七. 柔らかな檻1
王城内にあるグレアムさんの部屋は広い。ふわふわの絨毯が敷かれた廊下から綺麗な装飾の施された扉を入るとすぐに、ぐっちゃり状態の仕事部屋。仕事部屋の奥にある扉を潜ると大きなベッドが置かれた寝室になっていて、部屋の隅にはちょこんと一つ、簡易ベッドが置かれていた。寝室にはバルコニーに続く大きな窓。仕事部屋へ続く出入り口と窓以外にも三つの扉があって、出入り口から右手側の窓に近い方が炊事場。仕事部屋側は浴室で、炊事場と浴室の反対側にある扉を開けたらそこは支度部屋だった。支度部屋にはグレアムさんの服の他に女物の服も用意されていて、なんらかの方法で私の存在が事前に連絡されていたのだろう事がわかった。
「探検は終わりか?」
窓辺の椅子に座って、グレアムさんがくつくつ笑っている。部屋の中を見て回る私を眺めていたみたいだ。はしゃいでしまって恥ずかしい。
「広いお部屋ですね。本もたくさん」
仕事部屋にはたくさんの本があった。壁や床を埋め尽くすように、ぎっしりと。
「部屋の中だけでなら好きに読んで構わない。内容は、人には話すな」
「ありがとうございます」
やっぱり知られたらまずい内容もあるみたい。ディードくんに話さなかったのは正解だった。
旅の汚れを交代で落として、私達は着替えた。私は、支度部屋にあった化粧品でほんのりと化粧もした。森の家では化粧品が勿体無くて出来なかったけれど、置いてあったのだからありがたく使わせてもらった。掃除は明日からだから、着たのは色の綺麗なワンピース。濃紺色で、裾は足首まですっぽり隠れる程に長い。支度部屋にあったのは裾の長い服ばかりだったから、レアンディール――少なくともグレアムさんの国であるギリリアンでは、女の人が足を出す事ははしたないのかもしれない。サイズは痩せたお陰でぴったりだったけれど、レアンディールに来たばかりの私では着られなかったと思う。
「チカ、部屋からは出るな」
「……バルコニーは、良いですか?」
支度部屋から出て掛けられた第一声は引きこもり命令。特に外出が好きな訳ではないけれど、日向ぼっこくらいはしたい。したいけれど……眉間に皺を寄せて悩んでいるグレアムさんを見ると、バルコニーすらダメなのかもしれないと不安になる。
「バルコニーは、許そう」
落ち人は、他人に会ってはいけないのだろうか。何かの犯罪に巻き込まれるとか? だけどカーラットさん達には会ったし、ここまでの道中はたまに隠されはしたけれど、それは騎士の三人から隠す目的が強いように感じた。それに、外に出なければ他に良い仕事があるかは探せないと思うんだ。まぁ別に、他の仕事に就きたい訳じゃないから構わないけれど。
「グレアムさんはお出掛けですか?」
着替えたグレアムさんが色男過ぎて困る。正装していて、この服装なら貴族だと言われても納得出来る。いつもは髪は適当に一つに結うだけ。髭も剃ったり剃らなかったりでチクチクしている事が多いけれど、今は髪も綺麗に纏めていて髭も剃られている。
「素敵です。格好良いです」
珍しい彼の姿を目に焼き付ける為に、私はグレアムさんの周りをぐるぐる歩きながら褒め称える。元々惚れているけれど、更に好きになってしまったじゃないか。
「王に会わねばならんのだが、行きたくない」
突然の駄々っ子に、ぎゅうっと抱き締められた。
「今回のお仕事の件ですか?」
「……そうだ」
「私にも何か手伝えますか?」
無言。
顔を見上げてみたら、眉間の皺がとっても深い。何か悩んでいるのかな? お仕事、そんなに厄介なのかな?
「手伝える事があったら言って下さい。私は、あなたの役に立ちたいです」
にっこり微笑んだら優しく頬を撫でてもらえた。グレアムさんの眉間の皺も、少し薄くなった気がする。
「そういえば私、この城の方にご挨拶をしなくても良いんでしょうか?」
はたと気が付いた。城の中にいるのに、グレアムさんの弟子設定なのに、私は挨拶しなくていいのだろうか。しなければ、失礼になりはしないか。そう思ったんだけれど、ぴしゃりと却下された。
「必要ない。可能ならば誰にも会うな。部屋にいてくれ」
「……引きこもりは得意ですが、食事を作る為の材料の調達などはどうしましょう? この部屋の中に引きこもっていては掃除しか出来ません」
ゴミだって捨てられない。そう指摘すればまた、グレアムさんの眉間の皺が深くなってしまった。
「…………後で考える。今日は何もせず、疲れを癒せ」
「はい。お時間は大丈夫ですか?」
「行きたくない」
駄々っ子なグレアムさんが可愛くて、私はふふっと笑う。髪を撫でられて、心地よくて、なんだか幸せだ。だけどこのままではいられない。いくら幼馴染で、グレアムさんが賢者様とか呼ばれる凄い人でも、王様を待たせるのはまずいんじゃないかな。
「ここで大人しく待っているので、お仕事に行って来て下さい」
促すと、頭の上から小さな溜息が聞こえた。グレアムさんは腕の力を緩めると、私の頬にキスをする。
「行って来る。遅くなるようなら食事は運ばせる。先に眠っていて構わない」
優しく目元を緩めて、グレアムさんは最後にもう一度私を抱き締めてから部屋を出て行った。まるで恋人。でも彼はこの国の貴族で賢者様。私は落ち人なのに無能。不釣り合い過ぎて、誰にも紹介してもらえない。隠さなくてはいけないような存在の私。なんだか無性に泣きたくなったけれど、贅沢な悩みだとも思う。彼は私には勿体無い。側にいて、共に時を過ごせるだけで、十分だ。
***
ティグルは私の護衛か見張り番。どちらでもないかもしれないけれど、側にいてくれる。ティグルがいてくれるから、寂しくなんてない。今着ている服は襟ぐりが詰まっていて胸元に余裕も無いから、ティグルは私の腕に巻き付いている。ティグルの少し低い体温を感じながら、私はバルコニーで本を読む事にした。炊事場には茶葉と焼き菓子があったけれど、本を汚してしまったら嫌だから熱いお茶だけ用意してバルコニーへ出る。ギリリアンは、一年を通して寒暖の差があまりない土地らしい。雨も程良く降る。今日は晴れていて、鮮やかなオレンジ色の夕焼けがとても綺麗。バルコニーに置かれていたテーブルにお茶のカップと魔力で火が付くランプを置いて、私は椅子に腰掛けた。この世界には私のように魔力が無い人間も多くいるみたいで、旅の途中で泊まった宿にあった物やこの部屋の中にある物は、魔力を補充すれば誰でも使えるようになっている。私はグレアムさんに魔力を補充してもらえるけれど、一般の人はどうするんだろう。電気のように、魔力を供給する設備とかがあるのかな。今度グレアムさんに聞いてみよう。
この部屋は五階にある。バルコニーの下は庭みたいだけど誰もいない。ここに来るまでの廊下でも誰とも擦れ違わなかった。こんな大きなお城に一人きりのような錯覚に陥って、嫌な想像を振り払う為、私は本を開いた。
「……なぁに、ティグル?」
いつの間にか日は暮れて、私が着ているワンピースの色のような濃紺が空に広がっている。少し肌寒くなったからか、本に集中していた私の頬をティグルが舐めて注意を引いた。
「寒い?」
聞けば、ティグルは私の首筋に体をすり寄せて来る。ティグルが風邪を引いたら可哀想だ。私は本を閉じて、すっかり冷めてしまったお茶の入ったカップとランプを手に部屋へ戻った。部屋は真っ暗。グレアムさんはまだ戻らない。部屋全体をやんわり明るくしてくれる灯りをつけて、ソファにあった膝掛けでティグルの体を包む。そのまま膝に乗せてソファで本の続きを読もうとしたら、仕事部屋へ続く扉が叩かれた。グレアムさんはノックはしないと思う。それなら誰だろうかと首を捻りつつ、私は返事をする。
「お食事をお持ちしました」
女性の声だった。扉を開けると、白金の髪をひっつめた背筋がピンと伸びた老齢の女性が立っていた。礼を告げて受け取ろうとしたが彼女は渡してくれなくて、部屋の中へ運んでくれる。ソファ前のローテーブルに食事を並べてくれて、彼女はテーブルの横へ待機するように立った。片付ける為だろうと推測して、私はもう一度礼を口にしてからソファへ座る。知らない女性にじっと見られながら、私は黙々と食事を口に運んだ。
「とても美味しかったです。ありがとうございます」
料理はどれも上品な味がした。こういう物を食べ慣れているのだろうグレアムさんは、私の作る物をいつも文句も言わずに食べてくれていた。やはり優しい人だなと、胸がほっこり温かくなる。
テーブルの上を無言で片付けた女性は、頭を下げるとすぐに部屋を出て行ってしまった。シンと静まり返る室内に、また一人きり。
「ティグル……私もう、森の中のあの家に帰りたくなってきちゃった」
膝の上で丸まっているティグルに弱音を零し、私はまた本を開いた。