第132話 桁、間違えてませんか?
件名:バイトの件です。
本文:結季です。
先日お願いしたバイトのことです。
日時は8月1日に変更、午前10時から午後10時までの12時間拘束。
秋斗くんには急遽警備の方を担当することになってもらいました。
警備は慣れないかと思いますが、要は観客の方に流れ弾が飛んでいかないようにしたり、不審者が来ないようにするだけです。
そこは単純に考えてもらって結構です。
それと、12時間という結構な長丁場になってしまって申し訳ない。
その分バイト代は弾みました。
日給180,000円、事務所口座に振込。宍戸グランドホテル入口集合。服務規定なし。
当日は私も龍元家の人間として、現地でお手伝いします。よろしくお願いします。
「…………」
その日の夕方、俺は自分の部屋で眉間に皺を作っていた。
視線の先はスマホの画面。結季先輩からのメールだ。
バイトに関する連絡なのだが、何かがおかしい。
警備になったのはヨシとしよう。
だけど日給18万円って何? 桁が1つ間違ってないかな? 誤植かな? それとどうしてホテルに集合? 宍戸中央アリーナから離れているよね? あとオープニングの日って3日じゃなかったっけ? どうして2日も前のホテルで警備??
わからない。
だが、もう宍戸中央アリーナのオープニングは来週に迫ってきている。
急遽俺にバイトの打診があったということは、いまだそのあたりの人員がちゃんと決まっていないのだろう。あわただしいに違いない。だから色々このメールのようにミスもしているのだろう。
「とりあえず返事しなきゃ。ええっと、『警備の件、大丈夫です。それとバイト代の桁、間違えていませんか? 事務所口座とはなんでしょうか? それから確認ですが、日にちは3日でなくて1日なんですか? それと集合場所はアリーナじゃなくてホテル? 質問ばかりで申し訳ありません、疑問に思ったので、もし間違えているなら確認おねがいします』っと」
こんなもんかな?
考えるのに結構頭を使ってしまった。
ぐぐーっと伸びをすればバキバキと肩が鳴る。小腹も少し空いてきた。
夕飯まではまだ時間がありそうだ。
何かなかったっけ……うち、どうしてかするめとか柿ピーとかビーフジャーキーとかやたらと酒のおつまみっぽい駄菓子が充実しているんだよな……
「あれ、美冬?」
「あきくん」
リビングに降りていくと、そこで神妙な顔を突き合わせている美冬と、そして妹の小春の姿があった。
テーブルの上には筆記用具と何か書類が置かれているが、夏休みの宿題というわけではないらしい。
小春はうんうん唸りながら必死になって紙に何かを書き込んでいる。
「何してんだ?」
「アルバイトの履歴書をちょっとね~、はるちゃんにも書いてもらってるの~」
「へぇ……」
俺はするめを齧りながら答える。
なるほど、美冬も小春もアルバイトをするようだった。
さすがに夏実ちゃんの家に押しかけるのだから、手土産は必要と感じたのだろう。あとで被らないように確認したほうがいいな。
「あ、そういや俺、履歴書とか書いてないぞ?」
「えっ……あきくんに履歴書いるの?」
「いらないのか?」
「うん、それはそうでしょ~、おかしなあきくん。うふふ」
「そ、そうか……」
俺はいらないのか……って、結季先輩から直接話が来たからいいのかな?
結季先輩、お嬢様だからな……そういうこともあるだろう。なるほど、これがコネというものか。ちょっとドキドキした。
それにしても乾きものは喉が渇く。
冷蔵庫を開ければ一面の飲む福祉。
美冬、期待するような目で見るんじゃない、というかこれお前の仕業だろ!
仕方がないので悲しくただの水道水を飲んだ。
「それにしても事務所がどうと言い出したかと思ったら、アルバイトをだなんて……ふふ、あきくん、こっちのほうはあたしに任せといてね!」
「うん? 美冬? よくわからんが任せた」
「いっぱい頑張っちゃうから! あ、そうそう。アルバイトの応援は呼んだ方がいいのかなぁ? どうしよう、あきくん?」
アルバイトの応援? 何の事……ってああ、そうか。きっと宍戸中央アリーナの件だろう。
結季先輩も直接俺に打診してきたんだ。2人にも同じく話が行っていてもおかしくはないし、今はそこくらいしか短期で入れるバイトはないのかもしれない。
しかし、バイトといえど、結構な時間を拘束される。人によっては予定とかあるかもしれない。だから無理矢理呼ぶのはなんかちょっと違う。
「バイトだろ? 人によって都合とかあるから、各自に任せたらでいいんじゃないか?」
「ふむふむ、なるほど~。各自の自由意志でと~」
「それが一番だろ?」
「うんうん、そうだね~、さっすがあきくん!」
「あ、あぁ」
なんだか会話がかみ合っていないようだった。が、それは最近いつものことなので放っておいた。
あ、でも1つだけ注意しておかないと。
「……その、バイト先でよく知らない女子の弱みとか握ってあげるなよ?」
「ふぇ?」
そういって美冬は目をぱちくりとさせた。さぞ驚いている。
こいつ、好きにさせると女子の弱みか何かを握って俺にけしかけてくるのだ。なんかその、いたたまれなくて……うちの幼馴染がごめん……
「わかってるよぉ、女の子の弱みは握らないよ~?」
「ったく、わかってんのかな……」
「うふふ~」
そして美冬はにっこりと笑う。
俺は一抹の不安を抱えながらリビングを後にした。
小腹と喉を満たせたので自分の部屋に戻ると、丁度スマホが通知を知らせていた。結季先輩のようだ。
『す、すまない秋斗君! バイトの件だけど、こちらの方で色々ミスがあったようだ、今確認していた! 確かにバイト代の額が間違えていた、本当にもうしわけない! 今度担当経理の者と一緒にお詫びにいくよっ!』
「経理の者と一緒に?! ははっ、大袈裟ですよそれくらい。俺、気にしていませんから」
『秋斗君……』
どうやら早速確認してくれたらしい。
そりゃ、どう考えても日給18万円なんておかしい。しかし1万8000円だとしても高校生にとっては破格だ。それでもおいしい。
『それと口座のことだが……』
「当日手渡しでもいいですよ」
『……えっ?』
「その程度の額なら、わざわざ振り込むのも面倒くさいでしょ? というか俺が引き出すのが面倒なので、手渡しの方がうれしいかなぁ」
『…………秋斗君の家って、普通のサラリーマンの家庭だよね?』
「そうですよ?」
一体結季先輩は何を言っているのだろうか?
あ、それとも俺の方が非常識なことを言っているのだろうか?
結季先輩から話が来たバイトとはいえ、これは企業からの雇用の話でもある。そうした給料の支払いも経理とかで一括してやっているのだろう。そう考えると、自分だけ特別扱いしろという風にも聞こえるかもしれない。
「あーその結季先輩、駄目ならそれでいいっすよ」
『だ、大丈夫だ、秋斗君! そちらにも事情があるだろうし、頼んだのはこちらだ! なんとかするよ!』
「無理しなくてもいいですからねー」
『それと、日付と場所は合っている……これもこちらの説明不足だった』
「説明不足?」
『秋斗君にやってもらいたい警備はその、いわゆる宍戸中央アリーナを披露する前の出資者たちとの、内祝いをするからこそホテルなんだ』
「ま、待ってください!」
これは想定外だった。
宍戸グランドホテルは4つだか5つ星だかの高級ホテルだ。
宍戸は地方都市だが、都心部からは離れている。そういった都会の喧騒さを逃れるように、しばしば著名人やセレブ達がお忍びでやってくることあるのだとか。
つまるところ、ど庶民な恰好をした俺が行くと非常に浮いてしまう。警備となるとホテル周辺になるだろう。それにそこに合うような服をもっているわけがない。
『だ、ダメだったかな、秋斗君……』
「駄目とかそういうんじゃなくて、着ていくものが……その……」
『あっ、あぁ、そういうことか。それならこちらで用意しておくよ。我が家にはいくつか礼服の予備がたくさんあってね……おっとサイズを見なきゃなのか』
「でしたら、当日ちょっと早めに結季先輩の家の方に向かいましょうか?」
『いいのかい?!』
「むしろこちらから頼みたいくらいですよ」
そして俺はいくつか結季先輩と細かい段取りを進めて通話を切った。
実は少々楽しみで興奮していたりする。
龍元家のある家は、戦国時代だかに作られた山城跡に作られた陣屋だ。大きな侍屋敷だ。よく目立ち、宍戸に住む人ならだれでも知っている豪邸だろう。男子なら誰しも血が騒ぐだろう。
そこに入れるというのだ。むしろお願いしたいというもの。
ふふっ、バイトの日が楽しみになってきたぞーっ!











