四十一. 鳥が舞う空7
夜は王様とカーラットさん、王弟の二人もやって来てみんなでお酒を飲んだ。リリスはこの国では成人らしいけれど、お酒の飲めない彼女にはジュース。修行話を強請られ、私は思い付くまま話す。
「なぁんか、神官の話が多くてムカつくね」
「王様、あそこには神官ばかりですから当たり前です」
「そうじゃない。イグネイシャス」
王様がやたらとイグネイシャスを気にしていたのは面倒臭かった。
「ねぇ、リリスはどうなの?」
「私は今、お勉強中です」
どうやらリリスには家庭教師が付けられて、ギリリアンの一般教養やマナーなどいろんな事を学んでいる所らしい。フィオン様とは、上手くいっているみたい。リリスの惚気話が始まったら真っ赤になったフィオン様がリリスの口を塞いでいた。
「チカさん。後でたくさん話しましょう」
可愛らしく片目を瞑ったリリスは、私を自分の部屋に泊めると決めたみたい。同じベッドで寝ようねと擦り寄られ、私は頷いた。リリスともまだまだ話したい事がたくさんある。
「朴念仁のくせに良い女捕まえたと思ったら逃げ出すなんて、グレアムらしい」
スウィジン様がぼそりとそう零した。私は酒瓶を取り、彼のグラスへ酒を注ぐ。
「……スウィジン様って、グレアムさんの事が好きなんですか?」
「はぁ? なんでそうなるんだよっ」
「怒るのは図星じゃないですか? あなたの憎まれ口は、愛情の裏返しのような気がします」
「正解だ、チカ。スウィジンはグレアムを心配してんだよ」
カーラットさんの大きな手に頭を撫でられ、褒められた。そんな私達のはす向かいで、スウィジン様が不本意そうにそっぽを向く。
「……俺は安心してたんだ。あんたら、愛し合ってるように見えた」
「少なくとも私は、今でもグレアムさんを愛しています」
「そうかよ。ならさっさとあの臆病者の馬鹿、救ってやってくれ」
「はい。私も早く彼に会いたい」
微笑んで答えたら、スウィジン様がお酌をしてくれた。今飲んでいるのは、カーラットさんが好きなお酒。これは友と酌み交わすのに好まれる酒らしい。甘さはないけれど、穏やかな深みのあるお酒。
優しい酔いに包まれて、いつまでも私達の話は尽きなかった。
***
今度の旅立ちは再会の約束と共に。
リリスとは窓の外が明るくなるまで話をした。ほとんどが恋の話。恋をしたのも初めてだし、誰かとそんな話をするのも初めて。レアンディールは私に多くの、優しい初めてをくれる。
「もしグレアムに拒否されたら城へおいで。僕がもらってあげる」
「ありがとうございます王様。でも私、グレアムさんがもらってくれないのならパートナーはいりません」
「残念だなぁ。僕は君が好きだよ」
「ありがとう王様。でもごめんなさい」
「……うん、いいんだ。僕はきっと、グレアムと一緒にいるチカが好きだから。君たちは二人一緒が、羨ましいくらいに幸せそうだった」
泣き笑いのリリスに抱き付かれて再会の約束をした。お世話になったみんなに見送られ、私は家路につく。ティグルの代わりの護衛と道案内として、カーラットさんがついて来てくれる事になった。それとスウィジン様。スウィジン様は、見届けたいからついて来るのだそうだ。
グレアムさんに守られながら通った道を、自分で馬を操り、私は帰る。馬に揺られながらいろんな事を思った。拒否されたらと思うと怖い。でも、会いたくて堪らない。声が聞きたくて堪らない。優しく守ってくれていた籠から放たれ、私はいろんな経験をした。いろんなものを見た。色々な事を感じた。今の私なら、この想いが雛の刷り込みなんかじゃないと信じて貰えるだろうか。いや、信じさせてみせる。もし例え、あの人の心がもう私には向いていないのだとしても、私は帰る。帰らないとならない。ティグルにあの時、一緒に帰ろうと言われたから。あの夜唇に触れた温もりと落とされた言葉が、現実にあったものだと思うから。
「本当にあんた、綺麗になった」
途中立ち寄った宿の食堂で、カーラットさんにしみじみと呟かれた。
「女は、愛する男の力で綺麗になるらしいです」
「グレアムのお陰って、前にも言ってたな。けど今回は、あんた自身の力じゃねぇか? なんか……芯が出来て強くなった気がする」
「なら今回は、出会ったみんなのお陰かもしれません。私はもう孤独じゃなくなりましたから。……でも、きっかけを与えてくれたのも、やっぱりグレアムさんなんです」
胸の奥には常に温もりがある。それが力となって、私は前へ進めるようになった。
「グレアムも気付けば良いんだ。森になんて閉じこもりやがって。……俺らだって友としてあいつを大事に思ってるのに頑なで、腹が立つ」
「だからスウィジン様は、グレアムさんにツンケンするんですね?」
「そうだ。怒りの感情なら届くかなってな」
苦い笑みを浮かべたスウィジン様と一緒に、私も困った気持ちで笑う。
「確かにあいつは天才だ。だけど肝心な所で、馬鹿なんだよなぁ」
「愛がこもった台詞ですね」
「うるせぇ」
私達は、出来るだけ速く馬を走らせた。一日の内に少しでも、グレアムさんとの距離が縮まるように。そうして三日目に、森の入り口へ辿り着いた。
「呪文をここで唱えるんだ。そうしないとあの家には着かない」
魔力の無い私一人では、どうやっても帰れなかったようだ。カーラットさんが呪文を唱え、道を開く。開いた道へ足を踏み入れて、焦る心のままに私は歩を進めた。辺りはもうすっかり暗い。カーラットさんとスウィジン様が作った魔法の灯りを頼りに前へと進む。懐かしい森の香り。森の音。胸が熱くなって、気が急いてしまって私は何度も木の根に足を取られた。その度に馬が首を差し出してくれて、支えてくれる。ずっと私の練習に付き合ってくれた子だ。独り立ち祝いに、ビヴァリーさんがくれた。森の奥に灯りが見えて、私は馬の手綱を引いて駆け出した。宵闇の中、灯りが漏れる家。畑は荒れてしまっている。薬草園も。もしかしたら家の中も、またぐちゃぐちゃかもしれない。震える手で、扉を叩く。何度も何度も、しつこく叩く。やっと開いた扉の向こう。会いたかった彼が目をまん丸にして立っていた。
「グレアムさん……放たれた鳥は自由な空を知り、それでも私は、あなたの籠の中での安らぎを選びます」
両手を差し出して、願う。どうかこの想いが届きますようにと。
「愛してるんです。どうしようもなくあなたを愛しています。私は永遠にあなただけのもの。どうかまた……お側にいさせて下さい」
言いながら、はらはら涙が零れた。それを拭う事もせず、私は真っ直ぐに灰色の瞳を見上げ続ける。
「…………チカ……」
「はい」
「……どうやって、ここに?」
「連れて来てもらいました」
私は背後を振り返る。少し離れた暗がりの中、灯りを消してカーラットさんとスウィジン様が立っていた。グレアムさんは二人を見つけ、眉間に深い皺を刻む。私は右手を伸ばし、指先で眉間の皺を撫でた。そのまま彼の鼻先へ指を滑らせ、薄い唇に触れる。
「グレアムさん、もう一度言って下さい。愛していると。その言葉で、私をあなたに永遠に縛り付けて?」
彼の頬を右手で包み込み、私は微笑む。微笑みながらもう片方の手を彼の髪に差し込んで、顔を引き寄せた。
「ねぇほら……言って……?」
触れる直前で唇を止め、囁くように、頑なな心を解きほぐす魔法をかける。灰色の瞳に映る私は妖艶に、笑っていた。
「チカ……」
「はい、グレアムさん」
「愛している」
泣きそうに歪んだ彼の顔。零れ落ちた言葉。私の心には喜びと幸福が溢れるように広がって、彼との距離をゼロにする。重なり合った唇の柔らかさを確かめるように触れ、望んでいた腕に腰を抱き寄せられた。私も両腕を彼の首に回してもう離れないようにと体を押し付ける。唇を割って舌を滑り込ませ、彼のそれを捕まえた。深く深く口付けて、吐息が混ざり合い、私達は唇を離してお互いの顔を見つめ合う。
「お願い。どうか……あなたも私だけのものになって下さい」
「……俺はもうずっと前から、お前に囚われている」
「そう。なら……もう逃げたりしないようにもっと……縛り付けてあげます」
また重ねようとした唇は、気まずげな二人分の咳払いによって止められた。
「すみません。グレアムさんしか見えていませんでした」
「いや、こちらこそ……邪魔してすまん」
カーラットさんは私達から目を逸らし、スウィジン様は呆れたように肩を竦める。
「疲れた。泊めろ、グレアム」
横柄な態度は照れ隠し。スウィジン様は私へ視線を向けてから、ほっとしたように柔らかく笑った。だから私も微笑み返し、お礼を伝える。
「……チカは、スウィジンをも色香で惑わせたのか?」
呆然と、ショックを受けたように呟いたグレアムさんが可愛くて愛しくて、私は破顔した。
「どうやら私、この世界では良い女らしいんです。でも私を良い女にしたのはあなた。あなたにしか私を、変えられないんです」
触れるだけの口付けをして、真っ赤で照れてしまったグレアムさんの手を引いて家の中へ入ろうとしたら、繋いだ手に力が込められ止められた。不思議に思って振り向くと、グレアムさんは眉間に皺を寄せた、私の大好きな照れた時の変な顔。
「……おかえり、チカ」
「はい! ただいま戻りました!」
飛び付いて、抱き上げられ、私達はまた咳払いで止められるまで口付けを交わし合った。