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異世界でただ一人の幽霊と魔女  作者: 山海巧巳
第四章:エルフと魔王と魔導王国【帝歴716年】
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森人と邂逅と幽玄の魔女

「しくじった……」


 草木が鬱そうと茂る森を走りながら後方へと意識を向ける。

 関所の検問を強化しているせいで自由に国の外へ出れなくなっている昨今。

 現在の魔導王国の情勢では仕方ないかな、と思いつつ私が外に出れない不満を溜めるのは別の話。

 半ば軟禁に近い閉鎖的な生活にうんざりとしてきたので、昔、忌々しい姉に教わった秘密の抜け穴を使って国の外の森へ出た。


 久しぶりに出た外の森は以前と変わって不気味なほど静かだった。

 虫の声や鳥の囀りさえ聞こえず、木々も苦しそうに呼吸をしている。

 満ちるマナもどこか濁っているような、そんな気配を感じる。

 濁る、というよりは混ざっている?

 森は本来、水と風と地のマナが相互に干渉しあい、混ざり合っている状態が普通だ。

 青と緑と黄の三色が時々に合わせて移り変わる美しい光景。

 しかし、そこに無粋な黒が混ざっている。

 それは闇属性のマナの艶やかな黒とは違う、濁り淀んだ黒色。


「外がこんなことになっているなんて、お兄様は知って……いえ、きっと知ってるはず。だからこその関所の封鎖なんだわ」


 森の様子がおかしいことにも気づいているはず。いえ、根本的な原因を知っている可能性も?

 そんな思考も後方から追いかけてくる獣の足音に気を取られて集中できない。


「ワイルドファングボアが群れで村を襲うことは知ってるけど、こっちからちょっかい出さなければ人を襲うことはないはずなのに……」


 ワイルドファングボアの厄介な点はその牙。

 一度獲物と狙われてしまえば例え樹上に逃げても木々に突進し、なぎ倒す。

 群れで行動するため、生半可な木ではひとたまりもない。


「無暗に木々を傷つけるわけにはいかない……ッし!」


 走りながら弓に矢を番え、振り向いて瞬時に一射。

 先頭を走るボアに直撃するが、ただの矢では足止めにもならない。


「あぁ、もう! 溜める時間さえあれば……」


 エルフの弓術は矢にマナを溜めて放つ"精霊弓(せいれいきゅう)"。

 契約した精霊と共に射る魔法の矢。

 しかし、そのマナを溜めて放つには少なくない溜めが必要だ。

 走りながらのこの状況では上手く溜めることは難しい。

 エルフのもう一つの武器、"精霊剣(せいれいけん)"ならば、常に触れている分、込めるのも溜めは必要がない。

 むしろ私としては"精霊剣(せいれいけん)"の方が得意ではあるけれど、如何せん手元には剣がない。


「こんなことになるなら狩猟用の弓じゃなくて愛用の剣を持ってくるべきだったわ……」


 後悔したところで無いものねだりはできない。

 今はこの森を抜けた先にある関所へ行くのが先決だ。

 関所まで行ければ兵士たちがいるはずだし、関所の門ならワイルドファングボアでもそうそう破れない。

 関所についた時点で私が外へ出たことは伝わるかもしれないけれど、それはそれ、命あっての物種。


「この距離感ならあと数分ってところね。追いつかれることもない速度だし、なんとかなり――ッ!?」


 瞬間、右横合いから強い衝撃が走り天地が逆転する。

 背中に数度の衝撃を受けながら気づけば木々をなぎ倒しながら転がっていった。


「な……にが……ッ!?」


 視界が定まらず、右脇腹に溜まる熱に意識を奪われながらも吹き飛ばされた方を見れば、そこには黒い山があった。

 それは巨大なワイルドファングボア。

 体毛は黒く変色し、体格も一回りも二回りも大きい。

 その鋭い牙には赤い液体が表面を伝って地面へ滴り落ちている。


 そっと右手を脇腹へ触れさせてみると温かいものが手に触れる。

 巨大なボアの後方からは先ほどまでの群れも追いついてきており、その群れを待つかのように巨大なボアはジッと立ち止まっていた。


(あぁ、これは私、死んだかな……)


 死を覚悟し、目の前の巨大なブラックボアを見つめる。


「…………な」


 背後の木に背中を預けてまっすぐに見つめる。


「……るな……」


 鳴り響くボア達の足音、地鳴り。

 それらをかき消すように、熱を蓄えた腹部に力を込めて、叫んだ。


「ふざけるな! こんなところで、死んでたまるか! 私はまだ、何もしてない!」


 一緒に吹き飛ばされていた弓が手の届く範囲に落ちている。

 すかさずそれを掴んで矢を探す。しかし、矢は遠くにバラバラと落ちていた。


「チッ! なら!」


 地面に生える草を一束掴んで弓を構える。


「『大地に満ちる精霊よ……』……反応なし。やっぱりこの黒い奴のせいかな、呼んでも来ないか……」


 精霊弓は周囲の精霊の力を借りることができるが、今この場では精霊が集まってこない。

 ブラックボアのせいか、黒いマナが混じっているせいか、どちらにせよ今は使えない。


「なら、『我が契約の光の精霊よ、汝が力で我が仇敵を撃つ閃光となれ!』」


 契約していた光精霊に向かって命じる。

 マナの消費はけた違いだが今はできることをするだけだ。

 弓の弦を引くと握っていた草を元に光が集約し、矢へと形を変える。


「これが私の生きるための意志! 喰らいなさい! 光の矢(シャイニング・アロー)!」


 一閃、一筋の光が空を切る。


 光は黒く巨大なブラックボアの眉間へと吸い込まれるように飛んでいった。

 かろうじて反応したブラックボアも横に避けようとするが、避けきれずその矢はボアの右目を貫いた。


「どうよ……これが私の……」

「ブォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 ブラックボアが、吼えた。

 ダメージを与えたその体も、致命傷には至らず、その残った左目に怒りを滲ませて睨みをきかせている。


(ダメ、だったか……)


 今の自分にできる最大のマナを込めた矢。

 それでも倒しきれなかったではどうしようもない。


 諦めたくない。でも、諦めるしかない。

 そんな諦念の思いを抱こうとしている瞳に映ったのは、吹き飛ばされるブラックボアの巨体。


「良かった。間に合ったみたいね……大丈夫……じゃないか、ドリー、見てあげて。薬は好きに使っていいから」


 人族の、いや、でもどこか精霊に近いような不思議な少女。

 黒いローブに先の尖った防止、黒い髪はさっきまでのブラックボアを髣髴とさせるが、その黒は神秘的で艶やかな黒。

 小柄な背中、でも頼りたくなるような大きな背中に見えた。


 そしてドリーと呼ばれた女性が私に近づいてくる。

 彼女は、ドリアード、精霊族だ。ドリアードがなぜ? 自分の森から動けないはずでは?

 声は聞こえないが心配してくれているのが伝わる。

 彼女はポーチからガラス瓶に入った液体を取り出すと、スッと差し出す。


「……飲めと?」


 コクッ


 なるほど、これが薬なのだろう。

 ガラス瓶を受け取って一息に流し込む。

 すると効果は絶大で、腹部の熱が引いて出血が収まってきた。


「今ドリーが渡したのは痛み止めと熱冷ましの効果を複合した疲労回復ポーション。ケガは治ってないからまだ動かないでね」


 少女の声を受け、そちらを見ると少女は再び戻ってきたブラックボアと対峙していた。

 群れの方は大きな斧を担いだ女性が一人で相手をしている。


「すぐに仲間に見せるから、もう少し我慢しててね」

「あ、ありがとうございます……じゃなくて、あいつ、普通のボアじゃ」

「分かってる。この黒いマナを、私は知っているから」


 そう言って少女は腰の金具を取り外し、一冊の本を取り出す。


「暗黒マナを追い出すには内部で別のマナを満たせばいい……なら」


 少女は本を開いて正面に構えた。

 すると周囲に緑の燐光を輝かせてマナが満ちてくる。


「エアリス、合わせて」

『任せて、マスター』


 するとまるで人族の少女のような、しかし、精霊としての存在感を伴う存在が少女の内から現れる。


「『大気満ちる風の精霊よ』」


 途端、周囲が風のマナと精霊で溢れ返る。

 さっきまで、呼べども集まらなかった精霊が。


「『風の大精霊の名の元、汝に命ずる……』」


 ブラックボアの周囲を複数の魔法陣が囲む。


「『大気よ、包め!"大精霊の風撃(エアリス・ブラスト)"』」


 瞬間、魔法陣から緑の燐光があふれ出し、大気が震えた。

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