第119話 7.19祭り⑩ 思考加速静止世界 *愚流怒視点
引き続き、グルドっぽい視点です。
スコープ越しに覗く少女は、獰猛な笑みを浮かべながら飛ぶようにこちらの方に向かってきていた。
木々の枝やテントや建物の屋根を足場に、文字通り空を駆けるかのごとくこちらに向かってきている。
その現実離れした異常な光景に、冷や汗が流れるのを止められない。
「クソッ! この街の人間はいったいどうなってやがる?!」
この少女だけでなく、冴えない少年も素手でライフルの弾丸を叩き落としていた。
グルドが陣取っているのは、駅に隣接している商業ビルの屋上である。
直線距離で少女が居た夏祭りの櫓は2000メートル弱。
これだけの距離への精密射撃を成功させるグルドは確かに化け物じみた能力を持っているが、空を駆ける如く疾走する少女とか、ライフルの弾丸を叩き落とすような本物の化け物は初めて見た。
しかしそれでもグルドは怯まない。
「だからこそ、狩り甲斐があるってものよ……っ!!」
大きく息を吸い込んだグルドはそのまま息を止めた。
すると、途端に思考がクリアになり、周囲の物が動きを止める。
空を飛ぶ鳥や風さえもピタリと止まり、大空に静止する。
それは目の前に迫ってきている少女も同じであった。
「(へっ、格好の的だってーの!)」
――時間停止思考
超集中力による、極限までの思考加速。
それは常人の1000倍ものにも達し、彼は常人の1秒をおよそ17分弱にまで引き伸ばし思考する。
そしてこの静止した世界であらゆる事象を観測して予測をし、必殺の一発を射撃する。
これがグルドを最高のスナイパーたらしめてきた異能とも言える能力だった。
スコープ越しにはほぼ中空に静止した状態の少女。
それを見てグルドはニタリとイヤらしい笑みを浮かべる。
「眉間、腹、右足、左肩、それらをほぼ同時に撃たれてどう対処するかな?」
パパスッ!
グルドが息を吐き出すと共に、2台構えていたライフル銃がそれぞれ2回火を噴いた。
左右両手による2連続の、計4回。
それはグルドの超加速思考の計算によってのみ可能になる精密同時射撃。
しかも相手は空中で逃げ場がない。
一発でもかすれば、その当たった周辺の身体ごと肉塊に変える50口径の対物ライフルは、グルドの計算どおりの軌道を描き、獲物を正確に捉え、その性能を発揮する――
「んなっ?!」
――はずだった。
その少女は、たった一振り腕を動かすだけで、全ての弾丸を手で掴みきり、まるでこちらに見せ付けるかのように弾丸を掲げてくる。
より一層獰猛な笑みを浮かべ、これだけで終わりかと挑発してくるかのようだ。
「ふざ、けるなっ!!」
パパパスッ!!
今度は連続8発の精密射撃、だがそれも難なく腕で掴む。
持ちきれなくなった分は、その辺にポイ捨てはダメだとばかりに巾着に仕舞うほどの余裕を見せ付ける。
「化け物がっ!」
グルドは信じられなかった。
たとえ戦車の装甲であろうと打ち貫く対物ライフルが、まるで飼い犬がフリスビーを上手に捕らえるかのように、ことごとくキャッチされてしまう。
そして悟る。
狩ろうと思っていた少女にとって、自分こそが狩られる対象なのではと。
「く、くそっ!!」
もはや狙いもそこそこに、一発でもいいから当たれとばかりに乱射する。
しかし全ての弾丸は手づかみで捕られてしまい、狙い外した弾丸ですら捕捉されてしまう。
異常だった。常軌を逸していた。
よもや、初速は音速を超えて飛んでくる弾丸を全て避けるどころか手掴みにして接敵するとは、考えたこともなかった。
「もぅ、ゴミをポイ捨てにしたらダメっすよ!」
「ひ、ひぃっ!」
そして、少女はグルドの前に降り立った。
15階建てのビルの屋上、およそ地上50メートルの場所に、その脚力だけで上ってきたのだ。
グルドの中の常識は絶賛崩壊中である。
しかし目の前の少女はやたらと機嫌が良さそうで、じゃらじゃらと掴んだ弾丸を弄んでいる。
「こ、このっ!」
「あぁっ!」
パァン、と大きな銃声が響き渡る。
破れかぶれになったグルドは、手持ちの拳銃を撃ち付けた。
しかしロクに狙いをつけていなかった銃弾は、少女から10数メートルも離れた場所へと発射されている。
だというのに少女はその人並外れた身体能力で、まるでボールを投げられた犬がそれをキャッチするかの様に、銃弾へと飛びついた。
「しめた!」
しかしそれこそがグルドの策でもあった。
どういう理屈かはわからないが、この少女は飛来した全ての弾丸を漏らすことなく捕捉しているのだ。
遠く離れた場所へと飛びついた少女は、隙だらけの身体を晒していた。
だがそれが決定的な隙になりえないというのを、先程嫌というほど見せ付けられている。
そしてグルドは大きく息を吸い込み、超加速思考を発動させた。
「(化け物みたいな身体能力をしているが、物理法則を捻じ曲げているわけじゃない。点による攻撃を全て無効化されてしまうなら、面による衝撃で吹き飛ばしてしまえばいい!)」
グルドは幸いにして、様々な備えを持っていた。
その中には擲弾発射器や手榴弾という面制圧用の兵器もある。
加速し静止する世界の中、素早く手持ちのそれらをどう効率よくばら撒けば良いかと計算する。
そして導き出した最適解の通り行動した。
「これでっ、どうだっ!!」
「っ?!」
足元にあった榴弾の束を蹴り上げる。
計算しつくされた力、角度によってまるで津波の様に少女に襲い掛かる。
そしてグルドはそこに向けて、手に持つ拳銃の引き金を引いた。
ドゴォアアァアアァァァアアアッ!
けたたましい破裂音を響かせながら、駅ビルの屋上が揺れた。
精密に計算された爆発は、グルドに何の影響を与えることなく、正確に少女だけを狙ってその破壊力を発揮する。
たとえ装甲車が相手だとしても、バラバラにせしめるだけの衝撃だ。
無傷で済む筈があるまい。
もしかしたら完全に肉片と化して、その後の遺体処理が面倒なことになっているかもしれない。
「やったか?!」
思わず会心の笑みを浮かべ、少女がどうなったか観察するために、息を止めて思考を加速させた。
すぐさま世界は静止する。
だが、目の前に展開された光景は、グルドの予想をはるかに上回っていた。
「……え?!」
グルドの眼前、距離にして1メートル未満。
スナイパーの彼からしてみれば目と鼻との距離。
そこに、困った顔をしながら拳を振り上げる少女の姿があった。
「アイエェェェ?! 何で、JC何でぇえぇ?!」
確かにグルドは大量の手榴弾を少女に向けて打ちだし、拳銃でもって爆発を誘発させた。
装甲車だってバラバラにするほどの威力があるはずだ。
現に少女がいたであろう付近は大きな風穴が空いている。
そして、周囲にはグルドに向かって飛んでくる細かい礫の様なものが静止していた。、
「え、まさか、拳圧であの衝撃を相殺した?!」
まるで信じられないが、そうとしか考えられない状況だった。
グルドに冷や汗が滝のように流れる。
そんな化け物の様な所業をやってのけた少女が、目の前に迫っているからだ。
――時間停止思考
これはグルドを最高のスナイパーたらしめてきた、異能とも言える超思考加速である。
それは1秒を1000倍の17分弱まで引き延ばし、思考を重ねて最適解を導き出せるものである。
だが――あくまで引き延ばせるのは考える時間だけである。
静止した世界の中を動けるものではない。
目前に迫った、自分を処刑しようとしている死神に対し、考えるだけで何かを出来るというわけではない。
せいぜい、断罪の拳を振り下ろされるまでの認識する時間を引き延ばすだけである。
今のグルドに出来る事は何もなかった。
そして、これは確かに静止している時間の出来事のハズだった。
「う、うそ、動いて……っ!?」
あまりにもの超身体能力で動く夏実は、たとえ1000倍に加速された世界においても、ゆっくりと動く様が観測できるのであった。
それはグルドにとって、スローモーションで断罪される時間を引き延ばす程度にしかならないのであった。
「もぅ、ゴミを撒き散らすのはいけないことっすよ!」
「ぷげらあぁっ?!」
息を吐き出すと共に、強烈な一打がグルドに加えられ、屋上を数度跳ねながら壁に激突してその動きを止めた。
ピクピクと痙攣しているが、命に別状はないだろう。
乾夏実はご主人様である大橋秋人の命により、そのへんはしっかり躾けられているからだ。
「うーん、アンチマテリアルライフルっていっても、先輩の投げるフリスビーの方がよっぽどスリルがあって楽しいっすね」
もはや興味が無いとばかりに、夏実はその辺に転がっていたライフル銃を蹴飛ばしていく。
「あっ、これらも落とし物か何かで処理したほうがいいっすよね。龍元御庭番衆の人に回収をたのもーっと」
ここに伝説とうたわれた最高のスナイパーの1人が手も足も出ぬまま無力化され――後の闇世界により一層の混沌を呼ぶことになるが、今は誰も知らないでいた。











