第87話 6.17騒動・終 懐かしいと思ってしまった
「んっ…んっんーっ!!」
ぐぐーっと背筋を伸ばすと、あちこちでバキバキと音を立てた。
何となく倦怠感がある。まだ身体が疲れてるよと訴えかけているようだ。
ううん、さすがに二徹はやりすぎだったか。
今度からは気をつけよう。
だけど何だろう……ずっと指に刺さって気になっていたトゲが抜けたかのような、妙な爽快感があった。
なんていうか、更地でちょっとだけ気になっていた雑草を全部むしり取った気持ちよさというかなんというか……
草むしりする夢でも見たのかな?
そんな事を寝ぼけている頭で考えながら、周囲を見渡す。
……
どこだ、ここ?
やたら豪華で身体が沈みこむソファー、それに光沢があっていかにも高そうな木のローテーブル。
さり気なく置かれた調度品も意匠に凝っていて、素人目にも良い物だとわかる。
まるでどこかの貴賓室みたいだ。
対面にいる少女も上品な衣服に身を包み、ただ座っているだけだというのにまるで絵画みた――って!
「先輩?!」
「起きたかい、アキ……大橋君」
龍元結季先輩だった。
なるほど、名家のお嬢様である先輩ならこの部屋は納得だ。
じゃなくて!
「ここは? 俺は一体……?」
「龍元家が懇意にしている病院だよ。大橋君は……よく眠っていたね」
「うっ……」
そう言って先輩は目を細める。
慈愛に満ちたそんな瞳で見つめられると、どこか気恥ずかしい。
涎とか垂らしてないよな? 寝言も言っていないと信じたい。
やばい、ドキドキしてきた。
豪華な部屋に落ち着かないというだけでなく、美人なお嬢様で有名な先輩と2人っきりだという状況が、ドキドキに拍車をかける。
そもそも何でこんな状況になってるんだ?!
ええっと確か小春と一緒に出かけて、それから――宇佐美さんだ!
大丈夫だろうか?
……
見たところ俺は無傷のようだ。
そして目の前の先輩。
なるほど。
恐らく先輩が何とかしてくれたんだろう。
そういえば、小春を待っている間に御庭番衆の人にも会ったな。
きっと色々手配してくれたに違いない。
「先輩、運んでくれてありがとうございます」
「礼を言われる程のことじゃないさ」
「しかし……そうだ、小春や宇佐美さんは?」
「窓から下を覗いてごらん」
先輩に促されて、窓から下を覗いてみる。
……
なんじゃありゃ?
病院の駐車場と思しき一角で、宴会が行われていた。
軽食を供する屋台も出ており、皆は随分と楽しそうに騒いでいる。
うちの柔道部員達の他、最近よく顔を会わせる他校生や剛拳心友会もいる。
あれ? スーツ姿の知らない人も……まぁ祭りだし引き寄せられる人もいるだろう。
ステージまでも設置され……あ、夏実ちゃんだ。
「……お祭り?」
「言いえて妙だね。その通り、実際あれは祭りだろうね。長年懸念されていた"獣"に関する事件が解決したのだから」
「へぇ」
「彼女達もここに残りたがったけど、主役だからね」
俺の寝てる間にそんなことが。
ていうか何の主役だろう?
また妙なことしでかしてないといいけど。
それにしても……
皆も今回の件で不安に思っていたところがあったのだろう。
色々関わってたみたいだからな。
だからだろうか、祭りに参加している皆は晴れやかな顔をしている。
そして誰も怪我した様子もない……うんうん、日本の警察って思った以上に優秀なんだな。
「すごいな」
「そうだね、本当にすごいよ……トは……」
「え?」
「ん、なんでも……そうだ、ちょっと風に当たりに行かないかい?」
「あ、うん」
◇ ◇ ◇ ◇
ギィ、と重々しく扉が音を立てる。
連れてこられたのは屋上だった。
ここは……小さい頃からちょくちょくお世話になっている大病院か。
郊外にある7階建ての屋上は広く、山の手の方にあるので街が見下ろせる。
陽はすっかり沈んで東に月。
地方都市とはいえ、その夜景は中々に絶景だ。
「6月とはいえ、風が吹くと冷えるね」
「そう……ですね」
「ほら、見てみなよ。お祭り騒ぎをここから眺めるのも一興だよ」
「あ、先輩」
そう言って、先輩はフェンスの際まで駆け出していく。
どこか普段のイメージとは違う、幼げな行動だ。
その時、吹きつけた風が先輩の髪を夜空に舞った。
月あかりに照らされた彼女は、あまりに綺麗で目を奪われる。
「……っ?!」
あれ、何でだ?
何故綺麗よりも、懐かしいなんて思ってるんだ?
先輩との接点なんて、数える程しかないのに……
「……凄いね」
「え?」
「ほら見てみなよ」
「あれは……」
先輩が指差す場所を見てみれば、ステージに立つ小春、美冬、夏実ちゃんがいた。
歌? カラオケ大会?
周囲にはうちの部員を始め、色んな人たちがいる。
なんだ、あのスーツのおっさんは?
何か配って……ペンライト?
え?
なんで練習もしてないのに、あんな一糸乱れぬ動きが出来るの?
目まぐるしく動く光が様々な弧を描き、まるで光の乱舞だ。
「うん、凄いな……」
「だね」
凄いキレッキレのダンスだ。
いつからうちの部はパフォーマンス集団になったんだろう?
最近、柔道部とは何かと考えてしまうことがある。
それとも、俺の感覚がおかしいのだろうか?
違うよなと頭を振った時、先輩の横顔が目に飛び込んだ。
「……」
先輩の瞳は皆を見ているようで、何も写していなかった。
だけど何かを探しているようにも見えて――そして何かを見つめ、切なげにため息をついた。
どうしてだろう?
俺はそれをどこかで――
「そこから何が見えました?」
「えっ!?」
気付けばそんな言葉をかけていた。
驚く先輩にの表情に、俺が驚く。
変なこと言ったっけ?
「君は、本当に……」
「いや、その……」
一瞬、泣き顔に見えた。
その顔、どこかで――
「私はね、皆と違うと言われたんだ」
「それは……」
「違うと言われて、それを受け入れて――そして諦めていた。だけど、それじゃダメだね」
振り返った先輩は、どこか覚悟を決めた顔をしていた。
その目は俺を射すくめるかのように俺を見据える。
口元はきゅっと締められ、力強く握り締めた手は赤くなるほどだ。
震える肩が否応無く、緊張感を伝えてくる。
「お、おぉおお大橋君!」
「は、はい!」
俺も釣られるように、背筋が伸びてしまう。
「秋斗君、と呼んでいい……かな?」
「へ?」
「だ、ダメならいいんだ、うん、その――」
「別に構いませんよ」
だが、予想に反して告げられた台詞は拍子抜けだった。
思わず変な声が出てしまう。
「い、良いのかい?!」
「別に、名前くらい……」
むしろ『大橋さん』呼びにならない事に、自分で安堵して驚いている。
きっと今の俺はとても優しい顔をしているに違いない。
はは、何故か皆大橋さんになっちゃうんだもの……
「そんな顔、ずるい……」
「へ?」
「そ、そうだ、私の事も結季でいいぞ! こちらだけ名前呼びだと、へ、変だしな!」
「ええっと……結季先輩?」
「~~ッ! いや、その、なんだ、もっと名前を間延びして呼んでもいいぞ!」
「ゆーきー先輩?」
「あ、あはは! な、何かちょっと変だな、うん! あ! 私はその、用事を思い出した! これで失礼する!」
捲くし立てるかのようにそれだけ言うと、慌しく去っていく。
その後ろ姿はどこか浮かれているようにも見えた。
結季先輩、実は思ったよりも子供っぽい人なのかな?
『ほっほ、お嬢様も青春ですなぁ』
『仙じぃ?! ずっと聞いていたのかい?!』
『認めません……私はまだ認めてませんよ、お嬢様』
『忍?!』
龍元家の人にからかわれるようなやり取りも聞こえてくる。
慌てる姿を想像すると、ちょっと微笑ましい。
結季先輩、か。
背筋や仕草がとても綺麗で、時々感じる小春や、美冬、夏実ちゃんたちに感じる肩とかの違和感もないし……って、何を考えてんだ、俺は。
何故名前を間延びさせるようとしたのだろう?
案外お茶目な人なのかな?
ゆーきー先輩……ゆーき先輩……?
……
あれ?
今なんで懐かしいって思ったんだ……?
大橋秋斗16歳。
素直で可愛くて勝手に独身小姑になる決意を固めた妹有り。――NEW!
ゆるふわで2番目志望のNTRセに目覚め、地元物流と情報を牛耳る幼馴染有り。――NEW!
責任とか微塵も取りたくない、この地方一体の空手団体を統一した後輩有り。――NEW!
名家のお嬢様で下の名前で呼び合う先輩有り。――NEW!
傘下に降った柔道部と剣道部と他校柔道部と龍元御庭番衆と剛心空手会有り。――NEW!
地元大企業グループに貸し1つ有り。
地元名家にも貸し1つ有り。
されど童貞、彼女無し。
これはそんな彼と望まぬハーレムと青春と苦難の混沌とした物語である。











