幽霊と精霊と薬草摘み
師匠に弟子入りを宣言したその日の朝のこと。
「さてと、弟子になった以上あなたの面倒を見るのも師匠の務め。まずは住む部屋のことからね」
なるほど、弟子入り=住み込みということらしい。
確かに寝泊りする場所は他にないし、研究の協力をする上でも一緒の方が楽だろう。
「とはいえ、夜通し話してしまったものね。もう朝みたいだし、私も流石に眠い。起きたら詳しく説明するからとりあえずざっくり家の中を説明するわ」
そう言って家の紹介が終わった後は自分の寝室にさっさと入って寝てしまった。
寝る前に軽く家の中を説明してもらったが、ややアバウトだった。
外からじゃ分からなかったが、どうやらこの家は結構広く、4階まであるらしい。
大樹をくり貫いて作られた家だそうだけど、実はまだこの大樹は生きているらしく、今も成長を続けている。
1階は私たちが先ほどまで話していたリビング兼ダイニングキッチン、それと実験器具が置いてある。何に使うかは後で聞いてみよう。
水回りもここにあり、大抵の生活は1階で事足りる。
2階は寝室と客室が3部屋ある。
極稀に来客があるらしく、その際に使うことがあるけど、基本は埃まみれで掃除もしていない。
その内の一部屋を私専用にくれるそうで、適当に選んでいいと言われた。
正直内装はまったく一緒だったので、部屋の埃のたまり具合を見て、あまり汚れていない部屋を選んだ。
きっと最近泊まった人の部屋なのだろう。
3階は図書館になっているそうだ。
残念ながらあまり見せられない本も収納されており、その説明も含めて起きたらするから、今は入らないようにと言われてしまった。
4階は立ち入り禁止。何があるかは教えてもらえなかったが、大事な部屋のようだ。
ちょっと好奇心で通り抜けてみようかと思ったが、入る直前に扉に魔法陣が浮かんで電撃が飛んできた。
魔法の防犯装置とは、さすが異世界。
さて、師匠も寝てしまったし、とりあえず1階に戻ってきて椅子に座ってみるわけだが、ここで一つ問題を再確認しよう。
「……全然眠くならない」
やはり気のせいでもなく、睡眠欲が湧かない。思えば昨日の夜から何も食べてないし、一睡もしていないから、食欲もだろう。
確かに幽霊が食事や睡眠を取るかと言われたら、取らないかなぁとは思う。
じゃあ食べ物を食べたらどうなるのかと思って、テーブルに置いてあったパンを手に取って食べてみる。
口に運んでみれば少し硬いけど確かにパンの味がして、飲み込めばお腹に溜まる……感じはせずに何か、別の場所にすぐに吸収されてしまったかのように感覚が消えた。
「これ、どこに行ってるんだろう?」
謎である。
することもなくなったので、家の中でどう時間を潰そうかと考えていると、朝になったということは森も明るくなったのでは? と閃く。
昨日はドリアードと呼ばれていた精霊族の少女を追いかけてここまで来たが、せっかくなら森を見てみるのも悪くはない。
「霧が深いけど、まぁ離れすぎなければ問題はないでしょう」
そう思っていた。
◆
思っていたのが数時間も前のことである。
現在の私はというと
「迷った……」
森の中で迷子になってしまった。
いや、最初はあまり遠くへ行かないようにしていたけど、途中から霧が濃くなってきて夜と変わらない薄暗さになって、帰り道を見失ってしまった。
「はぁ、どうしよう。唯一の救いは食糧の心配が要らないことか。幽霊様様ね」
幽霊の身体に感謝する。
「! そうだ! あの鈴! あれならまた案内してくれるはず!」
胸元から鈴を取り出してぐるっと回転してみる。
「……あれ?」
たしか前はこうしたら鈴が鳴ってくれたんだけど……
まさか、あの時一回限り?!
近くにあった木に縁りかかって途方に暮れていると、不意に何かが肩を叩いた。
叩かれた方を振り向くとそこには昨日見た緑の少女、ドリアードが立っていた。
彼女は困ったようなポーズをした後、私を指差した。
「もしかして、私が困っているか聞いてる?」
彼女はうんうん、と頷く。
そうか、精霊族は声帯がないから喋らない。でも、こちらの言葉は理解している。
だから身振りでコミュニケーションを取るのか。
「えっと、師匠の家の場所が分からなくなって帰れなくなってしまったの」
彼女は手を叩いて、なるほど! というようなジェスチャーをした。
意外と感情表現は豊な子なのかもしれない。
「よければ、帰り道を教えてくれないかな?」
彼女は右手で丸を作って笑う。OKサインはこちらでも同じなのか。
「ありがとう。えっと、ドリアードが貴方の名前で合ってる?」
彼女は首を横に振って旨の前で×を描く。
「え、じゃあ、種族とか家族共通の名前とか?」
今度は両手で箱を作って、右、左と置く動きを見せ、右を指差して丸を作った。
前者と後者で、前者が正解ってことかな?
「種族名?」
彼女は笑顔で丸を作った。
「じゃあ名前は何ていうの?」
首を横に振る。
そうか、名前がないのか。
それがこの世界で普通のことかもしれないが、現代で生きてきた身としては名前がないと不便だ。こちらも何と呼べばいいのか分からない。
「あだ名でもいいから名前があった方が呼びやすいんだけど、もしよかったら私が付けてもいい?」
すると驚いたような表情を浮かべて少しうんうんと考えた後、ニッコリと笑ってお辞儀した。
それは、お願いします、ってことでいいのかな?
「じゃあ、ドリアードだからドリー、安直だけど呼びやすいし、これから貴方のこと"ドリー"って呼ぶけど、いいかな?」
彼女は眼を輝かせてうんうん、と頷く。よし、これからはドリーと呼ぼう。
「それじゃあドリー、早速で悪いんだけど道を……あれ、それは」
ドリーの手には少しばかりの草が摘んであった。
「もしかして、師匠に届ける薬草を摘んでいたの?」
ドリーは頷く。
「じゃあ、私も手伝うわ。案内してもらうんだもの。それに、貴方のこと、もっと知りたいし」
ジェスチャーだけとはいえ、ドリーの感情表現は豊かで面白いし、可愛らしい。
もっと仲良くなればきっと師匠のように言っていることも分かるようになるだろう。
そう、私はドリーと仲良くなりたいと思っている。
それをわかってくれたのか、ドリーは笑顔で私の手を引いて森の奥へ入っていく。
「ふむふむ、これが取っていい奴で、これがダメな奴ね。うん、わかったわドリー」
ドリーに取っていく薬草と生えている場所を教えてもらう。
ドリーは名前を呼ばれるのがうれしいのか、名前を呼ぶたびに笑顔になる。
ドリーが見える位置で少し離れて薬草採取を始めるが、これが割と楽だった。
本来、腰を屈めて取る姿勢は慣れていないと身体に来るものだ。昔、田舎で畑仕事を手伝ったときはずっとしゃがんでるのが辛かった。
でも幽霊の身体じゃ痛みなんてないし、横に移動するときも浮いているからスライドすれば楽だった。
もしかしたら地面に下半身埋めたら姿勢も楽に取れるのではと思ったが、どうやら一部を透過させることはできず、透過状態は全身に及ぶらしい。地面に入っている状態では薬草を取れなかったのだ。
ドリーから借りた布いっぱいに薬草を摘む頃にはだいぶ時間が立っていた。
薬草を持ってドリーの元へ戻ると彼女はすでに籠いっぱいに積んでおり、これが経験の差か、と驚いた。
ドリーは笑っていたが、次は負けないと、妙な対抗心を燃やして、私たちは師匠の家に向かった。
帰り道、ドリーが昨日見た光る花を取り出した。
何度かやり取りした結果、どうやらこの花は灯りになる以外に霧を寄せ付けない効果があるらしく、夜道を歩くのには必須のものらしい。
灯りに照らされて歩いていくと、見覚えのある大樹が見えた。ようやく帰って来れた……
そのまま二人で玄関を潜る。
リビングには椅子に座って待っていたらしい師匠が、私たちに気付くと立ち上がって近づいてきた。
「やっと帰ってきた。まったく、どこに行っていたの? 家の中に居ないから飛び出していったんじゃないかって心配してたのよ?」
「ごめんなさい、少し外に出てみたくなったんだけど、そしたら道に迷ってしまって」
「当たり前でしょう? ここの霧は迷いの霧、正しい道を知らないものが道を踏み外せばすぐに迷ってしまうわよ」
ぐぅの音も出ないが、そんなこと昨日は言われていなかった。
「はぁ。説明しなかった私も悪いわね。まさか外へ出るとは思わなくて。家で暇をつぶしてくれているものかと」
「まぁ、それで迷った結果、ドリーに見つけてもらって、ここに案内してもらったわけです」
「ドリー?」
師匠は訝し気な顔をして、ドリーの顔を見る。
「あ、この子のあだ名です。種族名で呼ぶのはなんかしっくりこなくて……ダメでしたか?」
そういうと師匠は納得したように頷いた。
「ダメってことはないわ。ただ精霊族に名前を付ける人はあまり居ないから」
「どうしてですか?」
「彼女たちは一つの種族で一つの意思を持っているのよ。とは言っても、同じ種族で同じ地域であることが条件だけど。精霊族はその土地の魔素から生まれるから複数居ても同じ人格を持っているのよ。彼女はこの深霧の森のドリアード」
なるほど、同じ人格なら種族名のドリアードで充分通じるわけか。
「じゃあ、あなたは昨日見たあなたと別のドリアード?」
ドリーを見て聞いてみるが、ドリーは首を横に振る。
「この森にドリアードは彼女しか居ないわ。他のドリアードは、昔、ちょっとね」
それを聞いてドリーの方にハッと振り返るが、ドリーは少し悲しそうな顔をして笑っていた。
「気にしないで、ですって」
「それは......なんとなく分かります」
悲しそうな顔をしたであろう私の肩を師匠が叩く。
「とりあえずこんな玄関先で立ち話もあれね、いい時間だし、ご飯にしましょう。ドリー、あなたも食べていきなさい」
師匠にドリーと呼ばれ、一瞬眼を見開いたが、すぐに笑顔になってぴょこぴょこと椅子の方へ走って行った。
まったく、本人が気にしないなら、私が気を使ってもしょうがないか。
「師匠、何か手伝うことはありますか?」
「じゃあ鍋を見といて貰える? 煮立ったら教えて」
「はーい」
摘んできた薬草をテーブルに置き、鍋の様子を見にキッチンへ向かう。