幽霊と薬草と初めての町
初めて魔法を撃ったその夜、私はそのまま外で寝ていたようだ。
朝、家までやってきたドリーに肩を揺すられて目覚めた私は、昨夜の興奮醒め止まぬままに、ドリーに報告した。
ドリーは笑顔でうんうんと聞いてくれていたが、後々冷静になってみれば引かれてないかと心配になる。
そんな心配は杞憂だというように、ドリーは私の手を引いてそのまま日課の薬草詰みに連れて行かれる。
「待ってよドリー、なんでそんなに嬉しそうなの?」
ドリーはスキップするようにふわふわと走っている。
私の方を見てはニコニコと笑って。
最近は毎日過ごしていたからか、なんとなく考えが読める気がしてきた。
この雰囲気でこの笑顔は……
「もしかして、私がうれしそうだから一緒にうれしい、とか?」
ドリーは手を繋いでいない方の手できれいなサムズアップをしてみせる。
手での表現をいくつか教えたうちの一つだ。
彼女の表現の手段は身体や手を使ったボディランゲージ。
本当は手話とか教えてあげたかったが、さすがに私も知らないし、知らない相手には伝わらないだろう。
そう思ってピースやサムズアップなど私の知る限りのボディランゲージは教えてあげた。
「ふふ、ありがとう」
ドリアード、というより精霊族というのは言葉を話さない代わりに感情は豊かなのだという。
喜怒哀楽は強く、精霊族の怒りで火山が噴火したとか、地面が割れたとか、そういう逸話も残っているらしい。
私の前を笑顔で走っているドリーからは怒った様子が想像つかない。
「それで、今日はどこで薬草を摘むのかな? 昨日は潤い草の群生地を案内してもらったし」
ドリーは今度は人差し指は口に当てて片目を閉じてほほ笑む。
「ひみつ、ね。はいはい、じゃあ今日もよろしくね、ドリー」
ドリーに手を引かれて森の中を疾走する。今日もいい一日になりそうだ。
「今日は町に出るわよ」
薬草を摘んで帰ってきた私達に、師匠は開口一番にそう言ってきた。
「町、異世界の、町か」
「ここ数日で薬も数が揃ったからね、町に居る馴染みの薬屋に卸しに行くわよ。貴方も顔見せついでに着いてきなさい」
「はい、えっと、格好はどうしましょうか?」
今の格好はジャージにローブを纏った所謂家スタイル。
「ローブはそのままでいいとして、中は……まぁそのままでもいいわよ。ローブで前を閉じてしまえば見えないし」
「分かりました、そういえばどうやって町に行くんです?」
「馬車を使うのよ。そっか、あなたには見せた事無かったわね」
そう言ってドリーに何か合図を送るとドリーは一礼して森の方へ向かっていった。
「ドリーが森でどう暮らしているか言ってなかったわね。彼女は森の奥に聖地を持っていて、そこで過ごしているんだけど、普段は馬車と馬はそこでお世話をしてもらっているのよ」
なるほど、気づいたら森に帰ってるし気にはなっていたけど、聖地、か。
「今ドリーに馬車を取ってきてくれるようにお願いしているわ。御者は私がやるけどいずれは貴方にやってもらうから。隣で覚えてね」
「分かりました」
いよいよ異世界で初めての町、つまり師匠以外のこの世界の人間に出会う。
言葉は通じるはずだし問題はない、と思うけど……
「そうそう、向こうに着いたら幽霊族ということは隠して、人族として振る舞いなさい」
「どうしてですか?」
「あなたの世界ではどうか分からないけど、この世界でそんな稀少な存在だと知られたら物好きに狙われるようなものよ。ある程度自衛ができるようになるまでは隠しておきなさい」
「はい、まぁ何かあっても死にはしないからだいじょう……」
言い切る前に空気が冷え切った。そういう空気、というわけではなく、物理的に冷えた。
師匠の姿が歪んで見える。正確には氷越しに見える師匠の姿が。
気づけば私は氷の塊の中に閉じ込められていた。
ピキピキ……パリンッ
氷にヒビが入り、氷が砕け散る。
自由になった身体だが、暑さ、冷たさを感じないこの幽霊の身体でも冷や汗をかいた。
「あまり、慢心しない方がいいわよ。貴方が精霊族に近いというなら、それなりに対処できるということを忘れないで」
師匠の顔は真剣そのものだったが、言葉の節々から伝わるのは心配している、という感情だ。
透過できるから、死なないからと、慢心していた私に文字通り冷や水をかけられたようだった。
「はい、分かりました。すみません……」
険しかった顔は相貌を崩してにっこりと笑う。
「なんて、脅したけど、あなたの透過なら通り抜けられたはずよ。精霊族本来なら閉じ込められたでしょうけど、その透過はさすがに無理だわ。今のは驚いてそんなことさえ考えられなかっただけ」
なるほど、透過、確かにとっさに反応できなかった。
どのみち油断はできないのは変わらない。
「いえ、すぐに反応できなければ……ご指摘、ありがとうございます」
「そんな固くならないで。分かればいいのよ」
ドリーが連れて来た馬車にここ数日で作った薬やポーションを積む。
結構な量だが、これで一月分もないらしい。
「薬屋は町の冒険者がよく使うからね。私以外からも仕入れているらしいけど、それでも品質は家が一番よ」
「冒険者、ですか?」
なんかゲームとか小説でよく聞くあれか。
「そう、冒険者。魔法ギルドのことは説明したと思うけど他にもギルドはいっぱいあってね。そのうちの一つに冒険者ギルドってのがあるの。冒険者はそこに所属する人達ね」
「何をする人達なんですか?」
「そうね、依頼のあったものを採取したり、魔獣を討伐したり、何でも屋かしら」
「魔獣、そんなものがいるんですか?」
「そうね、あなたの世界には居なかったのかしら?」
「フィクション、お話の中でなら」
「そう、実はこの森にも居るのよ、魔獣」
「え?」
そんな存在にはここ数日会ったことがなかったが。
「ここはこの森の最深部、魔獣は寄ってこない結界が張ってあるのよ。ここより外、町の方に行けば獣も魔獣も居るわ。おかしいと思わなかった? ここ、獣がほとんど居なかったことに」
確かに、野兎や鳥みたいな動物はみたけど、大型の動物は見なかった。
単に居ないだけだと思っていたけど理由があったんだ。
「さ、あまり遅くなると帰りが遅くなる。ここから町まではまっすぐに行けば1時間くらいだ」
「意外と近いんですね」
「まっすぐに行けば、ね」
「? どういう意味ですね?」
「忘れたの? ここは"深い霧の森"。迷え迷えと霧が出て、気づけば霧中、夢の中ってね。知らない人間は深部には近づけないし、出ることもできないのよ」
そういえばここは森の中だった。
霧については最近は慣れてきたし、森の中を行くときもドリーが一緒だったから忘れていたかもしれない。
馬車に揺られながら、師匠の隣で馬の背中を見る。
馬の背中ってこうなっているんだ。
ガタガタゴトゴトと、車輪が転がる音と振動が伝わる。
やがて、眼の前に霧とは違う、薄い膜のようなものが見えた。
「ごらん、アレがこの森の結界の一つ。『魔獣払いの結界』だよ」
師匠が言うにはこれはこの結果内全部に魔法陣が敷かれていて、それが発動して結界を作っているらしい。
これも魔法陣の一種なのか。
確かに、作るのにマナが居るとはいえ発動には大きな力が要らない。
継続して張るにはちょうどいいのかもしれないけど……
「魔法陣って、ずっとは残らないはずじゃないですか?」
「よく勉強してるわ。でもね、これは秘密があるの」
「秘密ですか?」
「うーん、それはもっと魔法についての理解が深まったら教えてあげる。ヒントはこの結界は消えることは無くずっと発動し続けることよ」
なんだろうか。いずれ、教えて貰う時を楽しみにしておこう。
結界を潜る時、ふわっとマナが通り抜けるような感触がした。
結界の外に出ると途端に獣の気配や、鳥の気配が強くなった。
静かな森は何かが居そうな森へと、その姿を変えたのかもしれない。
馬車はそのまま進み、やがて森の外の景色が見えてきた。
森を抜けた場所は草原で、ところどころ岩肌が覗くが地平線には山と青空が見える。
さらに小さく、建造物のような場所が見えた。
「見えるかい? あれが私達の目指す町、"タルタスの町"だよ」
地平線の彼方に見える町を前に、私の心は初めて魔法を使った昨日の夜のように、ワクワクに溢れていた。




