目論見への威圧になるはずだ。

 ……そういえば、ユーグは独り身だと思われているはずだが、他の誰かに迫られてはいないのだろうか? 権力の拡大を望むのは国外勢力だけではないし、何よりユーグは美男子だ。

 すると、当の美男子が悩ましげに溜息をつく。

「俺と離れたくないんだって素直に言えばいいのに」

「そっ、そ、そんなこと……」

 おたおたして恥じらう姿を楽しまれているとは気づかない。

 ユーグに抱き寄せられ、支えを求めて胸へ手をつく。

「ないわけじゃないんだろう? 体は正直だぞ。こんなことしても全然逃げない」

「あっ……ユーグ……」

 ボンネットから出ている後頭部の髪を指で梳っているのだ。肩が震えてしまい、クスクスと耳元で吐息に笑われる。

「お気に召しましたか、セレネ様? ずっとこうしていましょうか」

 妙に艶やかな声が、蜜が絡まるように耳に残る。羞恥心で顔が火を吹きそうだ。

 その時、取次の間からの忙しないノックが二人の空気を切り裂いた。

「セレネ様、大変です!」

 ジャネットだ。声は低めているが火急の用であることは分かった。

 セレネはすぐに立ち上がってドアを開けた。ユーグもソファで姿勢を正す。

「どうしたの?」

「お客様なんですが、その……!」

「ユーグのことなら」

 言い訳ができる、と続けようとしたが、取次の間のドアが勝手に開かれたので咄嗟に口をつぐんだ。

 初めに目が留まったのは褐色の肌だった。編み紐で飾られた砂色の滑らかな髪と、立て襟で裾の長い民族衣装は砂漠の民のものだ。青年は長身だが、堂々たる態度が実際以上に目線を高く見せていた。

「おやめください! 淑女のお部屋に無断で入るなど……!」

 王宮の侍女たちが追いすがったが後ろ手でぶつけるようにドアを閉める。青年の青空色の瞳はセレネしか見ていなかった。

「お初にお目にかかる。私はアトッサのカジミールだ。王女たる貴女を我が妃にいただきたい」

 表情が僅かに歪み、視線がセレネの後方へ移動する。ユーグがそこに立ったのだろう。

 セレネがかろうじで毅然としていられたのはそのお陰だった。


 客人――アトッサ帝国の第三皇子カジミールは、出された紅茶にゆっくりと口をつけた。傍に護衛などはいない。

「本日はお一人でいらっしゃったのですか?」

 尋ねながら、ベールの中から下座のユーグへ視線を投げる。相手の腹を探るならここには適任がいる。僅かな顔の向きで理解したのだろう、ゆっくりの瞬きが返ってきた。

「ああ。実は昨夜からこの王宮に留まっている。パーティには代理人を寄越すつもりだったが、気が向いたので私が出た」

「それは……いらっしゃったとは気づかず、申し訳ございませんでした」

「名が代理人のままだったのだから仕方あるまい、気にせずともよい」

 平然と言ってのけたが、名義の詐称に他ならない。この調子では正式な入国手続を行ったかどうかも怪しい。

 ユーグが本題を切り出す。

「それで、カジミール様。先程、セレネ王女を妃に……と仰っておられましたが」

「貴様は誰だ?」

 敵愾心が火花のように見えた。

「カジミール様。こちらはわたしの友人であるエイル公爵のご子息です」

「ユーグ・リクトリアです。ツァイス子爵を名乗らせていただいています。どうぞお見知りおきを」

「友人」

 懐疑的に呟き、皇子は背もたれに身を預けて腕を組んだ。

「私は我々の結婚が双方の利になると考えている。エリニアをめぐる問題などは我々の最たる悩みだ。結婚は我が国とロティスを和解へ導き、ひいてはエリニアに安泰をもたらすだろう。つい先日までどこかの貴族がエリニアの守護者を気取っていたようだが、私に相談すれば事はもっと簡単だったはずだ」

「間抜けな奴がいたものですね」

 ユーグは調子を合わせて笑いを形作った。くだんの貴族が彼であると知られているのかどうかは判別がつかない。

「殿下のご提案は最もです。エリニアとアトッサの睨み合いを仲裁した我がロティスこそがアトッサの真の敵であるなら、結婚は確かに和解への一歩となるでしょう」

 まだるっこしい物言いがカジミールの指先を苛立たせている。

「ですが、我がロティスが抱えている問題は常に殿下の国が求めるものにあるのではないでしょうか?」

「……何だというのだ」

「大海へ続く港です。湖と運河だけでは世界を制覇するには物足りないでしょうから」

 チッ、と舌打ちが聞こえた。

 気のせいではない、目の前のカジミールが顔を歪めている。

「貴女のご友人は嫌味が得意なのだな、セレネ王女。こんな者を傍に置いているとは幻滅だ。王女セレネは賢明にして愚直と聞いていたのだが」

「それは……わたしの噂ですか?」

「この者の嫌味が貴女の言い分だというなら、子どもの我が儘と大差ないぞ」

 セレネからすればカジミールほど我が儘な者は初めてだ。

 アトッサ帝国は数世紀前から海に面した港を求めて武力に頼り続けてきたが、ようやく手法を変えたらしい。最も利便性の高いエリニア大公国の港を手に入れるには、同盟国であるロティス王国とまず縁続きになり、そこを切り口に自分らの要求を通せばよいと考えているのだろう。

 ただし、元々が短気な性格なのか、交渉において我慢強くはないらしい。

 気持ちを落ち着けるため、ひっそりと溜息をつく。

「では、さらに我が儘を申しましょう。カジミール殿下には既にお妃がいらっしゃいますね。確か……」

 カジミールは顎を上げた。

「四人」

 アトッサ帝国の皇帝とその一族は男女とも配偶者を複数人持つことが決まっている。

 これは大昔、砂漠の民族の出生率がとても低かったことに由来しており、当時は身分に関わらず一夫多妻、一妻多夫だったという。今では皇帝一族の権威を象徴する法だ。

 皇帝一族の配偶者には位がつけられ、第一位より下は男女ともに後宮に入る。位は婚姻の順番に関わらないが、第二位以下の配偶者は第一位より身分が低くなくてはならない、などの決まりがある。

「なら、わたしは決して正妃にはなれないのですね。寵愛を貰うため争わなければならないのは、このロティスで育ったわたしにはむごいことに思えます」

「ほう。色気のない格好をしていてもやはり女人なのだな」

 彼に最も似合うであろう、傲慢な笑みが浮かぶ。

「いいだろう。貴女を第二位の妃とすることをここで約束しよう。第一位は我が国の大貴族の娘だ。伴侶の位は常に我が国出身の者が優遇される。これは歴史ある慣習である」

「恐れ入ります」

「だが安心せよ。私は位にはこだわらない。もちろん、容姿の美醜にもな」

 言って、ベールに隠された頭部を指す。

「その覆いの下に何が隠されていようとも、他の妃と変わらぬ寵愛を授けることも約束しよう。砂漠の栄えある民の約束は絶対だ」

 カジミールは残りの紅茶を飲み干して立ち上がった。

「然るべき者と連絡を取らなければならないのですぐに返事を聞きたい。そうだな、賢明な王女には一時間もあれば十分であろう。その折に部外者は必要ない。これは我々の縁談だからな」

 形ばかりの礼をとると、長い裾を翻してドアへ向かう。

 二人も席を立って見送ろうとしたが、カジミールは構わず砂嵐のようにドアを鳴らして出ていった。

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