Chapter9
「アル! どうして庇うの! その子の中にはあの魔王がいるのよ!?」
マリアの怒りは全くと言っていいほど収まっていなかった。
だがさっきまでとは違い今のマリアからは動揺もしているように見えた。
「確かに彼女には魔王がいる。だがなそれ以前にその子、白宮弥生という一人の女の子まで巻き込むことを俺はしても良いとは思わない。それにマリア、お前も見てきただろう? お前の主、神宮舞と白宮弥生が友情を築いたあの日を」
「くっ、それとこれとは話が違うでしょ!」
「いや、違わない。マリア、お前は彼女たち二人の友情が深まるのを恐れたんじゃないか? それで後々、彼女の心に深い傷が残らないようにしたかったんじゃないか?」
「そ、そんなこと……」
マリアはさっきと比べてさらに動揺している。なるほどそう言うことだったのか。
たぶん最初の引っ越しの時の頭痛もそうだ。きっと白宮と神宮が仲良くなることを予見して始めのうちに倒そうと試みたのだ。
だが、それを神宮は許さなかった。その結果彼女たちの間には友情が芽生えてしまった。それはまだ小さなものだったが確かに芽生えてしまった。
そしてマリアはその過程で気付いてしまったのだろう、魔王に罪はあっても彼女たちに罪はないと。だからこそマリアは焦った。これ以上絆が深まる前に、心に大きな傷をつける前に、早いうちに決着をつけようと。
「アル、あなたの言う通りよ。でも! だとしたら彼女の中にいる魔王、ルシファーはどうするの! もう私にはルシファーのしたいことが分からなくて、だからこそ怖いの。心だけをこんな平和な世界に持ってきて、一体何を企んでいるか」
「安心しなさい。私は世界を壊したり、征服するために“ここ”に来たわけじゃないわ」
「っ! そんなの信用できるわけないでしょ!」
「信用しなくてもかまないけど、あなただってさっき身をもって分かったでしょ? ここじゃ魔法とかそういった類のものは使用できないの。確かに前の世界でならそれも可能ではあったけども」
「じゃああんたの目的って、一体……一体なんなのよ!」
結局はそこに行きついてしまうマリアだったがこれに関しては俺も前から気になっていた。確かにルシファーはここ数日、不審な動きをしたり、特に大きな事件を起こしたりはしてこなかった。
だからこそ気になってしまう。この魔王は一体なんのためにここに来たのか。そしてなぜ勇者たちの心も持ってきたのか。
「ふふっ。そうね、そろそろ教えてもいいかもね。ようやく“彼”も来たみたいだし」
そのルシファーが言った瞬間、何とも言えない寒気がした。言っただけならまだよかった。だがルシファーが“彼”と言った時、こちらを……アルのことを見ていたからだ。
アルもそのことに気付いたのか、身構えている。そしてルシファーは徐々にこちらに向かってきていた。
「ルシファー……なんのつもりだ」
アルの問いかけにルシファーは全く反応しない。何かに憑りつかれて着実に向かってくる。
その行動に俺とアルは少し困惑していた。そしてついに俺の前に白宮、ではなくアルの前にルシファーが、もっといえば勇者の前に魔王があと一歩歩けば体がぶつかる距離まで迫ってくる。その途中で「アル逃げて!」というマリアの声がしたが、アルは全く反応出来ずにいた。そしてルシファーが動き出す。
「アルっ、会いたかった」
そのままルシファーはアルに向かって抱き着いていた……へっ?
「あ、あんたなにしてるのよー!」
俺の気持ちを代弁するかのようにマリアが叫んでいた。そして状況が全く理解できないのかアルは頭の中で俺に問いかけてくる。
『お、おい翔、これは一体どういうことだ? もしかして元々白宮と付き合っていたのか?』
『知るか! 俺にだってこんなことまるで心当たりがねえ』
『じゃあこれは一体……』
『と、とにかく一回聞いてみたらどうだ?』
『そ、そうだな』
なんとも頼りない勇者様だった。もしかして彼も世界を救うことを考えるあまり女性経験がないのかもしれない。さっきまでの頼りがいのある感じはいずこへ……。
「ル、ルシファー。お、お前は一体何をしているんだ?」
「なにって……再会を祝してあなたに抱擁しているのよ。だってやっとあなたに会えたのだからっ!」
アルの問いかけは無残にも空振りで終わってしまった。
しかし感覚が繋がっていないとはいえこの体勢は非常に恥ずかしい。だってこれ仮にも白宮が俺に抱き着いているわけじゃん? うわ、後で戻った後なんだか気恥ずかしい。
とそんなことを考えているいる間にアルは次の質問をしていた。
「それは分かった。だがな、俺にはその行動をされる理由が見当たらないのだが?」
「理由って、そんなの好きだからじゃ……ダメ?」
「っ!」
な、な、なんだこの魔王は!? 魔王と言うよりただの恋する乙女じゃねえか! というか勇者様固まっちゃったよ! 突然の告白にフリーズしちゃってるよこれ!
しかも白宮じゃないと分かっていても上目遣いで見つめられているせいで俺までドキドキしてしまう。もうどうするんだこれ……。
俺がそんなこと考えてると悟ってかマリアが割り込んでくる。
「ちょっとアンタ! そのまま帰れると思っているの!」
「あら、まだいたの聖女様」
「まだいたのって、もともと私の主の家に来たのはあなた達でしょ!」
「あー、そういえばそうだったわね。じゃあそういうことで私たちは帰りましょ? アル」
ルシファーは抱き着いた体を横にずらし、腕に抱き着く形になる。これ都会のカップルとかでよく見るやつだ。そのままアルを、というか俺の体と共に歩き始めようとする。
「ちょっとまてえええ!」
「なによ、うるさいわね」
「アンタ本当になにが目的なの?」
「だから私、アルのこと好きなのよ。それでもってお付き合いしたいの。でもあの世界じゃそんなことできないじゃない?」
「好きなのは分かったから……え?」
「あの世界で勇者と魔王が付き合うなんて無理に決まってるでしょ。そんなことしたら両方の部下や手下から反感を買うに決まってる。だからこの世界じゃないところで私は恋をしようと決めたの。それにあの世界じゃそもそも婚約者がいたみたいだし」
新たな事実にマリアがきょとんとしている。
そうだったのか。ようやくルシファーの目的が見えてきた。あの世界では勇者と結ばれることは不可能。であれば違う世界に自分たちの心を送り込んで、新しい世界でルシファーはアルと結ばれようとしたのだ。
しかし気になるのは理由だ。どうしてルシファーはアルのことを好きになってしまったのだろうか。
『というか婚約者って……』
『それはフィアーヌ姫のことだ』
『うわっ!』
どうやら文字通り心の声が漏れていたらしい。なんだか頭の中で話すのと考えるのって難しい感覚だな。油断すると声に出てしまう。というか。
『ていうかちゃんと意識があるならその魔王なんとかしろよ』
『俺もそうしたいのは山々なんだが今はこの二人に任せた方がいい気がしてな』
『はあ』
アルの考えていることはよく分からなかったが、とりあえずはアルと一緒にこの二人の闘い、じゃなくて話に耳を傾けることにする。
マリアの方は少し考えて聞きたいことが纏まったのか口を開く。
「でも、アンタがアルを好きになる理由なんて見当たらないのだけど」
さっきから俺が気になっていたことをマリアが代わりに聞いてくれる。そう、そもそも勇者と魔王じゃ全く接点なんてないはずだが、どうしてルシファーはアルのことを好きになったのだろうか。
だが、次にルシファーが答えた内容は全くと言っていいほど期待通りの答えではなかった。
「それだけは……言えない」
ルシファーの目は真っ直ぐマリアを見つめていた。まるでそのことには絶対に触れるなとでも言いたげに。だからだろうか、それを言った瞬間マリアが一瞬怯んでいた。そしてついにマリアのなにかの糸が途切れた。
「はあ……分かった、分かったわよ。とりあえずそのことを深く追及するのも、あなたを襲うのもなしにするわ。だって今のあなた、あの世界での魔王感まったくないんだもの」
「そう、そうしてくれると助かるわ」
なんだかよく分からないまま話が終わってしまった。というか勇者様はそろそろ発言しないとこのままだとお持ち帰りされるぞ。と言っても帰宅先は俺の家だろうが。
「とりあえず話はまとまったみたいだが……ルシファーそろそろ離してくれないか?」
「どうして? 私のこと嫌い?」
「そういう問題じゃないだろ。そもそも俺は魔王としてのお前のことは知っているが、今の恋するお前のことはよく知らない。だから好きか嫌いかなんてそもそも判断できない」
「じゃあ時間が経ったら聞くね?」
「ああ、もうしばらくは様子を見させてもらう」
「ふふっ、それだけでも大きな進歩ね。いいわ、じゃあそろそろ弥生に変わるわね。じゃあアル、また近いうちに」
言うだけ言い放ち、アルと離れた後ルシファーは戻ってしまった。
「なんか私も疲れたわ、舞もさっきからうるさいし、代わってあげないとね」
続いてマリアもそのまま戻ってしまう、となると……。
「じゃあ、あとはこの世界の人達に任せるとするか。翔、代わってくれ」
そして最後に俺も入れ替わりをする。意識だけのものが徐々に俺の体とリンクしていく。手を動かしたいと思えば動き、足を動かそうと足の指先に意識を集中させ動くことを確認する。
俺はそのまま周りを見渡す、雰囲気だけでしか分からないが恐らくこの二人も戻ったとこなのだろう。白宮と神宮は何故か顔を真っ赤にしている。たぶん俺も顔が真っ赤になっているだろう。
「なんか、すごいことになっちゃったね」
始めに神宮が口を開く。俺もその言葉に無言で頷く。
しかし白宮だけは反応が少し違っていた。
「る、ルーちゃん。あんな大胆なことをするなんて……アルさんのこと好きなのは知っていたけど」
いや知っていたのかよ。というかそうか、だからこそ白宮は最初からルシファーを仲が良かったのか。最初から物騒なこと企んでいたらあそこまで仲良くはなれないだろう。
というか全く気付いてなかったけどもう17時か、さすがにこれ以上いるのは神宮にも迷惑だし、夕飯の支度もしないといけない。
「すまん神宮、なんかドタバタしちゃったけどそろそろ帰るな。今日のことはまた日を改めて話そう」
「うん、それは良いんだけどね有野」
「ん? なんかまだあるのか?」
「あの……その右手」
「右手?」
そういえばさっきから痺れるというか変な感覚が。そのまま右手に視線を移すと手のひらに血だまりが出来ていた。
その瞬間、今まで忘れていた分の痛みを一気に放出するように痛覚が俺を襲う。
「いってえええええええええ!」
「ちょ、大丈夫有野!?」
「有野くん! 死なないで!」
「いや死なないけど、いってえ! なんだこれ!」
俺はそのまま数分神宮の家で悶えていた。