第18話 4.19事件①
平安末期の源平の合戦や南北朝時代、戦国時代が好きな人は多いだろう。
特に男子。
やっぱり合戦と聞くと心躍るものだしね。
それに日本史の成績が悪くても、この時代だけ異常に良い点を取る人って、いたりしない?
つまり室町初期の授業というのは、熱心に聞く生徒が多いはずなのだ。
「太平記などでは悪逆非道に描かれる高師直は婆娑羅大名とも呼ばれ――」
「(大橋のやつ、中学生に首輪つけて引き摺りまわしてたってマジかよ)」
「(私、例の1年の女子に鬼っ! て言われてビンタされてるのも見たわ)」
「(押隈さんかわいそう……大橋地獄に落ちればいいのに)」
「(一体何がどうしたら、あんな小さい子に首輪させるなんて発想が出てくるんだ?)」
「(俺、同じ男として恥ずかしいよ)」
「――また軍事でも、あの楠正成を破り南朝を……南朝を……なん……」
はずなのだ……
だというのに俺への非難一色の声が、あちらこちらで囁き合われていた。
ほら、皆ちゃんと授業聞いてあげて?!
日本史のおじいちゃん先生が涙目だよ?!
毎年この時代の授業で目を輝かせる男子を見るのが好きだって言ってたよ? ねぇ?!
今朝から一事が万事、こんな調子だった。
居づらいとか肩身が狭いとかいうもんじゃない。
最近『針の筵』という言葉への理解度が一層高まった気がする。
囁かれる言霊が現実を引き寄せるように、クラスの中で俺への憎悪が醸成されていく。
そして、それはお昼休みに爆発した。
「大橋、昼練したくならないか?」
柔道部の面々を筆頭に、ゴツイ体格の人たちだ。
わぁ、入部希望の方々かなぁ?
竹刀やバットを持ってるのは何でなのかなぁ?
にじみ出る殺意を隠そうともせず、俺は取り囲まれた。
「別に、暇しているだろう?」
「え、えーと……」
言いあぐねているうちに、周囲の殺気のボルテージもどんどん上がっていく。
「なぁ、俺達柔道に興味津々なんだ」
「別にここで稽古始めてもいいんだろう?」
「大橋は受身が上手いって聞いてるぜぇ」
「…………ぉっぱぃ」
……あかん、詰んだ。
あとだれだ、おっぱいって言ってる奴は?!
助けて!
誰でもいいから助けて!
「あきくん」
救いの女神は、既に俺のクラスに降臨していた。
「み、美冬」
まるでモーセの如く人波が割れていく様は、まさに俺にとっての救いの女神に見えた。
助けて美冬様!
楠園堂のきんつば、いくらでも奢るから助けて!!
真っ直ぐ目の前まで来た美冬は、どこか思いつめた表情で俺を見つめ――
「あきくん、あたしね、あたし……うぅ……ひっく……うぅ……」
――大粒の涙を瞳からこぼれさせた。
床を一粒濡らしていく度に、教室の空気が俺への怒りから美冬への同情に塗り替えられていく。
…………
待て待て待て待て!
「み、美冬? ええっと、その、大丈夫――」
「……2番でいいの」
「――え?」
頭の中が真っ白になり、そして周囲の空気をも凍りつかせた。
俺の顔色だけじゃなく、周囲の顔色も蒼白になっていく。
生まれて始めて、時が凍りつく瞬間を見てしまった。
出来れば一生見たくなかった。
「あの、美冬さん?」
「何でもします、2番でいいから隣に置いて欲しいの……」
「落ち着いて? ねぇ、落ち着いて?」
2番って何? 野球の事かな? 何人かバット持ってる人いるもんね? あと何もしなくてもいいよ? ていうかしないで?!
「お願いです、お願いします、あきくん……」
お願いです、とりあえず泣き止んでください……出来るなら2番の意味を教えてください……
ぽろぽろと零れる涙を拭おうともせず、懇願し、縋るかのような悲壮な顔はとにかく憐憫を誘う。
男子の中には漢泣きしてる奴までいる。
「美冬可哀想……」
「大橋なんかのために、あんなに努力したっていうのに」
「2番でもいいって、大橋最悪ッ」
「今すぐ腹切って詫びろ!」
「うぉおおおおんっ」
そして、男子だけでなく女子も明確に敵に回った瞬間だった。
俺も泣きたい。
「あはっ!」
そんな通夜か葬式かと言った空気の中、場違いな明るい声が響く。
渦中のペット女子、夏実ちゃんだ。
いや、ペットにしたつもりは微塵も無いんだけど。
「大橋先輩、いますよね?」
空気が読めないのか、あえて読まないのか。
これだけの視線の中を笑顔で歩き、意気揚々と首輪を見せ付けるかのように美冬の前で対峙する。
夏実ちゃんってば大物かな?
その姿は、まさしく弱った獲物にトドメを刺さんとする餓狼さながらだった。
教室の中は、先ほどまでとは違った緊張が支配する。
中には緊張のあまり過呼吸を起こす女子さえいた。
先ほどまで俺と乱取り稽古したがった男子連中でさえ、一歩後ずさっている。
ここにきて、美冬の命は風前の灯以外の何者でもなかった。
男子は天を仰ぎ、女子は手を握り祈りを捧げる。
「お子様が何の用かなぁ? あたし今あきくんにお願いしてるの。引っ込んでてくれる~?」
…………
はっ!?
意識が一瞬、刈り取られてしまっていた。
時が飛んだというか刈り取られたというか。
「あれ、今お花畑が見えたような……」
「去年死んだおじいちゃんがこっち来るなって……」
「おかしいな、春なのに震えと汗が止まらない……」
「みふゆっち? みふゆっちだよね……?」
「と、ともちゃん、目を覚まして?!」
「く、くま……くまくまこわいくま……」
そこには羅刹もかくやという暴れ熊がいた。
余波ですらクラス中に臨死体験をさせてしまう苛立ち混じりの殺気は、自重という言葉を知らないらしい。
そのまま白目剥いて倒れる子もいる。
あまりの変化に周囲は静かに恐慌していた。
しかし夏実ちゃんはそんな殺気を真正面から受け止めて、萎縮するどころか歓喜に身を打ち震わせていた。
え、何この子怖い。
「あはっ! 自分は押隈先輩にお願いがあるんですよ」
「あたしは無いかなぁ」
美冬は目を細め、更に殺気をあふれ出す。
女子だけじゃなく男子まで『ひぅっ』っと悲鳴を漏らしていた。
逃げ出したい。
これが俺を含む教室中の共通認識だった。
その一方で、今動いたモノから殺られる……そんな空気を感じ取り、逃げられないでいた。
餓狼と暴れ熊――この2頭の猛獣の戦いは避けられない。
どうしよう、そんな戦い見たくもないんだけど。
――ダンッ!!!!
その時、この緊張で高まりきった空気を切り裂く音がした。
誰もがその音に救いを感じ、発生源に注目する。
「あんった、たちっ、なに、やってんの、よっ!」
そこには美少女がいた。
長い黒髪を振り乱し、息を切らせながらこちらを睨む。
その様相はまさしく夜叉だった。
漏れ出す闘気と殺気は2人にだって負けていない。
まさにこの場が修羅場になった瞬間だった。
あはは、走ってきたのかな? ダメだぞぅ、小春。廊下は走っちゃいけないんだぞぅ?
バタッ――
俺は人が絶望する時の顔を初めて見てしまった。
あと気絶して崩れ落ちる人間も。
出来ればそんなの見たくもなかった。
「――デレデレしてッ!」
「こ、小春っ?!」
デレどころか、どこに甘い雰囲気がありました?!
周りに問いただすかのように視線を向けると……うん、誰一人俺と目をあわそうとしない。
合っても、こっちに向けるなと非難めいた視線を返されるだけだ。
きっと村八分にされるってこういうことを言うのかな?
「あはっ! 妹さんも堪らないです……自分、妹さんにもお願いがあるんですよ!」
「わたしは無いわ……いいえ、お話はしたいわね」
すぅっと目を細めると共に、周囲の温度が下がっていくのがわかる。
直接威嚇されたわけじゃないのに震えだす女子もいる。
泣かないで?
柔道部の中西君、泣かないで? ほら、男の子でしょう?
俺と昼練するって勢い込んできた時の事思い出して?
「大橋、大丈夫か?! 部員達が昼練でどうじょ……う……」
「し、獅子先輩っ!」
その時、この空気にそぐわない焦った声が教室に響いた。
さすがに部員達の暴走を知った獅子先輩が様子を見に来てくれたのだ。
「あーうん、すまん、悪かった。大丈夫ならいいんだ、騒いで悪かった」
「くっ、このっ、おっさんがぁっ!!!」
だが、3人娘の視線を一同に受け、あっさり引っ込む。
この空気の中発言したと言うだけで、何人かの男子からは勇者の如く拝まれていた。
「ねぇ、押隈先輩に妹さん、少しお話しましょうよ」
「話、ねぇ。おにぃがって言うなら……」
「あきくんが行っても良いっていうなら……」
「あ、あぁ……」
あ、あの? 何で俺の許可が要るようなことになってんの?
「アレの話になるから、場所を変えません?」
「……いいわ」
「行ってくるね、あきくん」
「あはっ、ガールズトークとしゃれ込みましょ♪」
なんだろう、ガールズトークって無差別猛獣大決戦って意味だっけ?
俺の知ってるガールズトークと違うことだけはわかる。
3人の美少女達が胸を揺らしながら、教室を去っていく。
姿が見えなくなった時、教室中に安堵のため息が一斉に吐き出された。
気絶者2名、泣き出す者7名、腰を抜かす者9名、震えが止まらない者25名。
そしてその場に居た者全てにトラウマを植えつけられた。
後に、4.19事件と呼ばれる出来事はこうして幕を閉じた。
だが俺にとっての4.19事件はこれが始まりでしかなかった。
もはやこの場で俺を敵視する者などどこにもなく、あるのはただ憐憫のそれが向けられていた。
面白い!
続きが気になる!
ストロングはゼロもいいけど、かわうそのおまつりだ!
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今夜のお供は年末だし遠心分離のいいやつでっ!











