黒い森に生きる者たち-3
ザクセン地方北部、黒い森。
近隣の村の男たちがロア村に集結する。
「『ならず者』は戦場から逃げだした奴らだ。野営の跡から考えれば十人ほど。対して、俺たちはラウム村、マイン村、カインズ村、ノイス村、そしてロア村から集まった百名を超える人数。俺の言う通りに動けば、この戦いは楽勝さ!」
村の広場を埋めつくす者たちを前に、弓矢を背負う筋骨隆々な若者が演説する。
森の平和を乱す「ならず者」討伐隊を率いるのは、ラウム村の村長の息子マイアー。「熊殺し」を自称する二十五歳の猟師。温厚な性格の村びとが多いなかでは珍しく、マイアーは高圧的で命令口調だ。
「油断したらダメだ! お前がならず者っていう逃亡兵はザクセン駐留軍にいた奴らだ。強えはずだぞ!」
「あん!? 誰だ、おまえは?」
「俺はボリス・ニコ。討伐隊に選ばれたロア村の猟師だ」
デュランの友人ボリスが、帝国の逃亡兵を侮るマイアーをたしなめる。
ボリスの言葉通り、黒い森に逃げ込んだ兵士はザムエル・ビド将軍の配下にいた兵たちだ。説明するまでもなく、デュランの感覚はマイアーよりもボリスに近かった。
「なんだ、怖気づいたのか!」
「違う! 相手は人殺しの訓練を受けた奴らだ。猪や鹿を相手にするのと一緒にするなってことだ!」
「言われなくても分かってる。けどな、俺は熊を退治したことがあるんだぜ!」
「それがどうした。熊が弓や剣を使うか? 集団で襲ってくるか?」
ボリスの発言を受け、討伐隊の隊長マイアーが顔を真っ赤にさせながら一歩、二歩と前に出る。ふと、自分を見つめる百を超える視線に気づいたのか、わざとらしく大きく息を吐き、言葉を続ける。
「臆病者に用はない。お前たちは自分の村を守ってろ。ならず者たちはロア村以外の男たちで退治してやる!」
「待て! 俺は慎重になれと言っただけだ!」
「うるせえ! 村長会議で作戦の方針は俺に一任されたんだ! 口ごたえするんじゃねえ!」
マイアーが吐き捨てるように言う。
討伐隊に選抜された者たちのほとんどは、猟師や木こりを生業とするだけあり、いずれも屈強。けれども、身勝手な振る舞いをするマイアーが指揮を執ると分かり、俺は不安を覚えた。
「マイアーさん。俺はロア村の薬師、デュラン・ダンです。ケガ人が出たときの用心に俺を連れて行ってくれませんか?」
「薬師だと? お前は白魔法を使うのか。だが無用だ。俺のラウム村からひとり、ノイス村からもひとり白魔道士が参加している。お前は自分の村の弱虫どものお守りでもしてるんだな」
デュランの同行の申し出は、マイアーに拒否されてしまう。マイアーは、どうにもロア村の人間を連れて行かないつもりらしい。横柄なだけでなく、偏屈な男のようだ。
◇◇◇
帝国の逃亡兵の居所が不明なので、マイアーは罠を仕掛けるという。
交易団を偽装して、一台の馬車が先導する。幌をかぶせた荷台に積荷はなく、代わりに剣や木の盾を持った者たちが十人ほど隠れている。敵襲を誘う囮だ。
先導する馬車から距離を置いて、二十名の者たちが二台の馬車に分乗して追走する。そのさらに後ろを五十名ほどが徒歩で追う。先頭を走る馬車が帝国の逃亡兵を引きつけている間に、後続部隊が包囲して殲滅させる手はずだ。
マイアーが説明した作戦は、一見、よく練られている気がした。ただ、二歳年長の友人ボリスの言葉を借りれば、「人殺しの訓練を受けた奴ら」が、こちらの都合にあわせて動いてくれるとは思えなかった。森に住まう獣すら、こちらの期待通りには動かないのに。
いずれにしろ、デュランたちは、森のなかに消えていく討伐隊一行を見送ることしかできなかった。
翌日、マイアーたちが戻ってきた。
敵に遭遇しなかったためか、意気揚々と出かけていったマイアーは明らかに不機嫌な表情に変わっていた。
「くそっ、次はカインズ村に向かう。今度こそ、ならず者たちの首を土産に持ってきてやる。ロア村の臆病者ども、楽しみに待ってな!」
マイアーが大言壮語を吐く。作戦がたった一度空振りに終わっただけで、彼は相当苛ついている。気持ちに余裕がない。大将格の人間としては致命的な欠陥だ。
翌々日、マイアーはまたもや手ぶらで戻ってきた。さらにその次も。
そんな不毛な行動が半月ほど繰り返されると、マイアーに従っていた者たちの間に不平や不満が沸いてきた。
「本当に作戦は上手くいくのか?」
「半月も無意味に森のなかをうろついただけじゃないか」
「ならず者たちはすでに森を去ったのでは?」
10月の後半ともなれば、冬支度で忙しい時期。口々にささやかれる台詞の根底には「村に帰りたい」という純粋な思いがある。当然だ。だが、頭に血がのぼったマイアーは、そう受け取らなかった。
「どいつもこいつも腰抜けばかりだ。もういい、ラウム村の者だけでやる!」
ラウム村から来た者たちはマイアーを含めて四十人ほど。討伐隊全体から見れば最大規模。だが、当初の百人を超える規模からすれば半分以下。つまり、戦力も半分以下になり、危険度は倍になった。
デュランやボリス、他村の者たち、ついにはヨーゼフ村長もマイアーを翻意させようと試みたが、依怙地となった彼は頑として耳を傾けなかった。
結局、マイアーはラウム村の者たちとともに馬車に乗って出立した。
大きく数を減らした討伐隊が、ならず者たちに打ち勝てると信じたい。
「村長。なぜ、あんな男を隊長に選んだんですか?」
討伐隊を見送ったあと、デュランはヨーゼフ村長のもとを訪れ、疑問を投げかけた。
「すまぬ、わしの力不足じゃ。マイアーの父親はラウム村のモーガン村長。あの村はロア村の倍ほども村びとがおり、村長会議の発言力も大きいのだ……」
デュランは、ヨーゼフ村長の言葉の裏にある苦渋の気持ちを察した。
おそらく村長会議では、モーガン村長との間で意見が割れたのだろう。最終的に多数決を採り、マイン村、カインズ村、ノイス村の村長がモーガン村長を支持し、マイアーが討伐隊の隊長に選ばれたのに違いない。黒い森に住むアルムの民の「合議制」は利点もあるが欠点も多い。
「マイアーの行動は危うい。俺は精神魔法をかけたい衝動に駆られました」
ヨーゼフ村長とふたりきりになった途端、デュランは率直に意見した。
無鉄砲なマイアーひとりが危険にさらされるのは自己責任だが、他人を巻き込むのは許しがたい。
「デュラン……よく我慢した。確かに精神魔法をかければ、おぬしの意のままにマイアーを操れたであろう。じゃが、同時にあの男の命運も尽きる。これからも同様な状況に陥ることがあるやもしれぬが、堪えるのじゃぞ」
「わかっています。『アルムの民に精神魔法を使わない』と、村長と約束しましたから」
眠っているかのような細い目を少しだけ開けたヨーゼフ村長に、デュランは『約束事』を復唱した。
精神魔法は他人の心を操る魔法ーー蛇蝎の如く嫌われる禁忌の魔法だ。
精神魔法をかけられた人間はーー数日か、数年かは個人差があるがーー徐々に心を病む。結果、本人のみならず、所属する共同体にも影響を及ぼす。
事実、己の欲望に忠実な精神術士が支配し、ついには滅ぶに至った村や街の話は、太古の物語から近年の伝聞に至るまで枚挙に暇がない。同時に、悪魔にも等しい精神術士を打ち倒した英雄伝説も。
ただ、そのような英雄の出現など、本来誰も望みはしない。
そもそも、精神術士が存在しなければ英雄は必要ないからだ。
不幸な歴史を繰り返した人々は、ひとつの教訓を学んだーー精神術士は健全なる共同体に紛れ込んだ癌細胞。見つけ次第、直ちに排除すべき異物だと……
デュランは心優しき人々に感謝している。
行き場のないデュランを受け入れてくれたヨーゼフ村長、世話を焼いてくれるボリスや村の仲間、黒い森に住む隣人たち。感謝してもしきれない。彼らに危害を与えるつもりはない。
忌避される存在だとわかっている。
デュランを受け入れてくれた人々は、彼の本性を知らない。
村びとたちが記憶しているのは、デュランが身寄りのない少年だったこと。帝国に滅ぼされたマルリッツ公爵領から逃げてきた、どこにでもいる戦災孤児だったことだ。
自分の立場をわきまえている。
デュランは他人の心を操る精神術士ーー禁忌の魔導士だ。
純朴な人々を欺いている。
この村は居心地が良い。
能力をかくしたまま、ずっとこの村にいたいと心底思っている。
そうできれば、どれほど幸せだろうか。
だが、帝国は滅亡させなければならない。
いつの日か、黒い森にも帝国の魔の手は伸びてくる。
楽園の破滅は防がなければならないーー故郷が破壊されるのは二度と目にしたくない。
デュランには力がある。
他人の心を操る魔法ーー蛇蝎の如く嫌われる禁忌の精神魔法が。
誰にも知られたくない力で、デュランは愛すべき人々を守るつもりだ。
たとえそれが、毒を以て毒を制するやり方だとしても。




