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鋼の精神術士ーーあるいは、帝国滅亡に至る物語  作者: きら幸運
第一章:黒い森に生きる者たち
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黒い森に生きる者たち-1

 帝国歴48年10月、表面上は平穏なる日々ーー



 公式には「ザクセン地方(フライシュタート)駐留軍の反乱」と記録され、非公式には「老将軍ザムエル・ビドの脳乱」と揶揄(やゆ)された(いくさ)から二月(ふたつき)()つ。


 皇帝陛下の地方巡幸は中断されたものの、ガイデンブルグ帝国の絶対支配は揺るがない。

 反乱を未然に察知できなかったザクセン地方(フライシュタート)の長官は速やかに処分され、あらたな長官と駐留軍の将軍が派遣された。


 そのザクセン地方(フライシュタート)はベルギア山脈を北辺とする。

 ベルギア山脈は標高三千シュリッド(約三千メートル)級の山々が東西に連なる山脈で、南麓には「黒い森(シュワルツヴァルデ)」と呼ばれる深い森が広がる。黒い森(シュワルツヴァルデ)は人間だけでなく、リス、ウサギ、鹿から、狼、熊に至るまで、様々な動物に生きる(かて)住処(すみか)を与えてくれる。

 

 黒い森(シュワルツヴァルデ)に生きる人びとは「ベルギアの民」と呼ばれている。

 厳密に言えば、ベルギア族なる民族は存在しない。

 ベルギアの民とは、黒い森(シュワルツヴァルデ)に住む人びとを指す俗称(ぞくしょう)にすぎない。

 森で生まれ育った生粋(きっすい)のベルギアの民は無論のこと、帝国に迫害されて森に逃げてきた人びとも、すべてベルギアの民である。

 

 デュラン・ダンがベルギアの民となったのは十四歳のとき。

 彼が村びとが百人にも満たないロア村に住みはじめ、三年余が過ぎる。

 デュランは薬師(くすし)の『行商』で村を離れることが多く、実際に村で暮らした期間のはその半分もない。けれども、年が明ければベルギアの民として生きるのは四年目になり、彼は十八歳となる。


◇◇◇


「ヨーゼフ村長が呼んでたよ」


「村長が? なんの用だろうな?」


 黒い森(シュワルツヴァルデ)の奥深く、小さなロア村の小さな家。

 デュランはゼムの実をすり潰す手を止めずに、同居人のリア・ノアに答える。作業を中断してしまうと、行商の商品ーー鎮痛薬(ゼダ・ポーション)ーーが台無しになるからだ。


「急いで来て欲しいって!」


「なら、作業の続きはリアに頼んで良いか?」


「うん。任せて!」


 リアが村に来る二月(ふたつき)前まで、ロア村に薬師(くすし)はデュランひとりしかいなかった。見習いとはいえ、いまではリアも入れてふたりだ。彼女は手先が器用で筋もいい。一、二年もすればデュランの技量に追いつくだろう。それは喜ばしい未来だと、彼は心底思っている。少女が薬師として一人前になれば、デュランが村を留守にしても安心だ。なにより、デュランにもしものことがあっても、リアはひとりでも生きていけるのだから。


鎮痛薬(ゼダ・ポーション)がたくさんできたら、行商に行っちゃうの?」


 赤いゼムの実をすり潰しながら、リアが不安そうに尋ねる。


 デュランが年に数か月は村の外で過ごすと知ってから、リアは彼が行商に出る日が来るのを恐れている。(ポーション)作りは彼の役に立つ反面、彼と離れる日が早まるとも考えたようで、少女はジレンマに陥ってしまったみたいだ。


鎮痛薬(ゼダ・ポーション)以外にも準備したい(ポーション)もある。行商に出るなら来年の春かな。雪が降る冬に旅をするのは辛いからね。なんといっても灰色の髭(グラウビア)が寒さを嫌がるよ」


灰色の髭(グラウビア)は寒いのが苦手なの? お爺ちゃん馬だからかな? けど、よかったぁ!」


 リア・ノアの笑顔が輝く。デュランがこの先数か月は村にとどまると知ってうれしいようだ。ダシに使ってしまった灰色の髭(グラウビア)ーー『灰色の槍(グラウスピア)』の村での呼び名。名付け親はリアだーーには悪いが、少女の気持ちが穏やかになるなら、心優しき灰色の馬は文句を言わないだろう。


 とはいえ、純真な少女に嘘を散りばめた話を素直に受け止められてしまい、デュランの心は痛んだ。Sレベルの精神魔法を操る禁忌(きんき)の魔導士としてはいささか情けない話。けれど、自分にもまだ人間らしい心が残っていると再発見できたのは喜ばしくもあった。


 リアに(ポーション)作りを任せ、デュランは村長のもとへ向かう。


 枯れ葉散る季節。冬支度を急ぐ村では老若男女関係なく働く。雑穀(ざっこく)が詰まった布袋を食糧庫に運ぶ男たち、獣の皮で防寒具を(こしら)える女たち、干した芋の出来具合を確認する老人たち、年長者のやり方を学びながら手伝いをする子どもたち、皆、自分ができる仕事をこなしている。小さいながらも活気のある村だ。


「デュラン、遊んでんじゃねえ! お前より灰色の髭(グラウビア)の方がよっぽど働き者だぜ」


 背後から少年の名前を呼ぶ声がする。

 デュランが振り返ると、二歳年長の友人ボリス・ニコの姿があった。


 ボリスは村の若者たち数人と共に、馬で半日ほど離れた隣村から帰ってきたところ。ボリスが操る二頭立ての馬車には木箱や樽が満載。もう一台の馬車も同様。隣村との交易は上手くいったようだ。馬車を引く灰色の髭(グラウビア)はデュランを見ても無関心な素振り。すっかり農耕馬のよそおいが板についている。


「遊んでなんかないさ、ヨーゼフ村長のところに行くんだ。ボリスも来るか?」


「べ、別に行かねーよ!」


 ボリス・ニコが顔を真っ赤にさせながら答える。

 背丈だけでなく、胸板の厚さや肩幅がデュランよりひと回り大きいボリスは村いちばんの猟師。弓がうまい。「リアに食わせてやれ」と、狩った獲物を分けてくれる。実際には、リアが村にやってくる前から分けてくれていたので、説得力がない台詞(セリフ)。つまりボリスはいい奴だ。


「ボリス! 荷下ろしは俺たちでやっておくから、村長の家に行ってもいいぞ! いや違うな、ミリアに会いに行っていいんだぞ!」


「うっせーよ!」


 同じ年くらいの村の仲間たちにもからかわれ、ボリスはムキになる。

 ヨーゼフ・ビドル村長の孫娘ミリアはボリスの恋人。ボリスは年が明けて二十の年になれば、ミリアと一緒になる予定。いまさら照れる関係でもないと思うが、年上の純朴な友人は滑稽(こっけい)なほど動揺した。


 結局、ボリス・ニコは頑としてデュランに同行しないと言い張るので、彼はひとりで村長の家に向かうことになった。


 正直いえば、ボリスが付いてこなくて助かったとデュランは考えた。ヨーゼフ村長との話しあいは、友人には聞かせられない内容のはずだからだ。

 

 村の中心にある村長の家。けっして豊かではないロア村の村長の家は、デュランとリア・ノアが住む粗末な家と大差はない。村びとの四、五人も入れば窮屈(きゅうくつ)になる居間で、彼はヨーゼフ・ビドル村長と差し向いに座る。普段は穏やかな好々爺を演じる老人は、村で唯一、デュランが禁忌(きんき)の精神術士であることを知る人物。密談めいたふたりきりの面談はいつも緊張感が漂う。


「ヨーゼフ村長。お呼びですか?」


「薬作りに精を出しているときに、すまんのう」


 眠っているような細い目、大ぶりな鷲鼻(わしばな)白髭(しろひげ)のヨーゼフ・ビドル村長がいう。

 (よわい)七十を超える村長は、孫娘のミリアよりも小柄で、デュランと同じ高さの椅子に座ると、長い白髭は半分以上テーブルの下に隠れてしまう。


「それで、ジョン・カーヴィルから『行商』の誘いでも来ましたか?」


「いや、さすがにしばらくは帝国に動きはなかろう。(こら)え性のないアウグスト皇帝といえど、春までは帝都ライベルグに留まるだろうからな」


「そうですか……」


 デュランの口から、思わずため息が漏れる。


 二月(ふたつき)前、彼はアウグスト皇帝の命を奪うまであとひと息にまで迫った。本当に、あと少しだった。次の機会がくるのが待ち遠しくてしかたない。


「おぬしは他の若者とは違う、十七歳の年齢以上に大人じゃ。幼いころより地獄を見てきたからであろう……が、まわりが見えておらぬのは年相応じゃな。そんなに気を張り詰めていては、一緒にいるリアが不安がるぞ。あの娘はおぬしとひとつしか違わぬが、繊細そのものじゃ。母を失った傷も癒えておらぬ」


 ヨーゼフ村長が言葉を切る。

 ぬるいお茶をひとすすりし、話を再開する。


「とはいえ、途方もない大望を抱きながら、身寄りのない少女を庇護するのはなかなかできることではないがの」


「俺はそんなにピリピリしてますか?」


「そうだな。おぬし自身は気づいておらぬようじゃがな」


 デュランは村長の言葉をかみしめ、思い当たることの多さに胸を痛める。

 

 黙り込んでしまった彼に対し、村長が話題を変えてくる。

 

「じつはのう、苦言めいたことを言いながら、この老いぼれはまだおぬしに頼ろうとしておる。村の存亡に、いや、ベルギアの民すべてにかかわることじゃ。すまぬが、聞いてはくれぬか?」


「俺ができることならなんでもしますよ」


 彼が答えると、恩義ある老人が説明をはじめるーーベルギアの民に降りかかる災難の予兆を。


 遠因は、デュランにも関係がないわけではなかった。

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