皇帝陛下の巡幸-5
戦争:ザクセン地方駐留軍の反乱
時期:帝国歴48年8月
場所:大陸中央部 ザクセン地方 枯れ川(旧ダネル川)沿いの礫砂漠
交戦勢力:帝国正規軍40,000 vs ザクセン地方駐留軍3,000
(策略により、帝国正規軍は6,000と34,000に分断)
指揮官:皇帝アウグスト・フォン・ガイデンブルグ vs ザムエル・ビド将軍
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ザクセン地方、死の大地。
三千の駐留軍が、四万の皇帝直属の精鋭兵を襲撃する。
「かかれぇええーーーッ!! 皇帝陛下を詐称する不遜な輩を討ち取れぇえーッ!!!」
「「「おおおぉぉおーーーッ!!!」」」
将軍の右腕ジグムンドの檄に、配下の兵らは地鳴りのような大音量で応える。
黒魔導士が放つ【火槍】が帝国兵をなぎ倒したあと、間髪入れず、重騎兵が密集隊形で突撃し、一気にアウグスト皇帝の御身に迫ろうとする。
事実、緒戦は重騎兵の数と練度に勝るザクセン駐留軍が優勢に展開した。
ザムエル・ビド旗下の兵たちは、砂礫を跳ねとばし、剣や槍をひらめかせ、盾すらも打撃武器のようにふりまわしながら前進する。主の興奮が伝わったのか、馬さえも敵の馬に噛みつき、敵歩兵を強烈な蹴りで仕留めた。
対して、皇帝陛下の部隊は、陣形を整える間もなく、じりじりと後退する。
名のある将校、無名の兵士、門閥や家柄など関係なく、灼熱の礫砂漠に命を散らしていった。
「アウグスト皇帝の御前ぞ! 怯むなっ! 押し返せぇーーッ!!」
「「「おおおおおぉぉおーーーーーッ!!!」」」
帝国の精鋭部隊は、潰走せずに、かろうじて踏み留まった。
なにしろ、皇帝陛下が微動だにせず戦況を見つめているのだ。
退却という選択肢はない。
恐慌状態を克服した帝国兵は、倒れた仲間を踏みつけながらも、アウグスト皇帝を護る盾として、ザクセン駐留軍の刃の前に立ち塞がる。
一方的な殺戮の時を凌いだのちは、徐々に巻き返しを図る。
力と力のぶつかり合いは、戦略も戦術もないーー完全な乱戦状態。
灼熱の大地は、照りつける太陽と同じ赤色にみるみる染まっていった。
◇◇◇
「ジグムンド殿、第一重騎兵隊、第二重騎兵隊の消耗が甚大です!」
重量感のある突貫を繰り返した前線部隊から伝令がくる。
ザムエル将軍は無事だが、最前線で死闘を繰り広げる兵の損耗が激しいという。
灰色のローブ姿の男も、次々と運ばれてくる負傷兵を白魔法で治癒するが、とても追いつかない。
「両隊を引かせて編成し直す。代わりに第三重騎兵隊、第四重騎兵隊を向かわせる。いや、第五重騎兵隊もだ! 一気に押し潰せ!」
刻々と変化する戦況を見極めながら、将軍副官のジグムンドが指示を下す。
「ジグムンド殿、さらに伝令です! 第ニ重騎兵隊、ローガン隊長戦死! 指揮は副隊長のラズロフ殿が引き継いだとのことです」
「くっ、交替部隊に急ぐように伝えろ!」
「伝令はラズロフ殿の言葉も預かっておりました。『我々はローガン隊長と共に天界にてお待ちする』とのこと。ラズロフ殿の言葉を伝えた伝令兵は、すぐさま前線に戻りました……どうやら撤退の意思はないようです」
「なにぃ!? ……わかった。軍令拒否の罰は天界で受けてもらおう。マグヌス! 進軍する第三重騎兵隊に従軍し、ラズロフの大言壮語を見届けて来い!」
時間の経過とともに戦況が悪化する。
対岸に残された帝国兵たちは、渓谷のような涸れ川を強引に押し渡り、次々と敵陣に合流する。涸れ川の底に潜ませていた黒魔導士たちは、たいした時間稼ぎもできずに討ち果たされたようだ。
それでも、大きく数を減らしながらも、ザムエル将軍の兵たちは皇帝陛下の御身まで数十シュリッドに迫る。
「ここが正念場だ! 天界におわす戦神よ、我らの勇姿をご照覧あれ! 全軍突撃! 兵どもよ、行けぇええーーっ!!!」
「「「おおおぉぉおーーーッ!!!」」」
ジグムンドの下知に、数多の戦場を共にした兵らが奮起する。
馬を失った騎兵は敵の馬を奪い、剣が折れた歩兵は敵の武器を奪い、魔導師すら護身用の短剣を構え、前へ前へと進む。
(あと少し、アウグスト皇帝の御身まで、あともう少しで届く……)
突如、視界のすべてが赤く染まり、ズウンと腹に響く衝撃音が炸裂する。隕石の如き大火球が次々と落下し、大地が激しく揺れ、敵味方区別なく黒鎧の兵が小隊単位で吹き飛ぶ。爆風が熱い。Bレベルの火魔法【火焔雷】が放たれたようだ。
(戦略級の火魔法、【火焔雷】の使い手までいるとは……さすがは皇帝陛下の精鋭部隊だ。Dレベルの【火槍】やEレベルの【火弾】とは威力が違う)
桁違いの火力を目の当たりにして、味方の魔導士は右往左往するだけの生ける屍となる。厚い鎧に身を包んだ歩兵も呆然と立ちすくむ。頼みの綱の重騎兵すら、己が戦場にいるのを忘れたかのように振る舞う。
(なぜ、あの男を生かそうとする? そんな価値があの男にあるのか?)
邪魔者を除くべく、男はCレベルの無属性魔法【探知】をかけるーー
ーー見つけた。
五百シュリッドほど東方。
【火焔雷】を放つ黒魔導士は、戦線が崩壊しつつある右翼側にいた。護衛もつけず、側面から本隊に迫りつつある。いい度胸だ。
灰色のローブ姿の男は、灰色の槍の手綱を引く。馬首を東に向け、駆けさせる。噂通り速い。
灰色の槍は、一見、どこにでもいる平凡な馬にしか見えない。毛並みは、男のローブによく似たくすんだ灰色で細身の馬体。見た目は高貴な身分の者が求める類の馬ではない。けれども、ひとたび駆けだせば矢や魔法を軽々と避ける。脚が速いだけでなく、賢い馬でもあるという話。
剣戟が鳴り響くなかを灰色の槍が駆ける。
本陣に飛来する【火焔雷】が止んだと思ったのも束の間、【火槍】が男に向かって飛んでくる。Bレベルの火魔法を操る黒魔導士は、自分に迫りつつある灰色の人馬に気づいたようだ。
敵の黒魔導士が放った【火槍】は、男が手綱を操るまでもなく、灰色の槍がすべてかわしてくれる。
(なるほど、これは素晴らしい馬だ。将軍は最期に良いものを授けてくれた)
男は、灰色の槍に回避を任せて、お返しとばかりにCレベルの火魔法【火槍連】をかける。攻撃魔法が不得手な男の最大級の反撃。けれども、敵の黒魔道士の目前に氷の壁が出現し、男が放った火球の束はすべて防がれてしまう。
(【氷結壁】まで操るとは、火魔法だけでなく、水魔法もBレベル以上ということか。たいしたやつだ)
攻撃魔法のレベルは圧倒的に劣る。
だが、男は敗れる気がしなかった。




