皇帝陛下の巡幸-9
ザクセン地方、驚愕の午後。
突如、空気が切り裂かれる音がする。
「グフォォオーーッ!!」
叫び声をあげたのは黒い鎧。
見ると、黒い巨体の全身から噴水のように血が噴き出していた。
同時に、巨馬の背中に乗るジグムンドが短弓を取り落とした。
否、短弓は彼の左腕ごと地面に転がった。
悲鳴をあげないジグムンドはたいしたものだが、倒れることなく立ったままの黒い鎧も並外れた胆力の持ち主だ。
深手を負った黒い巨馬は、男から注意を外し、風魔法の使い手ーー母親らしき女奴隷に向きなおる。
突如生まれた隙を男は逃さない。
「伏せろ!」
男はふたりの女奴隷に向かって叫び、Cレベルの火魔法【火槍連】を放つーー狙いを定めることなく、無制限に。
連続する火球の至近弾は、黒い鎧の巨体を吹き飛ばし、乗り手ともども岩場に叩きつける。
黒い巨馬が体勢を整えようともがくところに、男は火球をひたすら撃ち込む。
ついには、黒い鎧は首や脚をあらぬ方向に折り曲げた格好で絶命した。
戦いの趨勢が定まり、男は灰色の槍の背中から降りる。
ジグムンドの腕ごと短弓を拾い、辛うじて息のある彼に近づく。
「お前……なんぞに、敗れるとは……」
ジグムンドが混濁する視線を向けてくる。
死を目前にしながらも、憤怒だけでこの世にしがみついているようだ。
「答えろ。なぜ俺が精神術士だと気づいた?」
男は問い詰める。
ジグムンドが簡単には口を割らないと考え、精神魔法をかける準備をする。
だが、ジグムンドはすべてを告白しはじめた。
「ザムエル将軍は……死の間際まで……お前を、求めていた……」
「なにっ!?」
「将軍は……将軍の目には、私は映っていなかった……ひたすら、我が魔導士殿を、お前を、求めていた……そんなこと、ありえるはずがない!」
苛烈なる戦人ジグムンドが涙する。
その理由は、男に敗れた悔しさではなく、いまわの際のザムエル将軍に存在を忘れられた悲しみだった。
呪詛にも似た告白ののち、ジグムンドは咳き込みながら血を吐く。
もう、あまり長くは保たないようだ。
男は、ジグムンドを許すつもりはない。
彼がアウグスト皇帝のために多くの命を奪ったのを知っているからだ。
だが男は、ジグムンドがザムエル将軍ばかりか配下の兵らと強い関係で結ばれているのを知ってしまった。
(いいさ、教えてやろう。俺の行先も、お前と同じ地獄だ……)
男はCレベルの精神魔法ーー【忘却】を唱える。
ジグムンドの身体は大きく痙攣し、細く長い息が口から洩れる。
「ジグムンド殿、ジグムンド殿。しっかりしてください」
男は穏やかに声をかけ、ジグムンドの身体をゆっくりと起こしてやる。
「がはっ……ここはどこだ? 将軍は? ザムエル将軍はいずこにおられる?」
ジグムンドが絞り出すように声を出す。
その身体は自力では起き上がれないほど弱っている。
「ジグムンド殿、覚えていらっしゃらないのですか。? ザムエル将軍は無事に戦場を離脱されました。ただ、殿をつとめられたジグムンド殿は大ケガを負ってしまい、このようなことに」
「そうか。出血のせいで意識が混濁していたようだ。ザムエル将軍さえ無事なら、私はどうなっても構わない……ところで、貴公は?」
「私の名前はデュラン・ダン。ザムエル・ビド将軍にお仕えする魔道士です」
「デュランか。ザムエル将軍の無事を教えてくれてありがとう。すまないが、先に逝かせてもらうよ……次に、デュランに会うのは、天界だな」
「……はい、天界でお会いしましょう。私も遠からず後を追います」
ジグムンドの目が笑い、すぐさま光を失う。
デュランは穏やかな表情となった彼の身体を抱え上げ、黒い鎧の骸の横に並べる。ジグムンドが敬愛してやまないザムエル・ビド将軍の短弓と一緒に。