第77話 そして再び動き出す歯車 ☆大橋小春視点
今回は小春視点になります。
昔からお兄ちゃんは、理の歪んだ事には頭より先に身体が動く所があった。
そんな性格のせいか、小さい頃は生傷が絶えなかった。
いつもわたしの目の前を通り過ぎて行き、いつか置いて行かれるなんて思ってしまう。
だからあの時、わたしを置いて駆けだす後ろ姿に何だか嫌な感じがした。
「小春お姉様、こっちです!」
その後程なく路地裏から逃げてきた陸上部の子に案内され、路地裏を走っていた。
表と違い、そこは随分と入り組んでいてまるで迷路みたい。
薄暗くジメジメしており、少しひんやりした空気は心も冷たくしていくようだ。
――何だかイヤな予感が醸成されていく気がする……。
「忍さん、こっちで合ってますか?!」
「ええ、分かりにくいですが足跡が複数続いています」
「中西さん、獅子先輩たちにも連絡が取れました!」
「半分は表と連絡役、残りはオレと一緒に来い!」
近くで見回りをしていた柔道部の人や、御庭番衆の方とも一緒になった。
忍さん、だっけ。
淀みなくお兄ちゃんの走った跡を追いかけていくのは流石だ。
そういう専門的な訓練を受けているらしい。
心強いと思う。
わたし一人で追いかけても迷子になっていたに違いない。
他にも中西先輩たちが応援を呼んでくれている。
心配することは何もない。
あとはお兄ちゃんを見つければ……
だけど、どうしてもイヤな思いを払拭出来ないでいた。
「大橋秋斗……一体何者ッ!? 彼の足跡から、迷いなく他の足跡を追いかけてる様なんだけど……っ!」
先頭を走る忍さんが、困惑と驚愕の声を漏らす。
そういう歪みが大嫌いなお兄ちゃんだもの。
違和感を辿れば造作もない事だと思う。
柔道部の先輩たちは当然だろうって顔だ。
「何者って、そりゃあ……夏実様のご主人様?」
「夏実様って、あの乾征獣郎の孫娘、拳姫!?」
「首輪を付けてまるでペット扱いだ」
「わ、わけが分からないわ……ッ!」
「わけが分からない人なんだ」
『いや……いやぁあああぁぁああぁあああっ!!』
「「「「ッ?!」」」」
突如、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。
この声、宇佐美先輩だ!
皆互いに頷きあい、その場を目指す。
バクバクと、心臓が忙しなく早鐘を打つ。
頭はどこまでも不安と焦燥感で冷やされているというのに、胸だけはやたら熱を持っている。
大丈夫、きっと大丈夫。
そう言い聞かせながら、不安を振り払うかのように足を動かす。
だけど、宇佐美先輩の悲鳴がそれを否定してしまう。
「宇佐美っ!」
「宇佐美先輩!」
「な、中西君……小春ちゃん……どうしよう、大橋さんが……っ」
一瞬、どういうことが理解できなかった。
目の前には倒れたお兄ちゃんを泣いて抱きかかえる宇佐美先輩。
そして、立ち上がろうとする3人の男達。
「あ、あいつらは! 爪牙の虎太郎に痩せ狼、それに豪傑熊まで!」
「例の闇稼業の連中か!」
「まさか大橋さんはあの3人を相手して……ッ!」
お兄ちゃん? どうしたの?
こんなところで寝たら風邪ひくよ?
わたしの頭の中は、目の前の暴漢たちと同じく困惑一色になっていた。
「投げられてから体がやたらと軽い」
「わけがわからない……」
「と、とりあえずここは引くぞ」
うそ。
うそでしょ?
ドッキリか何かだよね?
「どうしよう……目を覚ます気配が無いの……っ! ねぇ! ねぇってば! 起きてよぉおおぉっ!!」
身体から力が抜けていくのがわかる。
ぺたりと地面にへたり込んでしまう。
「狼の鼻と耳を回せ! それと救急車だ!」
「いや、それよりも車で直接運んだ方が早い! 龍元家資本の病院に連絡繋げ!」
泣きじゃくる宇佐美先輩と、慌ただしく動く中西先輩たち。
それがどこか現実離れした風景に見える。
――お兄ちゃんの顔は、とても穏やかだった。
◇ ◇ ◇ ◇
その後忍さんが運転する車で、郊外にある大きな病院に連れてこられた。
小さい頃から度々お世話になっているところだ。
道中かなり飛ばしたのか、相当荒々しい運転だったにも関わらず、お兄ちゃんが目を覚ますことは無かった。
着いて早々待ち構えていた医師の診察を受けた後、最上階にある貴賓室に通された。
急な事でベッドとか用意出来なかったのかな?
お兄ちゃんはそこで、見るからに高級そうなソファーに寝かし付けられた。
今はピクリとも身動ぎもせず、まるで死んだように静かに眠っている。
「私が……私が悪いんです……」
目を赤くした宇佐美先輩は、懺悔をするかのように自分を責めていた。
わたしはまだどこか現実味がなく、ただただそれを眺めているだけ。
「秋斗くん、大丈夫かい?!」
勢いよく扉が開き、龍元結季が入ってきた。
『うるさい! お兄ちゃんが寝ているんだから静かにしてよ!』
普段ならそんな事でも言っている所だが、今は完全に他人事だった。
医師や看護師に詰め寄る龍元結季を、どこか冷めた目で見ているのがわかる。
「お嬢様、寝ている方もおられるので」
「静かになんて……ッ! 秋斗君はどうなっているんだい?!」
「それは……」
先ほど、診察の結果を告げる前にここに移動させられたのだ。
彼女だけでなく、忍さんや中西先輩たちもどうした事かと聞き耳を立てている。
「まず安心してください。外傷など一切ありませんし、命に別状は無いと思われます。ですが、血中糖度ですが……ごく近いうちに急上昇された気配があります」
「なんだって? それはどういうことだい?(※お腹がいっぱいで眠くなっただけです)」
「おそらく、運動するための熱量を補給しようと、甘いものを大量に摂取したのでしょう。他にも、乳酸が体内で急激に生成されています」
「乳酸? それって……?(※運動したので眠くなっただけです)」
「蓄えられていたグリコーゲンが急速に消費され酸化……つまり、疲労の極限状態にありますね。さらに、血液中の鉄分不足が見られます」
「過度の疲労……鉄分不足ってのはどう関係あるんだい?(※ネトゲで二徹しただけです)」
「鉄分が補充されるのは睡眠時のみです……おそらく2日以上寝ていないのかと。その上で激しい運動をした結果――倒れたのでしょうな」
「……なんてこと!(※以上により、普通に熟睡しているだけです)」
龍元結季だけでなく、中西先輩たちもこらえきれない涙を零すまいと天を仰いでいた。
慚愧の念に耐えられないとばかりに、床や壁に己の拳を打ち付けている。
「くそっ! そういうことだったのか! 俺達の知らないところで大橋さんはッ!」
「寝る間も惜しみ、倒れるまで頑張っていたなんて!」
「4時間しか寝ていないなんて言っていた今朝の自分を殴りたい!」
「要注意人物は分かっていた……そんな状態なのに大橋さんは宇佐美を助けるために……ッ」
「大橋さん、そんなボロボロだったにも拘らず私を助けて……」
後悔も懺悔もしている暇はない。
そんな空気に変わっていった。
――自分には為すべきことがある。
皆が皆そんな表情をして、一人、また一人と貴賓室を後にしていく。
誰もが決意を抱き、真っ直ぐとした瞳をしていた。
自分の不甲斐なさを胸に、守られているだけの自分は嫌だ――それは過去の自分の殻を脱ぎ捨て、まるで生まれかったかのような瞳だった。
「君は、誰よりも傍にいて気付かなかったのかい?」
「…………」
最後に残った龍元結季が、私に話しかける。
その言葉は随分と耳が痛い。
わたしはずっとお兄ちゃんを見ていた。
昔も、今も、そしてつい数十分前までも……
そう、見たり吸ったりくんかくんかしているだけだった。
知っていた筈だ。
お兄ちゃんは一つの事に熱中しだすと、とことん突き進む性格だという事を。
どこかで止められたかもしれない。
身体を壊す前に強引にでも休ませていればこんなことは……
わたしは結局自分の望みばかりを――
「結局、君も秋斗君の事を何も理解していない……ッ!」
「そ、そんなことっ!」
「じゃあ何故、秋斗君は今こんな状態になっているんだい?!」
「……ッ!」
返す言葉も無かった。
地面にへたり込む私を見る彼女の瞳には、失望の色が彩っていた。
何か言いたくて、でも言えなくて――
――そして龍元結季も去っていた。
……
…………
………………………………
どれだけの時間が経ったのだろう?
中天に会った太陽はすっかり沈み、闇の帳が落ちていた。
気を遣われたのか、あの後この部屋を訪れるものは誰もなく、お兄ちゃんと2人きりだ。
お兄ちゃんは相変わらず、見慣れた無防備な寝顔を私の前に晒している。
……
いつもなら、いくらでも見ていられる大好きな寝顔だ。
しかし自分勝手に連れまわした結果のモノだと思うと、どこか胸が痛い。
昔からそうだった。
誰かの為にとなると、自分の事を省みないところがある。
あの時もそうだった。
中1の頃、胸の事でイジメられ呼び出された時の事だ。
同学年の女子に囲まれたわたしの前に、自分が後でどういう誹りを受けることなど考えず、眼帯包帯夏なのに黒革ジャケットに身に包んで現れたのだ。
まるで電波を受信したかの様な支離滅裂な言葉を紡ぎ、その場の皆を追い払ってくれたっけ……
今、皆が”獣”について動いている。
こんな時お兄ちゃんならどうするだろう?
わたしに何が出来るだろう?
無力感に苛まされ、膝を抱えて小さくなる。
「……?」
ふと、その拍子に何か違和感を感じた。
「あ……」
ポケットから出てきたのは、昼間ふゅーちゃんに渡してもらったものだ。
ウィスキーボンボン―飲む福祉コラボ・トりプルレモン味―
すっかり忘れていた。
体温ですっかり溶けて、包装に包まれたそれは平べったくなっていた。
様変わりしたとはいえ、そのおいしさに変わりはないだろう。
お兄ちゃんならきっと――
「んっ!」
パンッ! と顔を叩いて気合をいれる。
こんな時、お兄ちゃんなら皆の所に駆け付けるだろう。
そして、どうにかしてしまうに違いない。
だけど、今は私が連れまわしたせいで動けないでいる。
もし起きた時、皆に何かあったりしたら――
そんなことさせない。
きっとお兄ちゃんなら……どうするかなんて鮮明に思い描くことができる。
今までずっと近くで見て来たんだ。
わたしが何とかしないでどうする?
でも、とか。だって、とか。
そもそもどこに行けばいいだとか。
言い訳とかはもういい。
目を瞑れ。思い描け。
なんて事はない。
――ただ、お兄ちゃんの模倣をするだけでいい。
イメージするのは理想の姿。
いつもわたしの世界を変えてくれた、あの――
「――体は、福祉で」
自分に暗示をかけ、飲んだ時のお兄ちゃんになりきる。
お兄ちゃんのように目で見て歪みを感じることなんて出来はしない。
だけど私には、長年に渡って鍛えてきたものがある。
――そう。
「――歪みが匂う」
違和感を感じる匂いを辿るなら、誰にも負けない。
お兄ちゃん、わたし頑張るから。
だから、ゆっくり休んでて。
包装から溶けてゲル状になっているチョコレートを取り出し、指に取る。
それをお兄ちゃんの口にちゅぽんと入れる。
「ん……ちゅぷっ……」
んんぅっ!
条件反射か指を舐められびっくりした!
なんだかイケナイ気持ちになってきちゃう!
そんな気持ちを振り払うため、貴賓室を足早に飛び出した。
――――
――
「ゆがみを……かんじる……」
その呟きは、締まる扉の音にかき消された。
いつも応援ありがとうございます。
令和最初の更新になります。今後もよろしくお願いしますね。
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更新頑張れ!
ストロングだからゼロだ!!
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今夜のお供もトリプルレモンでっ!!











