第83話 6.17騒動⑥~龍虎相対~後半 ☆龍元結季視点
前回に引き続き地元の名家お嬢様、龍元結季視点です
シュッ、という風切り音が鳴る。
その度に手に持つペンライトが軋みをあげる。
「くっ!」
猫の手の様な構えから打ち出される掌底打ちは、私が今まで見た中で一番鋭い打撃だ。
流石は秋斗君の妹、大橋小春。
だが、見切れないほどじゃない。
私が歪んでいるだって?
それにいきなり攻撃される意味がわからない。
だが彼女の目が、拳が、私に何かを訴えかけて来ているようで――何故かそれが気に入らなかった。
「何故こんなことをする、大橋小春!」
「それはっ、あなたが歪みだからよっ!」
「何を言って――」
こちらもやられてばかりではいられない。
反撃を試みる――が、あらゆるフェイントは見抜かれてしまい、踏み込みの浅い攻撃は簡単に防がれるか躱されてしまう。
シュパパパパパッ!
互いに拳打と殴打の応酬が繰り広げ、軽快な音を立てる。
目まぐるしく立ち位置が変わるそれは、まるでジルバを踊っているかの様。
「あなたにお兄ちゃんの本当の良さがわかるはずがないっ!」
「どういう意味だっ!?」
「あなただけは違う! だから1人だけ自分を偽ったままなのよっ!」
「それはっ――」
言葉と共に、裂帛の気合と共に影が重なり――
――打ち合う拳と共に、視線が交差する。
邂逅は一瞬、しかしその瞳は確実に私を捉え物語っていた。
『わかってるでしょう?』
どこまでも見通すような、私を丸裸にするような瞳だった。
肉体的なダメージはない。
だけど、心に痛打を浴びせていた。
思わず一歩後ずさってしまう。
「おい、何だあの戦いは……」
「龍と虎が……」
「ま、まさかお嬢様と渡り合うほどの娘がおったとは」
「小春様の気迫を真正面に対峙するって……」
大橋小春、彼女は強い。
事実、私たちに巻き込まれないよう、周囲は見ているだけだ。
この状況に困惑しているというのもあるだろう。
彼女だけが、この場で確固たる信念でもって臨んでいた。
その意志は瞳を通じて、今も私を貫いている。
……
歪み?
私が?
そんなこと――
「せやぁっ!」
「はっ!」
技も何もあったものじゃない。
防がれるのも容易な攻撃だ。
だけど彼女の目を、自分の中に生まれてしまった思いを、否定する為だけにペンライトを振るう。
そこにあるのは、ただの意地のようなものだった。
大橋小春も黙ってはいない。
同じく拳に、私への想いを乗せてぶつかって来る。
「龍元結季、あなたには両肩にかかる重みなんて分かりはしない」
「言ってくれる! 私にそれが分からないだって?!」
「分かってないから、あなたは自分を偽っている」
「何をっ――」
思わず私のペンライトが止まる。
そんなわけがない――そう言いたかった。
だけど私は何も言えなくなり、立ち止まってしまった。
その隙を見逃す彼女ではない。
パァン! と乾いた音が鳴る。
掌底は頬を捉え、傍目には平手打ちをしたような格好だ。
彼女の瞳は全てを見透かすように私を見ている。
沸々と怒りが湧いてくる。
その目、どこまでも気に入らない。
私が、この両肩に伸し掛かる重みを理解していないって?!
龍元という家に生まれ、望まぬ性と罵られ、それでも嫡嗣たらんと足掻いてきた私が?!
「お前に私の何がわかる!」
「そんなの知るわけないでしょ!」
「なっ――」
「だけど、それが歪んでいるのだけはわかる!」
そう言った大橋小春の目も、それがどこまでも気に入らない――そう叫んでいた。
ああ、よく言ってくれる。
そうだ。
彼女は、大橋小春はあの秋斗君の妹だ。
今の秋斗君はどうだ?
あの拳帝の孫娘をはじめ、幾多の著名な実力者を従えている。
彼が組織したグループの情報収集能力、戦闘能力は龍元家のそれを超えていた。
在野にこれほどのモノを組閣していたとは、青天の霹靂だった。
さすが、秋斗君だと思う。
なるほど大橋小春も、あの秋斗君の妹という立場に悩んでいたのかもしれない。
私が龍元家の長子というのに悩んでいたように。
だけど彼女は――
己を偽っているなんて、自分がよく知っている。
龍元の家に生まれ、男児でなかっただけという理由でどれだけの仕打ちを受けたか!
それが、どれほど理不尽で自分ではどうしようもない事だったか!
求められる役割を演じようとしてきたのは否定しない。
だけど大橋小春は、詳しい事情も何も知らず、それが気に入らないという。
…………
彼女も一緒なのだろう。
自分の中で、どうしても許せないものがあるに違いない。
これほどまで、真っ直ぐにぶつかってきたのは秋斗以外で彼女が初めてだ。
それが、どこまでも私の心を揺さぶる。
しかし――
「龍元結季、わたしはあなたが気に入らない」
「同感だ大橋小春、私も貴女が気に入らない」
――ああ、そうだ。
私達は相容れない。
互いに不倶戴天の敵だということを、ようやく認識した。
「せやっ!」
「はぁっ!」
そして再びそれぞれの意地をぶつけ合う。
技も何もあったもんじゃない。
こんなの子供の喧嘩だ。
だけど、どうしてだろう?
こんなに心が沸き立つのは……
彼女の口元がニヤリと歪む。
『もっと本気でかかって来なさいよ』
そう、目と拳が語ってる。
あぁそうだ。一緒だ。よく似てる。
どこまでも純粋に、『私はこうだ、お前は?』と真正面からぶつかってきている。
やはり彼女は、秋斗君の妹だ。
「ちょっ、地面揺れてない?!」
「風が凄くて立てなっ」
「龍と虎の戦争?!」
「お嬢様……屠龍の奥義・龍気纏咆を体得なされたか!」
もはや周りの声は聞こえなかった。
2人だけの世界だった。
何が楽しいのか、大橋小春は愉快でたまらないと笑みを浮かべる。
きっと私も同じ顔をしているに違いない。
互いに拳を交えながら、私達は遊んでいた。
そう、こんなの遊びだ。
不器用でどうしようもない、私達らしい遊びだ。
ゴォオオオォオオォオォッ!!
互いの意地がぶつかり合いは風を生み、突風となり、嵐を呼ぶ。
嵐は周囲を巻き込み被害を与え、壁や天井は軋みを上げ、もう止めてくれとばかりに抗議の石つぶての涙を流す。
だが、それは長くは続かない。
全てを晒け出して全力ぶつかって来る者と、己を偽る者。
その心の裡から湧き上がる思いに、差があって当然だった。
だから、終わりはすぐそこまで来ていた。
「龍元結季、あんたには決定的にまで覚悟が足りない」
「覚悟? そんなもの、とっくにしている!」
そうだ。
我が家は古くはこの国が朝廷によって治められていた時代より、この地を治めてきた。
幾多の動乱の時代を乗り越え、未だなおこの宍戸の地に君臨している龍元の継嗣。
覚悟だって、とうにし――
「女としての覚悟がない」
「――え」
晴天の霹靂――それはこういう事を言うのだろうか?
その言葉は、どこまで私の柔らかい部分に深く突き刺さった。
女として――
『ユーキ、おれたちはシンユーだよな!』
かつて、幼いアキトがボクに笑いかける。
その幼いボク姿は――
「あり得ないとは思ってる……だけどわたしは、万が一の為に備えて基礎体温を測ってる!」
その言葉と共に振り抜かれた拳は、色んな意味でどこまでも重かった。
私の動きを止めるに十分な言葉だった。
「か……は……」
そして私は大の字で地に伏した。
◇ ◇ ◇ ◇
負けた。
大橋小春に負けた。
でもどこか心は晴れやかだった。
憑き物が落ちたともいえる。
どこか自分でも分かっていた。
己を偽り、過去に囚われ、自分にも秋斗君にも向き合ってもいない。
大橋小春に過去に何があったかは知らない。
きっと、自分を偽るようなことがあったのだろう。
思い、悩み、そして素直になった。
……私には出来なかったことだ。
その背景には秋斗君がいたに違いない。
「……ふぅっ、うぐっ、うぅうぅぅっ……」
自分が情けなくて涙が出てくる。
ああ、そうだ。私は馬鹿だ。
こんな時にまで、泣いた記憶がこれが初めてだなんて思ってしまうなんて――本当、馬鹿だ。
彼女に殴られなきゃ、わからなかっただろう。
痛い。
心が痛い。
自分が特別不幸だなんて思っていた、自分の馬鹿さ加減に失望してしまう。
そんなこと、ただの思い上がりだった――
「わ、わたしはお兄ちゃんじゃない。お兄ちゃんの様に、何とかできるわけじゃない」
「大橋小春?」
最初、その意味がわからなかった。
彼女はバツの悪そうな顔をして、私に手を差し伸べていた。
「あなたの事は気に入らない。だけど、嫌いと言うわけじゃない」
「君と言う人は……ッ」
それはかつての秋斗君と同じセリフだった。
幼い頃はよくケンカした。
意見も良くぶつかった。
だけど、その後は決まってこう言った。
『ユーキの言う事はわけわかんねー。だけど、いつも一生懸命だし、嫌いじゃない、好きだぞ!』
あぁ。
きっと、手はずっと差し伸べられていたんだ。
拒んだのは、馬鹿な私だ。
彼女の手を掴みたくなる。
だけど、どうしても最初に掴みたい人の顔が脳裏に焼き付いていた。
そうだ。もう一度始めよう。
その時こそきっと――秋斗君の前にもう一度立てるに違いない。
「いや、いい。自分で立てる。これ以上あなたに借りを作りたくない」
「そ、そう?」
きょとんと、困惑する表情も似ている。
思わず笑みがこぼれてしまう。
私は大橋小春が気に入らない。
だけど嫌いにもなれない。
彼女はきっと強敵だ。
そう、強敵だ。
ははっ。
さっきから泣いたり笑ったり自分でも忙しないな。
「ああは言ったけどわたし、独身小姑になる覚悟が出来てるから」
「望む所さ」
彼女にだけは手を差し伸ばされたくない。
するとすれば、対等な立場での握手――
ドォオオオオオォォオォンッ!!!
突如爆発音が響き渡った。
「なに、これは?!」
「爆発?! うぉ、周囲が燃えて!」
「おい、周りが火の海だぞ?!」
「お嬢様、大丈夫ですか?!」
一体何が?!
周囲は混沌とし、炎があっという間に地面を走り囲まれてしまっている。
見たところ、豪傑熊や獣兵団は未だ気絶したままだ。
「最悪だ。10年かけた施設がこうまで破壊されるとは」
「嵯峨佳央?!」
「幸いデータはある。それが手土産になるだろう……だが、お前たちはここで報復しないとオレの気が済まん!」
嵯峨先生はボリボリと何かを噛み砕き――そして気を解き放つ。
「ぐっ?!」
「この気は!」
「さっきのお嬢以上の?!」
「小春様や夏実様以上なんて!」
……ばかな!
まるですべてを飲み込む銀河の如き大きな気が周囲を覆っていく。
周囲の人たちは既に恐慌状態に陥りかけていた。
「……これはちょっとやばいかも」
「弱気なんてらしくないな、大橋小春」
「誰のせいで消耗してると思ってるの?」
「ははっ!」
再び、大橋小春と目が合う。
だけど、その瞳の色は絶望になんて彩られていない。
ああ、わかるとも。
互いに満身創痍。
相手の実力はこちらの遥か上。
周りは高温の炎のに囲まれ逃げ場はない。
だけど。
だけれども。
彼女と二人、笑みをこぼしてしまう。
こんな歪んだ状況を良しとしない人を、憧れの人を、焦がれてやまない人を知っている。
「嵯峨、お前は歪んでる――」
ほら、待ち望んだ声が聞こえた。
はーれむものラブコメにある、ヒロイン同士のキャットファイトですね、わかれ。
第3章も大詰めです。最後まで楽しんでくれたら幸いです。