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愛を求め鳥は泣く  作者: よろず
本編
8/50

八. 柔らかな檻2

 甘ったるくて不快な香りが鼻をついて、私は微睡みから抜け出した。

 目を開けるとそこにはグレアムさんがいて、ソファで眠っていた私を抱き上げようとしているみたいだ。甘い香りは、彼から香っている。部屋を出る時にはしなかった香り。きっと移り香だ。女性物だと思うけれど、世界が違えば香りの好みも違うのかもしれない。と、思いたい。


「……おかえりなさい」


 私を抱き上げようとしていた彼の胸に手を付いて、動きを止めた。この香りは好きじゃない。


「起こしてしまったな、すまない。……あれは着なかったのか」


 ぽつり落とされた言葉。彼の視線は私の着ている物に向けられている。それで理解して、私は苦く笑った。


「刺激的で、私には似合いません。着たらきっと、グレアムさんを不快にさせてしまいます」


 私は既に寝支度を整えている。寝間着を探して支度部屋を見てみたら、あったのは裾が長いワンピースなのに生地が薄く胸元も大きく開いたセクシーな物。他に見当たらなかった為、森の家から持って来ていたグレアムさんの寝間着を身に付けた。サイズは大きいが、こちらの方が生地がしっかりしている上に露出もない。あのようにセクシーな服は妖艶な美女向けだ。そう言って笑う私を見るグレアムさんの眉間には、皺が寄った。


「グレアムさん?」

「期待していたんだがな」

「何をですか?」

「……なんでもない。着替えて来る」


 不機嫌な様子でグレアムさんは浴室へ向かってしまった。その背を見送りながらもしかしたらと考える。支度部屋にあった服も靴も、妙にしっくり私の体にフィットした。グレアムさんが選んでくれた可能性に思い至り、だけど離れた場所からどうやったのだろうと首を捻る。魔法が使える賢者様なのだからどうとでもなるかという事で、私は納得しておいた。風呂から出て来たら本人に聞いてみよう。

 淡い灯りに照らされる室内で、私はティグルのふわふわした毛を撫でながら彼を待つ。扉が開く音で振り向けば、顔を顰めたグレアムさんが私を見ていた。


「眠っていて構わなかったんだ」

「……待っていたかったんです」


 目を伏せつつも本心を告げた。ティグルはいてくれたけれどグレアムさんがいない事が寂しかったから、眠る前に少しでも会いたかった。

 ティグルをソファに残して立ち上がり、私はグレアムさんのもとへ歩み寄る。すんと鼻を動かして、甘ったるい香りが消えている事に安堵した。


「支度部屋にある物は、グレアムさんが選んで下さったんですか?」


 問い掛けに答えはない。だけれど彼が照れる時のあの顔をしたから、私は微笑む。


「ありがとうございます。魔法ですか?」

「……そうだ。選んで、揃えておいてもらった」

「魔法って凄いです。とても、嬉しい。寝間着を着なくてごめんなさい。勇気が出たら、着ます」


 勇気は出るだろうか。かなりかき集めなければ着るのは難しい気もするけれど、グレアムさんが私の為に選んでくれたという事実が凄く嬉しい。ふわふわと心が踊り出してしまいそうだ。


「…チカ」

「はい」

「眠ろう。疲れた。お前も疲れただろう?」

「はい。……おやすみなさい」


 就寝の挨拶をしてから、私はソファへと向かう。そこで眠っていたティグルを抱き上げ、ティグルと共に部屋の隅に置かれた簡易ベッドへ体を横たえた。


「…………何故だ」

「なんですか?」


 ぼそりとしたグレアムさんの呟きが聞こえ、私は半身を起こす。大きなベッド脇に立っているグレアムさんの眉間には盛大に皺が刻まれていた。


「なんでもない。灯りを消す」


 はいと返事をしてすぐ部屋の中は暗くなる。グレアムさんがベッドへ入る音を聞きながら目を閉じればとあっという間に、私は眠りに落ちた。



 ***



 グレアムさんの仕事部屋の大掃除をする為に、私が身に纏ったのは支度部屋の中でも一番シンプルで動き易そうな服。襟の詰まった長袖のシャツに紺色のロングスカート。エプロンも見つけたから使わせてもらう事にした。

 グレアムさんはまだ眠っている。きっと仕事で疲れたのだろう。朝食はどうしようかと悩みながら仕事部屋の状態を見て回っていると、ノックの音が聞こえた。返事をして、返って来たのは昨夜の女性の声だ。


「お弟子殿に食材の調達方法などを案内するよう、命を受けて参りました」


 はて、私はそれを聞いていない。グレアムさんからは引きこもり命令が出ている為に、女性には少し待ってくれるよう告げてグレアムさんのもとへ向かう。起こしてしまうのは申し訳ないけれど、グレアムさんが私に言い忘れた可能性もある。


「グレアムさん、少し良いですか」


 大きなベッドの真ん中で寝ている彼にはベッド脇に立っていては手が届かない。何度か声を掛けてはみたが反応が無い為、私はベッドへ身を乗り上げグレアムさんの体を揺する。


「あの、私、部屋の外に行っても良いんですか? お迎えの女性が来ました」

「…………アイシャが来たなら、構わない」

「アイシャさんですね? 名前を確かめてその方なら、ちょっと出て来ます」

「……すぐに戻れ」

「わかりました」


 眠そうな掠れた声に、私の頬が緩んだ。愛しさが溢れて、彼の頭を一撫でしてからベッドを下りる。

 名前を確認したら女性がアイシャだと名乗った為、私はエプロンを外して部屋を出た。ティグルは私の腕に巻き付いている。アイシャさんは相変わらず無駄口は叩かない。必要な事だけを教えてくれる。私も他人とのお喋りは好きではない為に、淡々と必要な事だけを確認する。

 グレアムさんと私が着た服は、籠に入れて部屋の外に出しておけば係の人が洗濯してくれるらしい。やり方を教えて欲しいと申し出たら断られた。きっとそれは、私の仕事ではないのだろう。食材は毎朝厨房に行けばその日の分を渡してもらえるのだと言うから、食事の支度は私の仕事みたいだ。厨房の人に挨拶をして、食材を受け取った後は戻りの道でゴミ捨て場などの必要な場所を案内してもらった。

 部屋の前でアイシャさんに礼を告げると、彼女は無表情のまま頭を下げて去って行った。無駄口を叩かずキビキビとした彼女を私は嫌いではないと思う。部屋の中ではグレアムさんがまだ眠っていたから、静かに朝食の支度をした。


「……チカ」


 ずしりと背中からのし掛かられてびっくりした。突然のスキンシップは心臓に悪いと思う。


「おはようございます。お茶を淹れますね」

「……頼む。良い匂いだ」


 そう言った彼の鼻は、私の首筋の匂いを嗅いでいる。料理の香りへの感想ではないのだろうか。


「あの……動けません」


 グレアムさんの腕が私の腹に巻き付いていて、背中には彼の体が密着している。未だに首筋やら耳の裏やらの匂いを嗅がれている為私は動けない。心臓も、ドキドキし過ぎで壊れてしまいそうだ。


「香水は嫌いなんです。良い香りはしないと思います」

「俺も香水は嫌いだ。お前からは薬草の香りがする」

「それは……グレアムさんの香りです」

「そうか」


 ふっと彼が笑った気配がした。喜んでいる気がするけれど、私は何か彼が喜ぶ事を言ったのだろうか。わからないけれど、グレアムさんが笑うのは大好きだ。


「チカ、化粧をしているのか?」

「はい。支度部屋にありましたし、ここは森の中ではないですから」


 引きこもり命令は出ていたけれど、身形は整えるべきだと思ったのだ。グレアムさんが用意してくれた服はどれも素敵で、化粧をしなければ衣装負けしてしまう。すっぴんでは不釣り合いだ。


「紅が移るのは嫌だ」


 グレアムさんの灰色の瞳は私の唇に向けられている。彼の言いたい事がわかって、私は顔も体も熱くなってしまう。


「に、似合わないでしょうか……」


 恥ずかし過ぎて目を伏せて、でもとても気になったから聞いてみる。日本にいた時には、無難にピンクベージュばかりを使っていた。支度部屋にあった口紅は派手な物から地味な物まで色々あったが、自分の肌に合う地味目な色を選んだつもりだ。似合っていなかっただろうかと心配になり、声が微かに震えてしまう。


「よく似合っている。だが少し地味ではないか? もっと他の服も着て見せてくれ」

「きょ、今日から掃除を始めますから、汚してしまいたくはありません」

「ではその内、期待している」


 私の耳元に唇を押し付けてから、機嫌の良いグレアムさんはやっと私を解放してくれた。

 キスされた耳が熱い。なんとか動揺を押し殺しながら私はお茶を用意してグレアムさんのもとへ運び、朝食を並べる。だけどきっと、全然動揺は隠せていなかったんだと思う。だってグレアムさんがずっと、くつくつと楽しそうに笑いながら私の動きを目で追っていたから。

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