第19話 4.19事件②
その日の午後の授業は、みんな非常に集中していた。
「ここのthatは関係代名詞になり、直訳すると『お米が無いとかそりゃないぜトーマス!』になるが――」
「…………」
「…………」
「…………」
「ここまででわからない奴はいないか? ……お前達、今日はやたら静かだな?」
英語の先生は訝しげな表情で教室を一瞥する。
狐につままれた様な声色だ。
とにかく、皆は真剣だった。
授業に逃避していたと言ってもいい。
「で、このカッコ内に入る前置詞は何か……押隈、わかるか?」
「はい」
押隈。
この単語で教室中に緊張が走った。
中には顔を青褪めさせガタガタ震えだす女子もいる。
それだけ、先ほどの出来事は鮮烈だった。
「onです」
「そうだ。ここはon the riceになり、トーマスの大食いキャラが――」
俺と目が合った美冬が、恥ずかしそうに手を振ってくる。
何もしないのもあれなので、ぎこちなく手を振り返す。
そんな甘ったるいやり取りを揶揄する視線はどこにもなく、皆は全力で美冬から目を背けていた。
そんな美冬はといえばガールズトークに行った後、お昼休みも終了間際に戻ってきていた。
教室中を阿鼻叫喚の修羅場を演出した空気はどこへやら。
いつもの、少しトロくさそうで気弱にも見える美冬に戻っ……豹変していた。
「ごめんね、あきくん。あたしちょっと不安で情緒不安定になってたみたいなの」
普通の人は情緒不安定になったくらいで、人を気絶させるほどの殺気は放たないと思います。
今日一日で美冬に対する認識が変わった人も多いに違いない。
周囲の同情する目が胸に痛かった。
…………
いやぁ、それにしても今日の授業は静かで集中できるなぁ!
そんな強がりを思う俺のノートの文字は、何故か所々滲んでいた。
◇ ◇ ◇ ◇
放課後、これほど皆の帰宅や部活で教室を辞する速度が早かったことがあっただろうか?
蜘蛛の子を散らすという表現への理解度が高まる。
ターゲットを分散させて生き残りやすくすると言う動物の本能なのかもしれない。
しかし残念ながら、美冬のターゲットは俺だけだった。
「あきくん、今日は部活だよね?」
「あ、あぁ。それが?」
「ううん、なんでも」
違うよ~と言いたげに可愛らしく両手を振り、はにかみながら答える美冬。
どこかそわそわした様子が可愛らしいはずなのに、何か罠を仕掛けているのか警戒心を抱かせる。
教室に残った面々はそんな猛獣を警戒し、注目しつつも刺激しないように息を潜めていた。
何この状態?
あの、柔道部の中西君? そんな目はやめて?
俺は殺気とか闘気とか出せないから。
違うから。テイマーとか意味わかんないから。
なんだか先の現場に居合わせたクラスの皆は、俺への見方が変わった気がする。
が、先の事件を知らない部活の面々は態度が変わっていなかった。
「よぉ、大橋。今日夏実ちゃんが来てないんだが……わかってるな?」
「大橋、お前はやっちゃいけないことをやった。わかってるな?」
「おおお大橋、き、きさまにおっぱ……夏実ちゃんををおお許せんっ!!」
「ひ、ひぃいっ」
むしろ変わってなくて安心安し……するわけねぇ!
そう、夏実ちゃんは数少ない女子部員として部員の皆に可愛がられているのだ。
首輪を付けられていた事を知った皆が、どういう行動に出るか予想に難くない。
怒りも露な部員達は、手をポキポキ鳴らしながら取り囲み迫ってくる。
あははー、着替える時間くらい待って欲しいなぁ。
あとおっぱい言うたやつ、お前だけは全力で反撃するからな!
「大橋、楽しい乱取り稽古しようや」
「大橋、腕の1~2本は覚悟してるよな?」
「大橋、夏実ちゃんの痛み、俺達が……ッ!」
俺は投げられる覚悟を決め、どう受身を取るか頭の中でシミュレーションをしだしたその時――
「大橋"さん"だろうがぁああぁーッ!!!」
「ぶぇらっ?!」
「ちょ、お前何をっ?!」
「な、中西君?!」
身長2m越え、体重120kg超、部内だけでなく校内一大柄な副部長が、軽やかに宙を舞った。
不意打ちだったのか受身も取れず、モロに頭から着地して目を回している。
……耳からちょっと血が出てるけど、大丈夫だよな?
投げたのは、先ほど教室で昼練に誘っていた中西君だ。
「だ、大丈夫ですか、大橋さん?!」
「え、えぇと?」
昼間、色んな屈強な方々をつれて威圧してきたとは思えない身の変わり様だった。
まるで忠義に厚い清廉な騎士の様に、俺を護ろうと立ちはだかる。
「おい中西、お前一体何をやってるか分かってんのか?」
「まさか大橋のやつを庇うつもりじゃないだろうな?」
「もしそうならお前も一緒に……」
「うるせぇ、お前ら黙ってろ!!」
「「「ッ!!??」」」
ブルりと一瞬身を震わせ、そして何か恐怖を拭い去ろうとするかのように大声で威嚇する。
そして、安心しろ、お前だけは絶対護るぜと俺に目配せ。
…………
え? 何でこうなってるの?
そんな決死の覚悟までして何で俺を助けてくれるの?
「いいかお前ら、大橋さんに傷一つ付けてみろ――――夏実様に殺されるぞ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………は?」
夏実様?
「な、中西? 俺達はその夏実ちゃんが――」
「夏実様、だ」
「な、夏実様が大橋のやつに――」
「大橋"さん"を付けろって言ってるだろうがっ!!」
「って、お前どうしたってんだよ?! ちょっとおかしいぞ!」
「おかしいのはお前たちだ! いいか――?」
中西君はそこで言葉を区切る。
なんだよと言いたげな屈強な柔道部員達を睥睨し、そして何か重大な罪を告解するかのように、まるで怯えながら皆を諭さんとして告示した。
「大橋さんはな――夏実様のご主人様なんだ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………え?」
周囲の空気が狼狽一色に染め上げられた。
うんうん、夏実ちゃんだけに狼狽って言葉がよく似合うね?
「……いや、だからそれが問題で」
「馬鹿野郎! これがどういうことかわかってねぇのかよ!」
「全くわかんねぇよ!!」
「くそっ、おい、分かる奴らもいるだろう?! 昼間一緒に行った、そこの震えてる奴とかさ!」
「ひ、ひぃっ!」
隅の方で膝を抱えていた、部員達がピクリと震える。
そういえば昼休みに見かけた顔がちらほらと。
「夏実ちゃんこわいなつみちゃんこわいなつみさま夏実様夏実様……」
膝と頭を抱えながら涙を流し、許しを乞うかのように夏実様と連呼する。
ぶっちゃけ気持ちがちょっとわかるだけに的確なツッコミが入れられない。
「おい、震えるのは分かるが、大橋さんが傷ついたと夏実様に知られたらどうする? アレを俺達に向けられたとしたらどうするんだっ?!」
「あっあっあっあっ、わ、わかったよ中西君……ッ! 大橋さん、任せてくれ……俺達が指一本触れさせない……ッ!」
「お、おい、お前ら一体どうしちゃったっていうんだよ?」
何故か決死の覚悟で俺を護ろうとする者と、逆に俺を制裁しようとする者で柔道場が二分される。
…………
どうしてこうなった!?
って、夏実ちゃんがああなったちゃったからなんですけどね!
犯人俺だよ、ド畜生ッ!!!
そんな千日手状態に陥ってる柔道場に、威厳溢れる声が響いた。
「おい、お前たち何やってんだっ?!」
「「「獅子さん(先輩)っ!」」」
柔道部の顔である獅子先輩だ。
先ほどうちのクラスでの虎、熊、狼の三つ巴を……何の解決の一助にもならず逃げ帰った記憶しかないな。
獅子先輩は周囲を見渡し、そして俺と目が合った。
きっと何が起こったか理解してくれたと思う。
そしてため息にも似た深呼吸を1つ。
「大橋さん! お疲れ様ですっ!」
「え、えぇぇっ……」
それは見事な、腰を90度曲げた体育会的挨拶だった。
俺を威圧していた連中も面食らっている。
「あ、あのぉ獅子先輩?」
「あいつらがナマやってすいませんっ! おい、お前ら大橋さんに何やってんだ!」
「え、えぇぇ……」
「あとでヤキいれときますんで、どうかご容赦を……あと夏実様にはどうか、どうか……ッ!」
「ちょっと、ちょっと待って? ねえ待って?」
そして止めたげて?
恨んでないから。
言わないから。
夏実ちゃんに言わないから。
だから、その人たちを勘弁してあげて?
見てるほうが痛いから!
「大橋さん、これを」
「獅子先輩、これは?」
渡されたのは手のひらサイズの容器。
ええっと、確かスキットルって言ったりするんだっけ?
やたらと角ばったデザインで、何故か富士山の麓の絵が描かれている。
……なんだか嫌な予感しかしない。
「中には特濃の福祉原液が入っている」
「お前なんてもの渡してんのっ?!」
思わずタメ口でつっ込んでしまった。
「いいか、本当に辛くなったら飲むんだぞ?」
「こんなの渡されても困りますよ!」
「飲めとは言っていない……ただ、心のお守りにはなるはずだ」
「そ、それは……」
そう言われると弱い。不承不承といった感じで受け取ってしまった。
あと、夏実様って何?
どうやら不穏な流れが出来つつあるようだった。
面白い!
続きが気になる!
ストロングなゼロもいいけど、獺のお祭りだ!
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今夜のお供もお正月だし遠心分離のいいやつでっ!











