皇帝陛下の巡幸-1
帝国歴48年8月、異常な暑さの日ーー
大陸中央部、ザクセン地方。
赤茶けた土と岩石が広がる礫砂漠は文字通りの不毛の地。
灼熱の太陽が荒野を容赦なく照りつける。
真上からの陽ざしを避ける木陰はなく、ときおり吹きぬける風は熱風。
あまりの暑さに、小高い丘を埋め尽くす三千の兵たちは不平を鳴らす。
まさに、皇帝陛下の崩御に相応しい、異常な暑さの日だ。
地方巡幸なる帝国行事がはじまり、わずか半年。
皇帝陛下を弑し奉る機会がこれほど早く訪れると「男」は思っていなかった。
準備不足は否めないが、できる限りの手は打った。
あとは運を天に任せるだけだ。
小高い丘の上から、皇帝陛下の軍勢を彼方に望む。
陽炎が立つ礫砂漠を征く隊列は黒い蛇のよう。
軍列のなかに、アウグスト皇帝の在処を探すが、わからない。
「我が魔導士殿はこちらにおられたか!」
野太い声に呼ばれて、薄汚れた灰色のローブ姿の男が振り返る。
男に声をかけてきたのはザムエル・ビド将軍ーーザクセン地方駐留軍の頂点に君臨する老将軍。ガイデンブルグ帝国建国の功労者のひとりといえば聞こえはよいが、要は数多の町や村を破壊した将軍だ。
黒鎧を身に纏った白髪巨漢の将軍が、顔をしかめながら、男に近づいてくる。
その姿に常の豪放磊落な様はなく、見る者をひれ伏させる威圧感もない。
「ザムエル将軍、どうかされましたか?」
男が平坦な声で問い返す。
「朝から頭が痛くてな。我が魔導士殿に診てもらいたいのだ」
従う兵らに弱さを見せたくないのか、ザムエル・ビド将軍は小声で答えてくる。
老将軍の顔色は悪く、脂汗をかいてもいる。
「古参の薬師や白魔導士どもは役立たずだ。口だけ達者でなにもできぬ。能無しどもの幾人かは既に処分を命じた」
将軍の頭痛は、男がかけた精神魔法が切れかけているのが原因。
並みの薬師が処方した痛み止めや白魔道士の治癒魔法では効果は期待できない。
処分された者らにとっては災難もよいところだろう。
(だが、奴らも地獄行きが免れない業を背負っていたはず……)
そう考えることで、男は心に生まれかけた同情の気持ちを霧散させた。
「ザムエル将軍、わたしにお任せを。さあ、こちらにお座りください」
男の言葉に、ザムエル・ビド将軍は素直に頷く。
将軍は熊のような巨体を折り、灰色のローブ姿の男に向かって頭を下げる。
途端に、まわりを囲む兵たちが刺すような視線を投げてくる。
考えるまでもなく、当たり前の反応だろう。
畏怖し崇拝するザムエル将軍が、どこの馬の骨ともわからない初老の男に頭を下げているのだから。
武を以て鳴らす彼らにとって、罪人あがりで、金次第で誰にでも雇われる流浪の魔道士の男は、将軍と言葉を交わすことすら我慢ならない相手に違いない。
だが、蔑みどころか、憎しみや嫉妬も気にする必要はない。
実に、くだらない感情だ。
男はGレベルの白魔法【検診】をかける。
ザムエル将軍の症状が『頭痛』、『衰弱』なのがわかる。
白魔法を使うまでもなく、見た目通りの症状だ。
続けて、Fレベルの白魔法【診断】をかける。
ザムエル将軍の状態が『頭痛(大)』、『衰弱(小)』だと判定される。
帝国軍の将軍といえど、『頭痛(大)』は辛いようだ。
(安心しろ。いま、楽にしてやる……)
男は意識を集中し、Cレベルの精神魔法【感覚麻痺】をかける。
直後、ザムエル将軍の険しい表情が緩んだ。
「おおっ、痛みがなくなった! さすがは我が魔導士殿だ!」
老将軍が双眸に歓喜の色が宿らせながら、感謝の言葉を述べてくる。
(いったい……その濁った目でどれだけの数の絶望を見てきたのやら)
男は微笑みを返しながら、冷めた心で精神を集中し、最後の魔法をかける。
Sレベルの精神魔法ーー【隷属】
ザムエル将軍の顔から笑みが消え、黒鎧を纏った巨体がビクビクと震える。
すぐさま、治療の様子をじっと見つめていた兵たちが声を荒げた。
「キサマぁ! 将軍になにをした!!」
「ザムエル将軍の苦痛を取り除いてさしあげたのだ。なにか問題でも?」
顔色一つ変えず、男は言い返す。
当たり前だが、【隷属】をかけたのをわざわざ喧伝しない。
いずれにしろ、これでザムエル・ビド将軍は完全に男の傀儡となった。