第67話 其は紺碧の幻の衣
「副部長ッ?!」
「うぉおおおぉおん! うぉおおおぉおおおぉおんっ!!!!」
まさか! という思いと共に柔道場に滑り込んだ。
そこには頭を抱えて亀の様に縮こまり、男泣きに泣きくれる副部長がいた。
正に野獣の咆哮。
身長2メートル、体重120キロ超の巨漢が赤子のように泣き崩れる光景は、滑稽を通り越してどこかうすら寒くすらあった。
「おで、おでは……取返しのつかないごどを……」
「副部長!」
「気を確かに!」
「一体何があったんですか?!」
他の部員達も、どうしたものかとオロオロしている。
まさか、既に"獣"を飲んでしまってその副作用とか?
こんな恥や外聞をかなぐり捨ててまで泣き叫ぶなんて……ッ!
昨日までは、確かに普通だったのだ。
『もっと痩せやがれです、このデブッ!』
『ありがとうございますっ!』
脳裏に浮かぶのは、夏実ちゃんに投げられていた副部長の姿。
顔は幸せいっぱいという表情で、受身も取らず地面に叩き付けられ顔面から色んな汁を撒き散らす。
……
あ、うん。普段から既にアレだった。
普通って何だろう?
「い、一体何が起こってるんだい!?」
「龍元先輩!」
「「「ッ?!」」」
副部長の咆哮が気になったのか、龍元結季先輩がやってきた。
人の上に立つ事に慣れているのか、凛々しく辺りを睥睨する様は非常に似合っており、頼りがいさえある。
その姿に思わずため息をついてしまうほどだ。
実は龍元先輩といえば風紀委員と縁が深い。
去年までずっと風紀委員長をしていたのだ。
今年は受験の年なので退いているが、こうした事件に首を突っ込むのは、彼女の正義感からなのだろうか?
そんな先輩の登場に驚いたのか、副部長達も少し落ち着きを見せる。
「大橋秋斗君、これは一体どうしたんだい?」
「いえ、俺にもさっぱり……」
そういえば最近、先輩とよく遭遇する気がする。
しかもなんか名前覚えられちゃってるし。
嬉しい反面、少し複雑だ。
俺はかぶりを振り、知らないという意を示す。
だが、あれほどの絶叫だ。
何かとても重大なことが起こったに違いない。
「副部長、一体何があったんですか?」
「うぅぅ、うぁ……おでは、おではなんてことを……」
落ち着きを取り戻したと思しき副部長にゆっくりと話しかけるも、再び涙を流し始める。
何かを悔いているかのような表情で、口にするのも憚っている様子だ。
「さっきからこんな様子で……」
「朝練始める前は普段どおりでした」
「それが、朝練が終わってからずっとこんな感じで……」
他の部員達からも、ずっとこの調子だという。
先ほどの咆哮は、無理に聞き出そうとしてパニック状態になったらしい。
やはり、人に言えない事なんかを――
「キミは何か、いけない事をしてしまったのかい?」
「あ……あ……龍元さん……」
「先輩?」
泣き崩れる副部長に、龍元先輩がまるで聖母のような優しさで包み込むように言葉をかける。
普段の己を律している毅然とした態度からは予想も付かない穏やかな雰囲気に、思わず言葉を失った。
なんだろう?
先輩の何かが変わったような……?
いや、それよりも今は副部長だ。
「大丈夫、誰もキミを責めはしない。そうだろう?」
そう言って、慈愛に満ちた顔で同意を求め辺りを見渡す。
先輩、こんな顔もするんだ……
そんなギャップの不意打ちに、思わず胸がドキリと高鳴ってしまう。
「そ、そうだよ副部長!」
「オレ達ずっと一緒に修行してきた同志じゃないか!」
「水臭いぜ、なんでも相談してくれよ!」
「みんな……おで、おで……実は……」
皆の力になりたいという思いが伝わったのか、副部長の表情が変わっていく。
そして決心したのか、顔を引き締め口を開いた。
「おで、実は……夏実様のおパンツを見てしまったんだ……」
「「「あ゛???」」」
そして、一瞬にして柔道場の空気が変わった。
「き、今日はスパッツを履いていなくて、それでその、スカートから黒っぽいものが……」
「……」
「……」
「……」
……
え、えーと?
いつも短い丈のスカートだからね? 見えることもあるよね?
でもそれって夏実ちゃんの不注意的なものじゃ?
見てしまったって、それ?
そうか、夏実ちゃん黒なのか。
あどけない顔のくせにそんな大人っぽい……って違う!
確かに女の子の下着を覗くなんてイケナイことだが、絶叫するほ――
「目を抉り取りましょう」
「そのまえに去勢だな」
「剣道部にいって介錯の手伝い頼んでくる」
「まてまてまて!」
だが、部員達の目はマジだった。
粛々と荘厳な儀式を執り行う、使命感すら感じさせる神官の表情だった。
自分の仕事に誇りを抱く、死刑執行人と言ってもいい。
「大橋さん、夏実様のスカートは御簾と同じです。我々下々の者が直接目に触れてはいけない」
「下賎な我々の目に触れる、すなわちその格と言うべきものが貶められてしまう」
「早急にその汚点をそそぎ、返上しなければなりません」
「おで、おでぇ……」
お前達にとって夏実ちゃんのパンツは何だというのか?
頭が痛くなってきた。
ほら、龍元先輩も呆れ――
「確かにそれは死んだほうがいいね」
「先輩っ?!」
とてもにこやかな笑顔で、物凄いことおっしゃってません?!
「よ、よよよ嫁入り前のふふふ婦女子の下着をみみみ見てしまうとか言語道断だ!!」
「待って、先輩待ってその刀はなにっ?!」
「倶利伽羅角砕。我が家に伝わる名刀だよ」
「銘じゃなくて!」
「だだだだだって下着見れるとか、赤ちゃん出来ちゃう!」
「出来ないから!」
顔を真っ赤にしながら、だから早く切り落とさねばと呟いている。
先輩の保健の知識は一体何歳で止まってるのかな?
って、どんどんと切腹の準備を進めないで?!
白米にお湯? 湯漬け? 扇? 切腹前に必要?
どうしてそんな作法に詳しいの?!
「大橋さん、切腹は慈悲なんです」
「今まで副部長として活躍してきたからこそ、その名誉が与えられているのです」
「大丈夫、後は俺たちに任せろ」
「介錯は不肖、この龍元結季が承ろう」
「おで、おで……うぅぅ……」
制止の声も聞かず、着々とその準備が進んでいく。
そんな時だった。
「何やってるんすか?」
夏実ちゃんだった。
更なる事態の混迷に、俺はそっと天を仰いだ。
梅雨が近い空は、俺の心の様に曇っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「はぁ、それで切腹ですか」
「もはや死しか」
「しかし、これまで副部長を務めた功績も見過ごせません」
「夏実様、何卒切腹の栄誉を!」
夏実ちゃんだけじゃなく、やってきたというか集められた柔道部剣道部員達にも事情説明がなされた。
あれ、なんか他校の生徒も混じってるような……
ともかくこの場を支配するのは、禁忌を犯してしまった咎人をどう断罪しようかという空気だった。
夏実ちゃんの不興を如何に買わないように腐心しているとも言える。
だが、その夏実ちゃん本人は呆れたような顔をしていた。
そりゃそうだろう。
「はぁ、お咎め無しでいいっすよ」
「ですが!」
「示しがつきません!」
「ケジメが!」
「おで……おで……」
だが、周囲は納得いかないといった様子だ。
「乾君、もっと自分を大切にしたほうが良い。下着を見られたからには打ち首が相場と決まっている」
って、先輩も何言ってるの?!
「夏実様!」
「夏実様ッ!」
「ナツミ様!」
どんどんヒートアップしていき、もはや血を見ないと収まらないかのような雰囲気だ。
何これ怖い。
皆抑えて?
夏実ちゃんも困って――え?
「お前等ごときにパンツを見せるわけねーってこと、わかりやがれです!」
ズゴォアアアァアアァアァッ!!!!
殺気にも似た気が解き放たれた。
そのあおりを受けた部員達は全員地に伏せてしまう。
怒り……そう、これは怒りだった。
表面上にこにこ笑顔を崩していないが、夏実ちゃんは確かに怒りを感じていた。
「自分は既に先輩に捧げた身、命令されない限り誰かにそんな姿を見せるわけがねーです」
「なるほど一理ある。それに主君へのそれほどの忠誠、天晴れだ」
「先輩?!」
何、納得してるの?!
あとそんな命令しないからね?!
「で、ですが夏実様! 恐れ多くも副部長が見たものは……ッ」
「特別サービスです、とくと見やがれです」
言うや否や夏実ちゃんはスカートの裾に手を掛け、大胆に捲り上げていく。
そこに羞恥の姿はどこにも無く、あまりに堂々としていて目をそらすのを忘れてしまったくらいだ。
「「「「んなっ?!」」」」
「な、夏実ちゃん?!」
「止めるんだ、乾君! 女子がそんなはしたない真似――」
「お、おしまいだ」
「ああ、見てはいけないとわかっているのに目が勝手に……」
「くぅ、副部長! 追い腹してお供します!」
「待て、よく見ろあれは!」
「下着じゃない……?!」
「ま、まさかあれは……ッ!」
「知っているのか来出さん!」
「ブルマーだ!!!」
「「「「な、なんだってッ?!」」」」
それは臀部にぴったりとフィットした、フルバックタイプのショーツだった。
かつて女生徒の体操着と採用されるも、21世紀初頭にその全てが廃止された伝説の衣だった。
もはや二次創作などでわずかに存在が示唆されるのみの幻の存在――それが、ブルマーだ。
なるほど、深い紺色のそれは、スカートの影で覆われれば黒に見えなくもない。
「ば、馬鹿な! 存在していたなんて!」
「紳士ゲームや紳士漫画でしか見たことのない、あの?!」
「あのナイロン生地、そして伸縮性……俺にはわかる、あれはただのコスチュームではなく、本物だと!」
「本当か、獅子先輩!」
「自分、実家が田舎なんですよね。だから近所でまだ在庫が残っていたりして……だから本物ですよ、これ」
「「「「――――ッ!」」」」
平伏す。
そう、その場に居た全ての男が敬意を払い平伏した。
それはとても尊いものに対する、自然と湧き上がる思いを形にしたものだった。
あ、俺も平伏した方が良い?
ダメ? 示しが?
あはは……そっかー。
……
…………
なんでやねん。
「ところで先輩、何か言いたそうな顔をしていますが?」
「あー、その――」
そんな事を夏実ちゃんに言われた。
目の前にはスカートを捲くり上げブルマーを見せる夏実ちゃん。
そしてそれを平伏して崇める男の集団。
はっきり言ってカオスだった。
色々言いたいことがある。
うちの部、大丈夫か?
だけど、それを言うのは野暮だろう。
それより今は他に気に掛かっていることがあった。
「"獣"って薬の事知ってるか?」
「"獣"……ですか? いえ、知りませんが」
「なんでも厄介な薬らしい。昨日の通り魔事件にも関わってるし、美冬の友達も怪我をしてな」
「へぇ、美冬お姉さまの……聞きました、皆?」
「「「「うぉおおぉおおおおおぉおおぉおぉっ!!!」」」」
それは道場棟を揺るがす大合唱だった。
「大橋さん直々の命令、謹んで拝命します!」
「柔道部17名、剣道部22名、鎌瀬高柔道部33名、全員動けます!」
「全員隊ごとに並べ! 牙、爪、脚の隊は待機! 目、鼻、尾の隊は先行して調査へ!」
「おで、がんばる! おで、ばんかいする!」
余程訓練されたのだろうか?
一糸乱れぬ集団行動は見ていて気持ちいい……っていうか、皆一体何をし始めるつもりなの?!
「先輩、今回はこちらから打って出るんですね! 血が騒ぎます!」
「あの、夏実ちゃん? 危険なことはダメだよ? 怪我とかダメだからね?」
「聞いたっすか、皆? 先輩は完全勝利をお望みです!」
「「「「うぉぉおぉおおおおぉおぁあぁあああああぁああああっ!!!」」」」
「あの、皆? 聞いてる?」
俺の言葉は華麗にスルーされ、どこか軍隊じみた秩序をもって、皆はどこかへ散開していく。
なんだろう、これ。
柔道何て個人戦の競技より、シンクロの様な集団競技の方が向いているんじゃないかな?
ほら、龍元先輩もわなわなと震えてるし、ツッコミどころが満載過ぎて――
「あ、秋斗君! 私もその"獣"騒動について調べるの手伝うよ!」
「え、あ、はい」
「こ、これで私たちはその、戦友……みたいなものだな!」
「お、おう。そうですね」
「んふふっ」
その場の空気にあてられたのか、先輩もそんな事を言い出す始末だった。
どうしようこれ、収集付かないぞ……
……
まぁでも、俺達は所詮高校生だ。
色々やったところで出来ることは限られているだろう。
皆その薬に気を付けて、怪我さえなければいいや。
――そう考えていた時期が俺にもありました。
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ストロングるからゼロった!!
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明日は月曜日、だから休肝日でっ!!











