第103話 歪み
週明けの月曜日のお昼。
俺は強引に小春に連れ出されて、部室棟の柔道部の部屋にいた。
以前は汗臭い男臭いとにかく臭い空間だったが、最近は整理整頓が徹底されて綺麗だ。
獅子先輩や中西君に、拠点とか会議室とか力説されたが……はて、どういう意味なのだろう?
「どうしよう、思わず手を上げちゃったんだけど……」
「根古川さんは悪くないよ!」
「はわわ、ブルマーだなんて……足の筋肉が付け根まで良く見えちゃう……ッ!」
目の前には小春と咲良ちゃん、根古川さんがお昼を広げながら興奮気味に話していた。
ちなみに何人か柔道部員やそれ以外の人もいたのだが、小春たちによって追い出されている。
まぁ自発的に出て行ったんだけどね。
とにかく、目の前で女子3人がきゃいきゃい騒いでいるが、俺は居心地が悪くてしょうがなかった。
妹とその友達と一緒にお昼とか、何を話していいかわからない。
そもそも彼女達の会話に付いていけない。
どうやら根古川さんに何か事件があったようなのだが……
「お、大橋先輩はどう思いますか?」
「ひどいよね、お兄ちゃん!」
「筋肉には相応しい格好ってありますよね!」
「え、えーと……」
ぐぐいと、興奮する女子3人に迫られて、たじろいでしまう。
小春は慣れているし実妹だしどうでもいい、というか胸を押し付け来るのは迷惑だし絵面が悪いので止めて欲しい。
だけど小春の勢いに便乗してなのか、近付いてきた咲良ちゃんのボリュームのある栗色のふわふわが肌をくすぐったり、根古川さんのどこか甘い匂いを振りまきながらぐいぐいのは、その、困る。
俺だって年頃の男子なのだ。
そんな複雑な男子心を悟られないように、コホンと咳払いし、向き直る。
「話が見えないけど、どういうことなんだ? 一から説明してくれ」
「実はこの間の土曜、中西先輩とデートしたんです」
「うん?」
中西君と? あー、もしかして相談されていたデートのことかな?
なるほど、その件か。
だが、わからないな……俺が中西君陣営だというのは知っているはず。
どういう意図があるか分からないが……とりあえず話を聞こう。
俺は根古川さんと向かい合った。
「中西君とデート……それは俺も聞いているけど」
「はい……最初は順調でした。待ち合わせに現れた中西先輩はどこか緊張していてガチガチで……だけどそれはそれで緊張していたのは私だけじゃないと思って心が軽くなって……それからグッズショップやスポーツショップにいきました。そこでの買い物はお互いの趣味や好みがわかり、とても楽しかったです。だけど――」
根古川さんはそこで言葉を区切り、楽しそうに話す顔から、どこか沈痛な面持ちになった。
何か言うのを悩んでいるというか躊躇っているというか。
一体何があったのだろうか?
「……いきなり見せられたんです」
「は?」
何を?
「『本当の俺を見てくれ!』そう叫んでいきなり服を脱ぎだしたんです……っ!」
「まてまてまてまて」
何やってんの中西君?!
あまりにもの展開に着いていけない。
変態だ。紛うことなく変態だ。
小春の方を見てみれば、許せないよねと言いたげな表情だ。
咲良ちゃんの方を見てみれば、筋肉どうだったと聞きたげな表情だ。……ええっと、その、咲良ちゃん?
そして、俯き暗い表情をしていた根古川さんは、意を決して憎々しげに口を開く。
「ブルマーでした」
「は?」
思わず聞き返してしまった。
「サイズの合っていないブルマー姿でした。上着の体操服もピチピチで、更には中央には『乾夏実』と名前が……夏実様を信奉するのはいいんです。だけど、今日は私とのデートなんですよ?! 他の女の子名前入りのブルマー姿を見せられて、どう思いますか?!」
「ど、どうかと思う」
意味がわからなかった。
女の子との初デートで、いきなり見てくれと脱ぎだしブルマー姿を見せる。
俺には中西君が何をしたいかわからなかった。理解を完全に超えていた。
ていうか、ただの変態以外の何者でもなかった。
何やってるんだ、一体……
そりゃあ、俺だってロクにアドバイスは出来なかったけど……根古川さんとのデートでブルマーを穿いて行くな、あまつさえ脱いで見せ付けるな、なんてアドバイスは出来やしない。
一体何が、中西君をこんな奇行に走らせたというのか。
頭が痛くなってくる。
隣では小春が『デート中に他の女の名前を出すのはマナー違反だよね!』と憤慨し、咲良ちゃんは『いきなりピチピチの弾けそうな筋肉見せられたらビックリするよね、ムードも大切にしないと!』と鼻息荒く太ももの大腿四頭筋の具合はどうだったと聞いていた。
……あの、キミ達? 論点そこ?
「それで私、びっくりして『変態!』って叫んで引っ叩いてしまって……大橋さん、私どうすれば……」
「どうすればって……」
変態を前に、非常に正しい行動をしたと思うけど……
だけど、そんな言葉が聞きたいわけじゃないだろう。
根古川さんを見てみれば、自分でもどうしていいかわからないと言った表情だ。縋るかのような表情にも見える。
ごめん、俺もどうしていいかわからない。想定外すぎるもの。
「お兄ちゃん……」
「お兄さん……」
小春と咲良ちゃんも、どうにかしてあげてと言った目で見てくる。
ううむ、俺にそんな気の利いたことをしろと言われても……
だけど、小春や咲良ちゃんや根古川さんに頼られるのは、悪い気がしなかった。
「ふむ……」
俺は腕を組み、考えてみる。
考えてみたところで、ブルマー穿いてデートに臨み、あまつさえそれを女の子に見せ付けるなんて事をする人間の気持ちなんてわからないし、見せられた根古川さんの気持ちも想像つかない。
……ていうか、根古川さんトラウマとか植えつけられていないだろうか?
とにかく、今重要なのは根古川さんの気持ちだ。
この際中西君の事はどうでもいい。自業自得だし。
「根古川さんはどうしたい?」
「……え?」
「中西君がした事は許されることじゃない。ただの変態だ、擁護も出来ない。ショックだったと思う……俺もショックだ。だけどこれは、根古川さんの問題だ。どうしたいかは根古川さんが決める事だ」
「私が、決める……」
どこかビックリした顔で根古川さんは呟いた。まるでそのことは考えていなかったと言わんばかりの表情だ。
そうだ、中西君の変態性にびっくりしたけれど、問題の着地点はいたって簡単だ。
根古川さんの気が晴れればいいんだ。
具体的なことはわからないが……もし一発殴らせろとか言うんだったら――一緒に殴りに行くのを付き添おう。
中西君は、それを受け入れなきゃならないほどの事をしたんだ。
「根古川さんが、中西君をどうしたいか――その気持ちが一番大事だと思う」
「私が……中西先輩とどうしたいか……」
「ネコちゃん……」
「根古川さん……」
真剣な表情だった。
よほど腹に据えかねてたのだろうか?
時折ぶつぶつ『あの時手を……』『全てを曝け出して……』などと、中西君がした事を呟く姿は、周囲に有無を言わせぬ迫力もあった。
「……」
「……」
「……」
「……」
部屋は沈黙に包まれ、俺達は緊張の極致にあった。。
その沈黙の支配者である根古川さんは、あまりに真剣な表情だった。その思考を邪魔することが出来なかった。出来るのは、ただ見守るだけだ。
……
………………
どれだけ経っただろうか?
5分か、10分。精々それくらいの時間だ。
しかし随分長い時間に感じた。
「――ふぅ」
その大きなため息を合図に、緊張が解かれた。
面を上げた根古川さんは、どこかすっきりとした顔をしていた。そして、何か決意を篭めた瞳をしていた。
「私、やっぱり中西先輩が好き――仲直りしたい!」
「――ッ?!」
「「きゃーっ!!」」
え?
え? え? え? え?
中西君、変態だよ? ブルマーだよ? あれ? どうなってるの? え?
「人には誰だって見せられない部分がある。それを受け入れた上でどうするか――どうしたいかっていう私の気持ちが大切、そういうことですよね、大橋さん!」
「あ、うん」
「お兄ちゃん……」
「お兄さん……」
そして根古川や小春、咲良ちゃんに尊敬の眼差しを向けられて困惑した。
え、えぇっと……そういう話だったっけ?
「仲直りする作戦だけど……」
「きっかけがいるよね……」
「上腕二頭筋も捨てがたいと思うの……」
さっきまでの中西君に対する憤懣やるかたなしという空気はどこへやら。
きゃいきゃい言いながら乙女の作戦会議が始まってしまった。
やはり俺は話に着いていけず、そっと部屋を立ち去った。
――女の子って難しいなぁ!
◇ ◇ ◇ ◇
一体何故こうなったのか?
俺は首を捻りながら、教室に戻ろうとしていた。
まぁよくわからないけれど、何だか上手くいきそうなので良しとしよう。
そう、無理やり納得することにした。
そもそも中西君が――
「ここに居たんですか、大橋さん! 中西が!」
「……え?」
柔道部の部員の1人が、慌てた様子で駆け寄ってきた。
一体どうしたというのだろうか?
そういえば、今朝から中西君を見ていなかった。
「中西君がどうしたんだ?」
「それが先ほど登校して……見たほうが早いかと……っ!」
見たほうが早い?
ますます意味がわからない。
まさか、ブルマー一丁で暴れてるというのだろうか?
「あれです!」
「あれは……」
そこはうちのクラスだった。
自分の席の机に、行儀悪く足を投げ出している中西君が居た。
中西君……だよな?
その髪は金髪に染めてリーゼントになっていた。
上着は短ラン、下はボンタン。
そして周りを威圧するかのように睨み、くっちゃくっちゃとガムを噛んでは膨らませていた。
どうみても昭和の時代の不良になっていた。
「『誰もわかっちゃくれねぇ!』『俺に近付くとキレるぜ?』というばかりで、我々もどうしたらいいか」
「…………」
そんなこと、俺に言われても困る。
えっと、そのなんだ。
中西君は歪んでしまったようだった。











