第66話 まるでそれは
「大丈夫、宇佐美さん?」
「あ、うん……」
その後宇佐美さんは、声を掛けて軽く肩を揺さぶる程度で目を覚ましてくれた。
密室で気絶した女子と2人きりという状況を避けられ、俺は安堵した。
「あのね、言い間違いだから。大橋さんがお父さんっぽいとかそういうんじゃないから」
「うんうん、わかってる」
宇佐美さんは顔を真っ赤にしながら、涙目で俺に訴えた。
うさぎの尻尾の様なお団子頭がふるふると横に揺れる。
決して俺が老けて見えるわけじゃないと思いたい。
だから、ただの言い間違えだという弁を、全力で信じてる。
「ところで、嵯峨先生と薬というのは?」
「あのね、運動系武道系のクラブの人を中心に、変な薬が流行っているの」
「変な薬?」
「それを飲むと普通じゃなくなるというか、とにかく、異常なの」
どうやら最近、妙な薬が流行っているらしい。
通称"獣"。
服用すると集中力が高まり、思考もクリアになって、まるで時の流れを遅く感じたりもするらしい。
さらには細胞が活性化するのか、痛みに強くなったり怪我の治りが早くなるのだとか。
まるで生まれ変わったかのようになる――
はて、生まれ変わる?
どこかで聞いたような……?
「うちの部でもタイムに悩んでいた先輩や、事故で怪我をしてしまった子がその薬を手にしてからおかしくなっちゃって……」
「具体的にどうなったんだ?」
「完治してないのに痛みを感じず走り出したり、やたら声が大きくなって同じ話を何度もしたり、すぐ感情的になって他の人に絡んだり、とにかく性格が好戦的になってる気がするの」
「何だそれ、まるで酔っ払いみたいだな」
そんな薬なんかより、どうせ飲むなら福祉にすればいいのに。
そして福祉を飲まされる時はね、なるべく誰にも邪魔されず、自由で、なんというか救われ――って、俺は何で福祉を語ってるんだ?
「大橋さん?」
「いや、なんでもない」
「それでね、しかもその薬って依存性が高いみたいなの」
「……なるほど」
その薬を求めて、昨日の通り魔事件に繋がるというわけか。
今までの話の流れ的に――
「嵯峨先生が、その薬を渡していると」
「そうなの。これが……」
「まさか……」
「"獣"なの」
渡されたのは小さな紙袋。
中には錠剤の入った小瓶。
おいおいおい、どういうことだ?
「その薬はね、私みたいにちょっと訳ありな人に渡されてるというか」
「訳有り? 奨学金が絡みのあの事とか?」
「柔道部の人がとても敵わない強豪校と練習試合になったって聞いて……」
そして宇佐美さんはどこか恥ずかしそうにしながらも、深刻そうに声を絞り出した。
「私のスパイクの時の様に、罠だと感じたの」
「嵯峨先生がそれを仕組んだ?」
嵯峨先生か。
確かに俺は彼に対して歪みのようなものを感じた。
思い出すのは、かつての呼び出しの時に言われた言葉。
『先生なら、大橋君を何とかして上げられる』
『つまり、君が加藤君並の黄金な結果を出せば、文句を言ってくる人達は黙るんだ』
『もし、勝てる方法があるとすればどうする?』
今思えば、俺にその"獣"を渡そうと誘導していたようにも思える。
だが、それは俺が感じた歪みとは別のモノのような……
ともかく、今の宇佐美さんの置かれている状況はあまりよくないようだ。
もし"獣"を持っていると知られたら襲われるかもしれない。
そして宇佐美さんが持っているということを確実に知っている人物がいる。
渡した本人の嵯峨先生だ。
一体何のためにこんな事を?
「だから、大橋さんや柔道部の人達は気を付けて」
「ああ、この間の練習試合で怪我をした人もいないし、大丈夫だとは思う」
「それでも搦め手で何か罠を張られるかもだし……実際、私の後輩の子がその……」
「宇佐美さん……」
自分も非常に危うい立場にいるはずだ。
だけど、怯えながらも何かをしなければという意思を込めた瞳は、彼女の力になりたいと思わせる。
誰だって、頑張る人を応援したくもなるだろう?
きっと、宇佐美さんはこの事を知ってしまって、何かしなければという思いに突き動かされているのだろう。
俺だってそうだ。
普段気弱な宇佐美さんが頑張ろうとしているんだ。
どこかで無理をしているのかもしれない。
目の前で握りしめられたこぶしは震えているし、気弱な相貌のまつ毛は揺れている。
だけど俺の為、そして彼女の後輩のために何かしたいという気持ちは伝わってきた。
その気持ちはとても尊いものだ。
だからこそ、何とかしてあげたいって思う。
これが小春や美冬、夏実ちゃんだとしてもそうだろう。
あの遠慮とか躊躇とかそういった慎むというか超えてはいけない一線というか、そういったものを軽々と超えては蹂躙するというかその……
だめだコイツラ何とかしないとという想いに――あれ、何かおかしいな?
それはともかく俺を気遣ってもくれた、この幼馴染の友人に何かをしてあげたいと思うのは自然なことだろう。
だから俺は、こんな事を口に出していた。
「安心して。あとは何とかする。後輩の事についても教えてよ」
柔道部の皆に声を掛けて手伝ってもらう事になるかもしれない。
だけど、こと"獣"という問題に関しては、柔道部にも関係あることなのだ。
俺が頭を下げて誠心誠意頼めばなんとかなると……いいなぁ。
そして宇佐美さんは、この言葉が意外だったのか、目を丸くしていた。
「大橋さんって、妹さんと似てるのね」
「え、小春と?」
帰ってきた言葉は、予想外だった。
俺と小春が似てる……?
「大橋さんとね、同じ事を言ったんだ」
「こ、小春の奴が……」
なんだよ、それ。
いつの間にそんな事をとか、気恥ずかしいとか、危ない事してるんじゃないなとか、色々あるけれど。
眩しそうに微笑む宇佐美さんを見ると、悪いもんじゃないなって思った。
「よ、よし、教室に戻ろう、宇佐美さん」
「う、うん」
そんな気恥ずかしさを隠すかのように、多目的教室の扉を勢いよく開けた。
「あ」
「……美冬?」
開けたら、そこにはスマホのカメラ部分をこっちに向けていた美冬がいた。
その顔はどこか興奮に彩られており、何かを期待している目というか、ぶっちゃけ出歯亀だった。
「なにやってんだ……?」
「あのね、あきくんが大人になっちゃうところを記録しなくきゃって使命があったの!」
「お前一体何言っちゃってんの?!」
「美冬ちゃん?!」
◇ ◇ ◇ ◇
妙な薬が蔓延しており、それを仕組んだものがいる。
そんな歪みがあるのか、なんて思いつつ放課後の廊下を歩く。
目指すは柔道場、部活に向かっている最中……なのだが、今日は今朝から宇佐美さんの言葉を思い出しては心にひっかかっていた。
「あ? お前オレの事馬鹿にしてんの?」
「だって、タイム残せてねーだろ」
「何っ?!」
「はっ!」
……あれは水泳部の連中か?
剣呑な雰囲気でお互い火花を散らしている。
「雑魚が! 一回オレに勝ったって調子乗るなよ!」
「私は別に調子にとかそんな……」
「てめぇなんかより、オレの方が強いんだ! 今すぐ勝負だ! 飛車角落ちで勝ってやる!」
「ねぇ、元の将棋が好きだった先輩に戻ってよ……うぅ」
「うるせぇ!」
今度は将棋部のいざかいらしき声が聞こえてくる。
うぅん。
確かに、よくよく周囲に気を配ってみれば、なんだか校内の空気が淀んでいるような気がする。
もしかして、これが例の薬の影響だっていうんだろうか?
うちの部ではそんな妖しい薬に手を出している人はいないと思――
「うぉぉおおおぉおおぉおおおぉおんっ!!!」
突如、道場棟の外にも響き渡る絶叫が響き渡った。
絶叫というより号泣と言ったほうがいい。
まるでこの世の終わりと言いたげな嗚咽を時折漏らし、聞いているだけでその悲壮感の強さが伝わってくる。
しかもこの声、聞き覚えが――副部長?!
俺は慌てて柔道場を目指した。
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