第36話 お泊り会③
――なので、aは2を代入して、答えは1。はい、これでおしまい! ふぅ。
最後の数学の課題演習の答えをノートに書き込み、大きく一つ息をつく。
これで2教科目終わり、と。
「そろそろ休憩いれるか?」
「さ、賛成!」
物凄い勢いで東野さんが食いついてきた。
2時間近く集中してたし、疲労も溜まってるのかもしれない。
小春と美冬もなんだかやたらと疲れた顔をしてるし、夏実ちゃんに至っては身悶えしている。
もっとも、小春と美冬は変にお互い張り合ってだし、夏実ちゃんは正座で足が痺れているだけだが。
「東野さん、汗かいてるけど大丈夫? 暑い?」
「い、いつもこんな感じなんですか?」
「こんながどんなかはわからないけど、比較的大人しい方かな?」
だってちゃんと課題こなしてるし。
そう答えた俺を、東野さんに何か信じられないものを見る目で見られた。
あはは。
三獣士と一緒に居るのは色々大変なんです。
コツは、あまり深く考え過ぎないこと、かな?
「まぁ、後半は大橋さんや押隈先輩が男の子だと思えば余裕で耐えられましたが……ぐへへ」
「あ、はい」
小春の友人を標榜するだけあって、東野さんもどこか逞しかった。
どこか腐っ……発酵した香りが漂った気がした。
発酵って怖い(※福祉含む)。
そして、「あ!」と何かを思い出した風な東野さんは、荷物から紙包みを取り出す。
「私もお土産持って来てたんですよ。楠園堂の和三盆ロールケーキ」
「…………え?」
なん、だと……?
「あ、あれ? 嫌いでした?」
まともな手土産で感動してただけです。
「そ、そんなことないぞ! それは俺が切るから、お茶淹れるの手伝ってくれないか?」
「わかりま――しいっ?!」
「こら、東野さんを威嚇しない! 小春はテーブル、美冬はお皿、夏実ちゃんは……その、足の痺れ取ってて……」
一瞬、不服そうな顔をしかけた小春と美冬にも仕事を振る。
野放しにすると、お茶に福祉混ぜそうだしな。
……
暗殺や毒殺に怯えた権力者ってこういう気分だったのだろうか?
そんなくだらない事を考えながら、キッチンで包丁を取り出して切り分ける用意をする。
そういや、美冬は楠園堂のキンツバ好きだったな。
……うちに来た時に見えた泣き跡は、気のせいだったのだろうか?
思わず美冬に視線が行ってしまう。
「あきくん、どうしたの?」
「いや、なんでも」
うん、いつも通りの美冬だ。
動きは遅いくせに淀みなくお皿が取り出されていく様子は、まるで魔法に見える。
そういや美冬って、昔から家庭科の授業での裁縫とかでも、鈍そうな動きなのにやたら仕上げるの早いし上手いんだよな。
案外、女子力が高っ――
「いっつぅー……って、ああぁああぁあっ?!」
「お兄ちゃんっ?!」
「先輩っ?!」
「お兄さんっ?!」
余計なことを考えて余所見もしていたからか、ざっくりと指を切ってしまった。
景気良く血が零れだしてロールケーキに掛かってしまう。
思わず大きな声を出してしまった。
「ごめ、せっかくのロールケーキに……」
「そんな事どうでもいいので、早く消毒を!」
「お、お兄ちゃんの血がかかったのはちゃんとわたしが食べるから!」
「先輩、自分絆創こ……をおぉあぁああ足がぁっ?!」
東野さんがびっくりしてやたらと慌て、小春は動揺からかどこかズレたフォローを言い、夏実ちゃんはやっぱり足が痺れたままだった。
見た目は派手に出血してるけど、それほど慌てるほどのものでもない。
「美冬、悪いけど救急箱……美冬?」
「はむっ……」
パキッ。
まな板の上に置かれたロールケーキに掛かった血が凍った。
「んちゅ……れろ……んっ……」
「みみみみみみ美冬さん?」
音もなく忍び寄った美冬に俺の腕が取られ、患部がその口の中に収められていた。
小春や夏実ちゃんの唖然としていた瞳の色が、動揺から激情へと塗り替えられていくにつれ、周囲の温度が更に下がっていく。
血の凍るようなっていうのは、こういうのを言うのかな?!
まるで-196度の極寒の風に襲い掛かられたような感じがした。
「ぺろ……ん……」
「ちょちょちょちょっと、なに直接兄汁を舐めてるのよ?!」
「ぺろぺろですか?! まじぺろずるいっすよ?!」
「あわ、あわわわわわ」
しかし、美冬はそんなこと知ったことかと一心不乱に傷口を舐めまわす。
……なんだこれ?
今まで想像したこともなかったその行為は、ひと舐め毎に俺が抱いたことのない感情へと塗りつぶしていくかの様だ。
ぶっちゃけ、ちょっと興奮する。
……
おいおいおいおい!
「美冬、大丈夫だから離してくれ!」
「ちゅ……あっ……」
そんな自分の中の変化に恐怖めいたものを感じ、強引に美冬を引き剥がした。
だが、美冬の視線はてらてらと艶かしく銀糸を引いた指先に釘付けだった。
「ふゅーちゃん、ちょっと!」
「美冬お姉様ずるい!」
「あわわわわわ」
「そんな深く切ってないし、こんなの――」
「だめだよ、ちゃんと治療しないとっ!!」
普段のおっとりした感じからは信じられないほどの大声だった。
涙と同じく、俺の中のイメージにない美冬の姿に、たじろいでしまう。
「こんなに血が出てるよ? ダメだよ? 安静にしなきゃダメだよ? ね? あたしが面倒みるから。ちゃんと治すから。付きっきりでみるから。だから、ふらっとどこか行っちゃだめだよ? あたしを置いていかないで?」
「み、美冬?」
鬼気迫る、という言葉はまさにこれだと言わんばかりの表情で俺に縋りついてきた。
あまりの変化に俺も困惑するしかない。
あの時の見た涙の跡と何か関係あるのか?
そんな思いが脳裏をよぎる。
「そうだ! 安静にしなきゃいけないよね、それがいいよね! 細かいことはあたしがなんでもお世話するから! なんでも! だから安静にしないとね! 傷が残ったらあたしが働いて一生養うから!」
「ちょっ、やめ!」
ガシャリ。
どこに隠し持っていたのか、手錠とか拘束具が手足にかけられた。
…………え?
先程のお皿を出す時と同じように、トロくさいが淀みのない動きでロープやチェーンを使って俺を拘束していく。
おいおいおいまてまてまて。
「ふゅーちゃん、お兄ちゃんに何するの?!」
「そうですよ、縛るなら自分にしてください!」
「ちょっ、それは! 先輩たち上級すぎるなー!」
さすがに異常な事態を察した小春と夏実ちゃんが美冬を物理的に制止し、2人に言われた東野さんが俺の拘束を解いていく。
「やめて! 邪魔しないで! あきくんが傷物になっちゃう!」
だけど、聞き分けの無い子供の様に、美冬は2人に抵抗していた。
「こんなの絆創膏でも貼っておけば大丈夫だから!」
「ホントに? ホントにホントにホントに?」
指先よりも、ぎゅうっと拘束具で締められた手首の方が痛い。
赤くなった手首を自分で擦る。
ていうか、一体どこに隠し持っていた?!
それよりこんな場面見せられて、東野さんドン引きしてい――
「縛られる筋肉……誘い受け……むはぁっ! この滾る思い、紙にぶつけたい……あっ!」
――るどころか興奮して鼻血を出していた。
「お兄ちゃんの血だからね、い、妹として責任をもって始末しないとねっ」
「み、みみみ美冬お姉様、この拘束具ちょっとだけ使ってみていいですか?!」
小春は何故か地面に垂れた血をふき取ったティッシュを仕舞い込み、夏実ちゃんは拘束具に興味津々だった。
…………
今度は俺の血でなく、しょっぱい水滴が床を叩いた。
混沌の中心で、哀を嘆いた。
みんな、逞しいな……
※血液の凍る温度は-18度だそうです。
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今夜のお供トリプルレモンでっ!











