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皇帝陛下の巡幸-10

 ザクセン地方(フライシュタート)訣別(けつべつ)の刻。


 デュラン・ダンは灰色の槍(グラウスピア)の姿を探す。

 頼もしき灰色の馬は二十シュリッド(約二十メートル)先、仔牛ほどの大きさの岩の横に立っている。

 灰色の槍(グラウスピア)の鼻先には、母親らしき奴隷女が岩にもたれかかってぐったりしているのが見えた。


『お前、白魔法を使えるだろ! 何とかしてやれ!』


 灰色の槍(グラウスピア)の【念話(テレパス)】がデュランの頭に響く。

 催促されるまでもなく、彼は母親のもとに駆け寄る。


「ケガをしたのか? 見せてみ……ろ」


 デュランの言葉は途切れてしまうが、女の(まぶた)は徐々に開かれた。


 焦点の定まらない目、生気のない顔、小刻みに震える身体(からだ)。なにより、女の鼻、口、耳、すべての穴という穴から血が滲み出ている。【検診(リューズ)】をかけるまでもなく、デュランは彼女の状態が分かってしまった。


 女は死にかけていたーー原因は自死にも近い。


「お前、魔力が枯渇したのに風魔法を放ったな! なんて無茶を!」


「……を、お願い」


「なに!?」


「あの娘を……リアを、お願い……」

 

 女は(いにしえ)の魔女の如きしわがれた声で懇願してくる。


 女の震える指が示す先、灰色の槍(グラウスピア)の背後に隠れるようにして、ひとりの少女が立っている。


 少女の青い目は焦点が定まらず、象牙色の肌をした顔は生気がない。

 母親と同じだ。

 異なるのは、苦悶の表情の母親に対し、娘は魂が抜け落ちた顔で呆然と立ち尽くすところ。

 けれども少女には、貴族の間でもてはやされる鑑賞人形(ドール)のような現実離れした美しさがあった。


 どこに力が残っていたのか、少女の母親が立ち上がる。


 娘を想う母の気持ちが、朽ち果てつつある肉体を動かしているのだと、デュランは直感する。

 その姿に、自分を救うため命を燃やした母セシリアの記憶が蘇る。


 女の手が少女の首にかかる。

 少女は抵抗しない。

 母親の手は娘のかぼそい首ではなく、肌と同じ象牙色の首輪(リング)をつかんだ。

 女が強く握った途端、なんの変哲もなく見えた首輪(リング)は、禍々(まがまが)しい本性をあらわした。


「あぁああーーーーっ!!」


 女が悲鳴をあげる。

 肉が焦げる臭いがあたり一面に広がる。

 今日一日、散々かいだ臭いは、やはり嫌な臭いだ。


 激痛に顔をゆがめながらも、少女の母は首輪(リング)から手を離さず、むしろ魔力を注ぎはじめる。


「やめろっ! それ以上魔力を放出したら、本当に死んでしまうぞ!」


 女は首輪(リング)から手を離さない。

 (かたく)なな姿に意志の強さを感じる。

 おそらく首輪(リング)は少女を束縛する魔道具。

 母親は最期の力をふりしぼって、娘を解放するつもりなのだろう。


 バギリッ……硬い無機物が砕け散る音がする。

 直後、意識のない娘を抱えた格好で母娘が倒れる。


「おい! しっかりしろ!」


「……少年」


「なっ!?」


「……(はがね)精神(メンタル)を持つ()()。リアを、お願い……」


 女の言葉に激しく心が揺さぶられる。


 そう。死につつある女は、デュランの精神魔法【擬態(ミミクライ)】を看破した。


 いまの彼の外見は少年ではない。

 【擬態(ミミクライ)】で偽装した仮の姿は、五十半ばの男。報酬次第でどんな仕事も請け負う、根なし草の雇われ魔導士だ。人にも、馬にも、死肉を喰らうハゲタカにも、デュランは罪人の(あかし)の入れ墨を入れられた、信用のおけない男に見えるはずだ。


 だが女は、彼を「(はがね)精神(メンタル)を持つ()()」と呼んだ。

 デュランが精神術士だと分かったうえで、娘の命を託そうというのだ。

 

『嘘でもいい。最期に、母親を安心させてやったらどうだ』


 灰色の槍(グラウスピア)が【念話(テレパス)】でデュランに語りかけてくる。いちいちお節介な馬だ。が、彼は嫌ではなかった。


 デュランは死にゆく女から娘の身体を引き取り、しっかりと抱きかかえる。

 意識のない少女の身体は華奢(きゃしゃ)で、不安を覚えるほどに軽かった。


 彼はBレベルの精神魔法【擬態(ミミクライ)】を解き、本来の姿に戻る。

 十七歳の少年の姿。

 ただし、華奢な身体つきと童顔のせいで、十四、五の子どもに見間違われることもしばしば。

 本来の姿では、とてもではないがザクセン駐留軍に傭兵として潜り込めなかっただろう。

 いずれにしろ、偽装を見破られた以上は姿を(いつわ)る必要はない。


 デュランの突然の変化(へんげ)に驚いたのか、さすがの灰色の槍(グラウスピア)も一、二歩後ずさる。尋常ならざる灰色の馬には、あとでゆっくり説明するとして、まずは死にゆく女を送ってやらねばならない。


「俺の名前はデュラン・ダン。あなたに命を救われた恩に報いよう。言っておくが、俺に娘を預けた以上、あなたは天界(ヴァラジオン)で相当待ちくたびれることになるぞ」


 母親はかすかに笑う。

 薄れつつある意識のなかにも、デュランの言葉は届いたようだ。


 やがて、焦点の定まらない女の目は、静かに光を失った。


「……灰色の槍(グラウスピア)、逃げるぞ。俺とこの娘を乗せて走れるか?」


『鎧を(まと)ってもいないお前たちふたりなど、空荷も同然だ』


「頼もしいな、では行こう!」


『少年よ。して、いずこへ』


「北だ! 北には深い森がある。森に住むアルムの民なら俺たちを助けてくれる! 灰色の槍(グラウスピア)よ! 風のように走ってくれ!」


 デュランと少女を乗せた灰色の槍(グラウスピア)は北に向かって駆けはじめる。


 大きく傾いた陽ざしは、憐憫(れんびん)の情を示すことなく照りつけてくる。

 異常な暑さは陽が沈んだあとも残りそうだ。

 いずれにしろ、帝国軍の敗残兵狩りを避けるべく、夜を徹して駆け続ける羽目になるだろう。


 

 デュラン・ダンの目論見(もくろみ)は外れた。

 皇帝陛下の巡幸への襲撃ーーザクセン地方(フライシュタート)駐留軍の反乱は、帝国史の一ページを刻むだけの出来事になってしまった。

 神聖皇帝を名乗るアウグストを支える体制は盤石(ばんじゃく)なまま。いささかも揺るがない。


 壮絶な(いくさ)だった。

 結局、デュランが手に入れたのは少女ひとりに馬一頭。

 (いくさ)のドサクサで逃亡した奴隷たちがどれだけ逃げ延びたかはわからない。

 皇帝陛下を(しい)(たてま)るのに比べ、なんと小さな成果であることか。


 デュランの腕のなかの少女が小さく震え、「お母さん……」と(つぶや)く。

 意識が戻りつつあるらしい。

 地獄耳の灰色の槍(グラウスピア)なら少女の声が聞こえただろうに、何も言ってくれない。


(まったく……帝国を滅亡させる手立てが立っていないというのに、おかしな約束をしてしまったものだ)


 デュランは少女を抱える手に一層力を込めた。

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