第92話 そっとお嬢様を見守る会 ☆百地忍視点
今回は龍元家に仕える御庭番衆、百地忍視点になります。
窓のない大会議室に、女性を中心に30人ほど集まっていた。
その誰しもが顔見知り――御庭番衆だ。
部屋の明かりは薄暗く、どこか秘密事めいた雰囲気を醸し出していて、気分が高揚する。
事実この会合は仕えるべき主には秘匿されており、非公式に行われているものだ。
だというのに、皆の表情は悪戯っぽい表情をしており、笑みを隠せていない。
きっと私の口元もにやついている事だろう。
「これより第387回定例会を始めます」
初老に届こうかという女性の声が部屋に響いた。
その声を合図にして、皆も一斉に席に着く。
皆の顔は先ほどと打って変わって真剣そのものだ。
おっと、私は百地忍。
龍元家に代々仕える御庭番衆の1人。
今日は【そっとお嬢様を見守る会】の定例会に来ています。
私はこの会が、控えめに言って大好きです。
今まで幾度となく開かれているというのに、回を重ねても情熱が薄まる気配がない。
ふふっ。
特に今回は、気持ちが高まっているのがわかります。
というのも、四半期に一度開催されるお嬢様ベストショット大賞の発表があるからなのです。
有志が撮影し、その中で大賞に選ばれた物が会報の表紙を飾る――これは非常な栄誉。
私も今まで2回、その栄光を掴んでいます。
特に今回のショットには自信があった。
一心不乱に道場で突きを繰り出すお嬢様……その初動を捉えたもの。
私の拘りポイントはお嬢様の表情。
お嬢様は何か悩みがある時は道場で素振りをする――これは周知の事実。
悩みを振り切ろうと、汗と共に刃を煌めかす。
その一瞬を切り取った、この1枚――今まで一番の自信作です。
そもそもお嬢様の能力は非常に高い。
大抵の事はそつなくこなし、悩むことなど稀なのだ。
つまり、このお嬢様の悩ましい表情はレア。
ひそめられた柳眉に、強く結ばれた唇。そして躍動感が感じられる、刃を繰り出す全身の動き。
強い意志でもって悩みを払拭し、前に進もうとしている絵だ。
悩める乙女が前へ進もうとしている姿だ。
それが何より、お嬢様の美しさを際立たせていた。
「早速ですが、今期の会報に寄せられたお嬢様ショットは総数224枚――普段の3倍近い数でした」
224!
くっ! 同士達が張り切ったのか、それとも写真の世界に飛び込んできた新規会員達が増えたのか……どちらにせよ予想外の数字だ。
だけど、どこか納得している自分が居た。
そう、最近のお嬢様は今まで以上にどこか綺麗に――いや、可愛らしくなられている。
思わずファインダー越しに覗いてしまう気持ちは、とても良くわかる。
ふと辺りを見渡せば――なるほど、皆も私と同じような表情だ。そして、どこか自信に満ちた顔をしている。
だが私だってそうだ。私が撮ったお嬢様が一番可愛い!
「今回の質は過去最高レベルと断言でき、選考に落ちたものも普段ならば十分に表紙を飾れるものでした。にも拘らずそんな激戦区の中、選考委員8人満場一致で次号の表紙が決定しました」
議長の言葉で静寂だった会議室が、喧騒に包まれた。
満場一致で表紙?! 馬鹿な! そんな事は前代未聞だ!
動揺から次第に、参加者達の顔に『もしや不正が?』という色が広がっていく。
私だってそうだ。にわかに信じられない。
「静粛に! あなた達の気持ちは凄くわかります――だが、まずはこれを見てから意見を言ってください……ッ!」
「「「「ッ!!!!????」」」」
議長背後にあるパネルに、とある写真が映し出された。
その瞬間、私達は言葉を失った。
呼吸を忘れ、倒れたものもいる。
あまりの事に天を仰ぎ、跪いたものもいた。
混乱のあまり、よくわからないことを口走るものも。
私はといえば――あまりの事に頭が真っ白になり、涙が止まらなくなってしまった。
「……理由の説明は、必要なさそうですね。いえ、この絵の前では言葉は無粋でしょう」
議長はといえばパネルに向かって、震えながら五体投地で礼を尽くしていた。
それほどの衝撃だった。
何故なら初めて見るお嬢様の表情だったからだ。
この場にいる皆は、それをどう受け止めて良いか混乱していた。
だけど、何より美しい――それだけは事実だった。
泣き顔。
右頬を赤く腫らした泣き顔だ。
苦悩や失望だけでなく、開放や歓喜も含まれた表情だ。
美しいだけじゃない――何かを吹っ切ったような、強さも見える。
まさしく、龍元結季という乙女の全てがそこに濃縮されていた。
言いようのない思いが胸を渦巻き、行き場の無い感情が涙となって溢れる。
「お嬢様は完璧過ぎる――ワシは常々そう思っておった」
おもむろに、御庭番最古参の仙じぃが話し出した。
「完璧で隙が無かった。造形美とも言うべき美しさだった。しかし、この写真が示すように――泣き顔という欠点が加わることによって、卵が割れて雛が孵るように、蛹が羽化して蝶になるように、その美しさは別の次元に押し上げられた」
そう、お嬢様が今までの殻を破ったかのように――
感慨深げに話すさまは、まるで私達の心の内を代弁してるかのようだった。
あぁ納得だ。
真実、なにかしらの事を切っ掛けにして殻を破ったのだろう。
だからこそ、最近の美しさに通じているに違いない。
くっ!
この泣き顔は『きっかけ』だ!
これと比べれば、私の撮ったものなんて――
昇華しきれない思いが胸をのた打ち回り、自然とカメラを探してしまう。
もっと、もっとだ……もっとお嬢様を撮りたい……ッ!
同じような思いは伝播し、共鳴し合い、そして大きなうねりを生む。
誰しもが行き場の無い熱を上げ、会議室の温度を上げていく。
中には耐え切れなくなったのか、手持ちの資料の裏にお嬢様の絵を描いて心を慰めている人もいた。
絵心がある人を、これほど羨ましいと思ったことはない。
「この写真を見た皆と、今日は是非とも議論したいことがある」
そう言った仙じぃの声色は、先ほどまでの熱を帯びたものとは一転、冷たく鋭利で――どこか緊張したものだった。
先ほど私達の心を代弁しただけあって、周囲の注目が集まる。
「お嬢様は――実は普通の女の子なのではないか?」
「「「「――っ」」」」
その言葉が最初にもたらしたのは、沈黙だった。空白の時間と言ってもいい。
次に波だ。波は大きな渦となり、会議室を混沌と掻き乱していく。
「馬鹿な! ありえない!」
「お嬢様が、あの完璧なお嬢様が普通の女の子だって?!」
「お嬢様が普通だとしたら、他の女子はどうだというのだ?!」
「だが、我々は普通じゃない女子を見ただろう!!!」
「「「ッ!!!???」」」
お嬢様が普通の女の子――受け入れがたい言葉だった。
だが仙じぃの一喝によって頭が冷え、私達は3人の少女を脳裏に思い浮かばせた。
「免許皆伝のお嬢様と素手で渡り合う……」
「御庭番衆を超える情報収集能力……」
「我らを超える統率力をもつ組織……」
その誰しもが、美貌という点でもお嬢様に見劣りしない。
あれ程の存在感を持つ少女達が、急に頭角をあらわし始めたのだ。
私としても、感情的にはお嬢様が唯一無二だ。
だが理性の部分で、お嬢様に比肩しうる少女が3人もいるというを認めてしまっている。
……
定例会は非常に紛糾した。
それだけは言っておこう。
◇ ◇ ◇ ◇
お嬢様を一言で言えば高嶺の花。孤高の存在。
手が届かぬところで凛と咲くからこそ憧れ、その想いをカメラに託して昇華してきた。
だけどお嬢様に並び立つような娘が現れてしまった――それも3人も。
『普通の女の子なのではないか?』
その言葉とお嬢様の泣き顔が、私達の胸に棘となって刺さる。
そんな想いを抱えて、私は屋敷に戻った。
私は御庭番衆であると共に、お嬢様の傍仕えでもある。
「ふぇええぇぇえぇえぇ~~っ」
屋敷に戻って早々、お嬢様の部屋から情けない声が聞こえてきた。
今までなら考えられないような涙声だ。
くっ! 一体何がっ! シャッターチャンスなのかっ!?
「お嬢様っ?!」
「し、忍?!」
無礼と思いつつも、ノックもせずに扉を開けた。
スッキリと片付けられた部屋の真ん中で座り、ゲームパッドを構えたお嬢様がいた。
先ほど情けない声を上げたという自覚があるのか、白磁のような綺麗な肌がどんどん赤く染まっていく。
「い、いやその、ゲーム! ゲームでその、ちょっとあってな!」
「……」
大きく手を振りながら、全身でなんでもないと誤魔化してくる。
はうっ! なにこのお嬢様可愛いんですけど?!
だが残念ながらそれで誤魔化されるほど、お嬢様を見てきていない。
ゲームは、おそらくいつもやっているネトゲの事だろう。
これほどまでお嬢様の心をかき乱す者なんて――大橋秋斗、彼以外考えられない。
「一体、ゲームで何を言われたんですか?」
「べ、べつに秋斗君には何も言われて無いよ!」
ゲームで、といったにも関わらず秋斗君と自白するお嬢様。
どうやらそこまで考えが及ばないほど、余裕が無いらしい。
くっ! このお嬢様可愛いッ! 一枚撮りたい……ッ!
「い、いいかい忍? あくまで……あくまで一般的な意見で聞くよ? あくまで一般的な話だよ?」
「えぇ、何でも言って下さい。真剣に答えますから」
「男の人って、積極的な女性が好みなのだろう……かな……って」
「……は?」
難しい質問だった。
私に男性とお付き合いした経験はないし、興味もさほどなかった。
そんなの人によりますよ――無難にお茶を濁すことも考えた。
しかし、恥じらいながらも真剣に見つめてくるお嬢様の瞳を見ると、そんな選択肢は取れない。
お嬢様は世間一般と言ったものの、大橋秋斗ならどうだろうかという問いかけだ。
彼に関する情報は、前回"獣"絡みのやり取りでいくらか情報が入ってきている。
だから、彼の立場から考えてみよう。
「ほ、ほら最近は草食系男子ってよく言われているし、女子の方から積極的に動いたほうがいいのかなぁ、なんて。でもそんな、ふしだらなんて思われたら……」
「彼は決めかねているのかもしれません」
「……え? どういう?」
「複数から選べる立場にいる……ならば、積極的にアピールした娘が有利」
「っ!!」
お嬢様は目を見開き、青天の霹靂と顔に出す。
ぷるぷると俯いて身を震わせたと思えば、大きく1つため息。
顔を上げた時は、どこか晴れ晴れとして――私の胸も大きく跳ねてしまった。
かわいいなぁもう!
「ありがとう、忍」
「い、いえ私何も……」
「またしても私は思い上がっていたよ。待っているだけじゃだめだ――選ばれる努力をしないと。だからこそ、女子の方から積極的に行くべきだったんだ」
「お嬢様……」
はうっ! その真っ直ぐな眼差し!
私の心臓に悪いです、お嬢様!
「それで、ええっと……お願いがあるんだけど、聞いてくれるかな?」
「お、お願い?!」
「相談、したいことがあるんだ」
「相談?!」
「だ、ダメだったかい?」
「い、いえ! そのような事は決して!」
だが言葉とは裏腹に、私の心は動揺の極致にあった。
今まで誰にも頼らず一人で何でもこなしてきたお嬢様がお願い?! しかも相談?!
半年前の、いや、つい数時間前のあの泣き顔を見ていなければ、信じられない事だった。
それは、一人じゃ解決できないことがあると弱みを見せていることになる。
完璧なお嬢様、高嶺の花というブランドにヒビが入ったに等しい。
だけど、どうしてだろう?
どこまでもお嬢様が可憐になったと感じてしまった。
「お嬢様……大変心苦しいのですが、私には無理です」
「そ、そうか……ごめんなさい、変な事を言った」
「待って! 違うのです!」
「へ?」
そう、お嬢様のお願いや相談……身に余る光栄です。だが同時に、それに応えられる自信が毛頭無かったのも事実。
私一人じゃ到底出来ない事だが――私はあの事件を通じて集団で力を合わせるという事を学んだ。
「歳の近い同僚を呼びます。人が多いほうが良い知恵もでるでしょう? 3人よれば文殊の知恵、と言うではないですか」
「忍……ありがとうっ!」
満面の笑みを浮かべるお嬢様の笑顔。
溢れ出す鼻血を抑えながら、同僚たちに連絡する。
この日、そっとお嬢様を見守る会を母体とし――そっとお嬢様を手助けする会が結成された。
………………………………
…………
……
作戦はいたってシンプル。
数々の証言や証拠(紳士グッズ)により、大橋秋斗が年上が好みと言うのは明白だった。
正直私の心情的には複雑なのですが……まぁ良いでしょう。ここは好都合だと考えます。
何より、彼がお嬢様を魅力的だと思わない――それが許せなかった。
だから、お嬢様の武器を存分に生かす作戦だった。
つまり頼れる、甘えたくなるような年上の包容力で彼を骨抜きにする。
現在彼は、クラスメイトの中西から恋の相談を受けている。
そして、彼のデートについてのアドバイスを求められている。
どうやらそういった経験が無いようで、返答に困り、なおかつ相談出来る相手がいない。
そこで、お嬢様が颯爽と相談に乗り、好感度を上げるという寸法です。
事前に歳の近い有志の女子7人と協議を重ね、どういう答えをすれば良いかを考えました。
うん、それなりに自信もあります
「こ、ここここんなところで奇遇だね、秋斗君! ど、どどど、どうしたんだい?」
だが肝心のお嬢様が、緊張し過ぎて全てを台無しにしていました。
周囲で陰から見守る御庭番衆とも目が合う。
あ、はい。
わかってます。
ええ、写真に撮っておりますとも。
ポンコツお嬢様でご飯3杯はイけます!
やっぱうちのお嬢様が一番可愛い!
だけど困りました……これでは話が進まない。
いえ、あたふた緊張して空回りしているお嬢様も最高なんですけどね。
むしろ、この良さが分からない大橋秋斗に問題があるんじゃないか?
ええい、そこです! お嬢様、がんば!
「ふふっ、面白いことやってるんだねぇ~」
「確かに面白いことではあります……が……え?」
私たちは失念していた。
この街にはあらゆる情報を網羅する少女がいるという事を。
「大丈夫! 事情は把握しているから~! あたしね、力になれると思うの!」
完璧に隠れていた筈だった。
同僚でも見つけられないという自負があった。
だというのに、振り返ると肩までのゆるくパーマのかけられたふわふわした髪が特徴的な美少女が居た。
にこにこ微笑む様は、見ているだけで癒されそうなほど穏やかな顔立ちだ。
「アドバイス、いるよね?」
「……えぇ」
押隈美冬はとろけるような笑顔で微笑んだ。
……私にとっては死神の微笑み以外の何ものでもなかった。
2話に分けてもいいかなぁって思う程の分量でした。毎度ながらそこのところ悩ましいですね……











