完結
は、はる……
「だ、れ…… 」
春子……
「あき…… ひさ…… 明久なの?」
春子、朝だよ。
「朝? じゃ、起きないと…… あれ?」
私の体は私の意に反して、何度起き上がろうとしても何かに縛りつけられているかのようにピッタリとベッドに張り付いたままだった。
春子、起きて。朝だよ。
明久が私を呼ぶ声が聞こえるとなぜか、私はどうしても起きないといけない気がしてならなかった。
「明久、手を貸して。体が重くて、起き上がれないの」
ほら、春子……
明久がやさしく手を伸ばしてくれた。私はその手に向かって、手を伸ばす。
「あと、もう少し……」
パシ! 力強く私は明久の手を取った。
春子、おはよう。
力強く私の手を受け止めた明久は、笑顔でそう私に微笑みかけ私の体を引っ張り上げた。明久との距離が近づくにつれ、明久の顔は薄れ逆に、私の意識がはっきりと回復していった。
ピコン、ピコン、ピコン…… ピコン。
この音は……
聞き慣れた機械音が私の耳に聞こえてくる。
「先生! 春子さんの意識が!」
木下さんの声? 明久…… じゃないの。
徐々に私の意識が戻っていくのを体で感じる。
「バイタル確認急げ! 呼吸を安定させろ!」
「春子さん、頑張れ!」
き、木下さん…… わ、私は生きるよ……
私はまだうまく力が入らない手を必死に動かし、木下さんに伝わるように握り返した。
「き、木下さん……」
「春子さん!」
木下さんは泣いて、私の手を力強く握り返した。私は……
「…… 眠っていたの?」
「そうよ。でも、もう大丈夫。安心して」
そうか。私、手術を受けたんだった。生きるための手術…… 明久、私…… 生きたよ。まだ不慣れな体のあちこちを動かし生きていることを確認すると、更に生きていることの嬉しさに身が焦がれそうになる。移植された心臓に手をやる。移植された心臓も私の喜びに合わせて、ドクドクと力強く動いていた。
「木下さん…… 明久は? 今すぐ、会いたい」
早く、明久に私が生きていることを伝えたい。そして、一緒に生きている喜びを分かち合いたい。いや、明久のことだから泣いちゃうかも…… けれど、きっと笑顔で私を迎えてくれる。私の大好きな明久の笑顔。
「明久君は…… また、会えるわ。ほら、春子さん、手術は成功よ。これ…… 成功のお祝い」
そう言って、木下さんが私に渡したのはとても一人では抱えきれないほどのマリーゴールドの花束だった。マリーゴールドの独特の匂いが病室に充満する。
「木下さん、ありがとう。でも、これ大きすぎない?」
手元をよく見ると持つ部分が二つありそれがテープにグルグルと巻かれ、一つにされていた。
「あはは。まぁ…… ね。でも、これでいいのよ」
木下さんは歯切れの悪さを残しながら、最後は強引にもっていった。私はそんな木下さんに妙だと思ったが、それも木下さんらしいとありがたく貰った花束を眺めた。綺麗な黄色をしたマリーゴールドが私の目一杯に写る。こんなにも多くの、マリーゴールドを見るのは初めてだ。ツンとしたマリーゴールド独特な匂いが花を眺める度に、鼻を刺激してくる。私の体全体がマリーゴールドで包まれたとき、私の中でドクンと一つ脈が跳ねた。
―― あれ、私はこの匂いをどこかで……
その思った瞬間、私の中で一つの記憶の種が芽生えた。
「小さな車椅子で良かったのに…… もう、こんな大きな車椅子に乗っちゃって、子供の成長は本当に早いわね」
木下が僕の頭に手をポンと昔の僕と今の僕を比べるように添えた。
『木下さん…… あれ、明久もいる……』
「不思議ですね。病院の中に居ると、時が経っていることなんて全然気がつかないのに、外に出るとそれがよくわかります。僕はあの時より、確かに大きくなりました」
木下の手の上に自分の手を置く。周りに視線を配ると、前よりも視線の高さが違うことが分かる。そして、あの時とガラリと変わった風景に僕は僕の中の時計の針をグルグルと回し、更に時間が経ったことを実感する。
「大きくなったのは、あなただけじゃないのよ。今から、良いものを見せてあげる」
そう言って、木下は再び車椅子を押し出した。
『これって、もしかして明久の記憶なの? どうして、明久の記憶が私に……』
ゆっくりと、病院を半周し僕たちの病室と反対の場所に差し掛かると、木下が目を瞑るように言ってきた。僕は最初、嫌がったが木下があまりにもしつこいので言われ通り、目を瞑った。
「もう、いいわよ。目を開けて」
木下に言われた通り目を開けると、僕は入って来た景色に驚いた。
「フフフ、すごいでしょ!」
木下が大きく胸を張った。
「すご…… すぎるよ。木下さん」
僕が目を開け飛び込んできたのは眩しいばかりに咲いた黄色の花の花壇だった。この鼻をつく匂いはよく覚えている。ここに咲いているのは……
『マリーゴールド!』
私は思わず、手元を見る。間違いない、この花束のマリーゴールドだ。
「これ全部、木下さんが育てたの?」
「そうよ。あの時は一本だったでしょ。だから、今度、渡すときは花束って決めていたのから」
木下は花壇の方に歩いていくと、何本かマリーゴールドを摘みとって来た。
「本当はあなたが病気を治して退院するときにあげるはずだったのよ。だけど…… ね。もう、明久君には渡す機会がないから…… 今、渡すわ」
木下が僕に花束を向けた。
『木下さん、この花、臭いよ。他にもっといい花、無かったの?』
僕の言葉に木下が僕に微笑みかける。
『明久君は、花には言葉があるのを知っている?』
『花、言葉? 花はしゃべらないでしょ?』
『ううん、そうじゃなくてね。この花には私の思いも詰まっているの。この花の言葉はね…… “生きろ”』
木下の手にある黄色に染まったマリーゴールドを見た途端、僕は思い出した。どうして、今まで忘れていたのだろうか。この花と木下さんの思いを……
「木下さん……」
僕は一度、花束を受け取ろうとした手をひっこめた。
「だめ、受け取って! やっぱり、これが私の気持ちなの。最後ぐらい、私のわがままを受け取って頂戴よ、明久君」
『最後? 最後って、どういうこと!』
木下は最後という言葉に詰まりながらも、笑って僕に花束を向けてきた。その笑顔から木下の気持ちが痛いほど伝わってきた。また抱いているのだろういや、僕が抱かせてしまったのだろう。『無力』という気持ちを……
「分かりました。これで、最後ですもんね。だから、最後ぐらい木下さんのわがまま聞いて上げます」
僕は何度も最後という言葉につまりながら向けられた花束を受け取った。そして深々と頭を下げた。本当は何か言葉にしたかったが、今の思いを言葉にまとめることなんて出来なかった。今の僕に出来たのは、ただ必死に唇を噛みしめ地面に落ちた涙を影で多い隠すことぐらいだった。
『明久…… どうしてそんなに悲しそうなの?』
私には二人の会話の意味がよく分からなかった。だけど、私が知らないどこかで何かが起こっているは確かで、しかもそれは明久が関係している……
「木下さん、明久どこ!」
私はさっきよりも、きつく木下にきつく言い放った。
「え、だから明久君は…… また、会えるから」
木下さんの口調は変わらないままだったが、木下さんの拍子抜けした笑顔に私は木下さんの言葉を聞きもせず、病室から飛び出した。
「明久、私ね。手術を受けるよ」
昨日、私は手術を受けると決断をした。そして、それと同時に僕の余命も決まった。
僕は生きる意味を探して、見つけ、散っていく。
私は生きる意味のために生きる。
「明久、私、生きるよ」
私が病室を出る前に、明久に言い残した言葉だ。僕はその言葉が聞けて嬉しかった。最後に、良い言葉が聞けた。お別れの言葉としては僕には十分だ。
「そして、私、明久と生きるよ」
私は満面の笑みを浮かべた。明久と生きていけると思うだけで、私の心はカラフルに色踊った。自然に笑顔になれた。だから、これからも私は明久と生きていきたい。
僕はその言葉を聞いて、僕も春子と生きたいと叫びたかった。
そして、もう一度抱きしめたかった……
僕はもう、耐えれそうにない。早く、行ってくれ春子! 頼む!
「いってきます」
私は名残惜しくもう一度、明久を見た。最後に明久の笑顔を見て元気を貰いたかった。僕はそれに笑顔で答えた。春子に見せた、最初で最後の嘘の笑顔だ。本当は笑顔なんて作ることが出来なかった。扉が閉まり、春子が行ったのを確認すると僕はその場で泣き崩れた。僕は何も思いのこさないため、泣いた。
春子、ありがとう。僕に死ぬ怖さを教えてくれて
春子、ありがとう。僕に笑顔をくれて
春子、ありがとう。僕と一緒に生きてくれて
春子、ありがとう。僕に生きる意味をくれて
本当にありがとう…… 春子には貰ってばっかりで何も返せなかった。だから、最後に一つだけ春子に返すよ。
「明久!」
いつもの病室に明久は眠っていた。私は明久の周りに居た人たちをはねのけて、明久のもとへ飛び込んだ。
「明久、起きて! 何、寝ているのよ! 私と一緒に生きるんでしょ!」
私は無理やり明久を起こした。周りから、やめなさいなどの声が聞こえたが、関係なかった。明久の体がまた動くなら、明久がまた抱きしめてくれるなら、あの時、聞いた心音がまた聞けるなら、私はなんでもやってやる。
ドクン、ドクン、ドクン、ドクンと激しい動きが心臓の心音を大きくしていく。
「明久、起きなさいよ!」
春子が僕を呼ぶ声がする…… 春子、どこ? 僕はここにいるよ。
「明久さぁああああああ!」
春子、泣いているの? 大丈夫だよ。僕はここにいるから…… 泣かないで…… 笑って……
ドクン――。
このような終わり方になってしまったのは私の力不足がいたす所であります。お許しください。しかし、これもまた一つの終わり方だと思っていただければ幸いです。
エピローグに関しては時間と要望があれば書いてきたいと思います。




