四十. 鳥が舞う空6
晴れ渡る空の下、私はのんびり馬の背に揺られている。仕事の合間に練習して乗れるようになったのだ。神殿から依頼されていた仕事は終えて患者達にも別れを告げた。しばらく仕事を休むつもりだから、再開する時には連絡する事になっている。孤児院の子供達には泣かれたけれど、また絶対会いに行くと約束を交わした。だから私は、約束を果たす努力をしなくてはならない。
ギリリアン本部の神官達ともなんだかんだで仲良くなっていたから、去る時はお互いに泣いてしまった。ゲルダなんて号泣だった。つられて私も、かなり泣いてしまった。
イグネイシャスは……馬鹿な男だと思う。いつでも泣き付いて来て下さいと言われたから、何があっても意地でも泣き付かないと私は誓い、彼にもそう伝えて来た。かなりの人見知りだけど良い男なんだから、私なんかを待つべきじゃない。だって私は、生涯に一人の男しか愛せない。生まれ持った優しさが極端に少ない女なんだ。
お馬でぽくぽく道を行く。風は花の香り。陽だまりの香り。眠くなってしまうから、馬の腹を蹴って走ってもらった。
日が傾く頃に辿り着いた王都は、幻想的で綺麗。
宿屋の厩に馬を繋いで、宿へ入る。宿屋の食堂で酒とつまみを頼んでのんびり食べた。頼んだ酒はエイラという名前の、ギリリアン特産のお酒。王様に飲ませてもらった時には、そういえば酒の名前は聞かなかった。この国の昔の王が愛する人の為に作った酒で、その女性の名前がエイラ。女を口説くのによく使われるんだって。ゲルダと酒を飲んだ時にうんちくを語られた。
ほろ酔い気分で宿の部屋へ戻って風呂に入る。さっぱりしてからベッドに潜り込んで、夢も見ないで眠った。
*
次の日は朝早くに起き出し、宿を引き払ってから馬の手綱を持って目抜き通りを歩いた。途中、繁盛している菓子店を見つけて胸がつきりと痛む。こんな些細な事ですぐにグレアムさんの事を考えてしまう。私の頭の中は、彼の事でいっぱい。
「こんにちわ。友人に会いたいのですが、呼び出してもらう事は出来ますか?」
お城に辿り着いて、門番の人へ話し掛けたら怪訝な表情をされてしまった。怪しまれている気がする。
「騎士団長のカーラットさんに、チカという女が来たと伝えてもらえたら通じると思うのですが」
「チカ? チカと言いましたか?」
あれ? なんだか名前に食い付かれたぞ?
「はい。私がチカです」
「暫しお待ちをっ」
なんだか慌てた様子の門番さんは、通信魔具を使って何処かへ連絡している。私は、爽やかな空を見上げて待つ。時折馬が構えと言うように鼻先を押し付けて来るから撫でてやった。
「あのっ。狭い場所ですが中で待ちますか?」
「いえ、風が気持ち良いので外が良いです。お気遣いありがとうございます」
微笑んで告げたら顔を赤らめられた。この国の騎士は赤面症だよなと思う。
「チカっ!」
呼ばれて振り向くと、青い騎士服を着た大きな男の人が突進して来た。突進した勢いのままで抱き上げられる。
「チカっ。今まで何処行ってたんだ!?」
涙ぐんだこの反応。私は行方不明にでもなっていたのだろうか。
「お久しぶりです、カーラットさん。修行をしていました」
「修行って……グレアムはなんも言わねぇし。なんか様子が変だと思ったら急に森へ帰りやがるし。何がどうなってんだよ」
「あ、やっぱりグレアムさんはここにはいませんか? 私、帰り方のわからない迷子なんです。お家を教えて下さい」
「はぁ? ティグルはどうした?」
「ティグルは先に帰っちゃいました」
「あーもう訳わかんねぇ! アービングも待ってる。とりあえず入れ! 一人か? 馬に乗って来たのか?」
「カーラットさん。とりあえず落ち着いて下さい。あと下ろして欲しいです」
「嫌だね。あんたまた消えそうだ。このまま行く」
「それは恥ずかしいので却下です」
脳天チョップを連続で数回して、なんとか下ろしてもらった。大人しく待ってくれていた馬を迎えに行って、門番さんに頭を下げてから城の敷地へ入る。
「……チカ、なんか雰囲気変わったな?」
「良い女になりましたか?」
「そうだな。すっげぇ良い女になった」
「それはどうも」
笑みを零しつつお礼を言うと、カーラットさんは困惑した表情を浮かべながら自分の後頭部を乱暴に掻いた。
馬を厩に繋がせてもらい、私の荷物はカーラットさんが持ってくれた。まるで人質のようだ。私は魔女じゃないんだから、消えたりなんてしないのに。王様の部屋へ行くのかと思っていたら入った事の無い場所に連れて行かれ、豪華な扉を開けてすぐの応接間らしき部屋では王様が待ち構えていた。相変わらずの美青年もまた、涙を浮かべながら突進して来る。もう好きにしてという感じで、私は脱力した。
「チカチカチカッ」
「はい王様。お久しぶりです。お元気でしたか?」
「なんでそんなに呑気なの! 僕らがどれだけ心配したかっ」
どうやらグレアムさんは、誰にも何にも話していないらしい。転移で連れ出されたから、何も聞かされていないのなら私は忽然と姿を消した事になってしまう。行方不明扱いでも不思議じゃない。
「今まで薬師の修行をしていたんです。一人前になって、グレアムさんに捨てられました」
「はぁっ!? ちゃんとギリリアン語で話して!」
「あれ? ギリリアン語のつもりなんですけど……」
困ったな。とりあえず、お茶が飲みたい。
「王様、お湯が欲しいです。お茶を飲みましょう。その方がゆっくり話せますよ」
「ねぇチカ。なんだか更に可愛くなったね? グレアムに捨てられたのなら僕の妻にならない?」
「ならないです」
王様も中々放してくれないから、脳天チョップをして解放してもらった。お湯を持って来てもらい、荷物の中から気分が落ち着く効果のある茶葉を出してお茶を淹れる。私は常に数種類の茶葉を持っているのだけど、ゲルダや他の神官達が欲しいと言ったからほとんど置いて来た。また作らないとな。
お茶を飲んで落ち着いてから、私はこれまでの経緯を王様とカーラットさんに話して聞かせた。私の話を聞いた二人は、頭を抱えてしまう。
「グレアム……不器用な奴だとは思ってたけど、そこまでとは思わなかった……」
「ふざけていやがる。とんだ大馬鹿野郎じゃねえか……」
「本当、一方的過ぎですよね」
お茶を啜ったら、王様とカーラットさんから変な顔で見られた。グレアムさんの照れた顔じゃあるまいし、二人とも眉間にすっごい皺が寄っている。
「チカ、どうしてそんなに余裕そうなの?」
「もっと泣いて、死にそうになると思ってた」
「カーラットさんって私をよくわかっていますね。死にそうにはなりました。でも、ティグルがいなくなった夜に夢を見たんです。私はあれが夢だとはどうしても思えない。だから確かめに帰ります」
再度帰り方を教えて欲しいと頼むと、王様とカーラットさんがほっと息を吐いた。
「チカの修行、どうやら良い時間を過ごしたみたいだね?」
「はい。とても有意義でした」
素直に笑って頷いたら、王様が立ち上がって私の隣へ座った。そのまま抱き締められて、頬にキスをされる。咄嗟に、顔面パンチが出てしまった。
「……良い拳だね、チカ。グレアムの馬鹿には勿体無い」
「基準が拳なのが納得いきませんが、ありがとうございます」
グレアムさんは、リリスの問題は解決したとだけ告げてしばらくはここで仕事をしていたらしい。王様達は私が軟禁されているのだと思ってアイシャさんに探らせていたけれど、ある日部屋がもぬけの殻になっていた所為で大騒ぎになったみたい。
「チカはどうしたんだって聞いてもグレアムの野郎はむっつり黙るだけだし。なんかどんどん昔みたいに暗くなるから、心配した」
「散々心配掛けて、挙句に突然帰っちゃうし。……巻き込んだ手前、すっごい責任感じちゃった」
珍しく王様が落ち込んでいる。私は苦笑して、隣に座っている王様の頭を撫でた。
「その件に関しては慰められませんが、王様も大変ですよね」
「……チカも、ごめんね」
「勘違いしないで頂きたいんですが、私は全て自分で決めて行動しました。その事に関しては、責任なんて感じなくて良いです」
「優しいね」
「何故そうなるんですか?」
王様が甘えるように擦り寄って来るので、今だけは特別に優しくしてあげる事にした。だけどすぐに、カーラットさんによって引き剥がされた。ぎゃいぎゃい五月蝿い二人をお茶を飲みながら観察していたら、私の向かい側にある扉が唐突に開き、大きな空色の瞳を涙で濡らした天使が現れた。
「あ、リリス。久しぶり」
「ち、チカさんっ」
どうしてこう、みんなして突進して来るのだろう。内臓が飛び出してしまう。
「何処行ってたんですかぁっ! 心配したし、寂しかったんですからぁっ」
「ごめんね、リリス。薬師の修行に行ってたの」
「それならまたここに戻って来ますか?」
「戻って来ないかな。教えてもらいたい事があって立ち寄っただけなの」
「そんなぁ! 待ってたんですよ? イグネイシャスも仲直り出来ずに帰っちゃったし」
「あぁ。そういえばイグが、大人気ない事を言って申し訳ありませんでしたって、リリスに伝えてくれって言ってた」
何故だろう、場の空気が固まった気がする。泣いていたリリスがきょとんとした様子で顔を上げた。
「…………イグ?」
「うん。イグ。イグネイシャスが言ってた」
「……チカさん、いつの間にそんなに仲良しになったんですか?」
「今まで私、イグの所でお世話になってたの。毎日一緒にいたから」
凄く大きな音がして、私とリリスは同時にびくりと肩を震わせた。リリスと反対側の私の隣から音がした。リリスに向けていた視線をゆっくりそちらへ向けると、王様がテーブルに頭を乗せて倒れている。
「僕はまだ、アービングと呼ばれた事すらないのに……神官、許さん」
「王様、しょうもない理由でイグを虐めないで下さいね」
「なんで庇うのっ」
「だって、とてもお世話になりました」
「やめてー! グレアム以外の男の話をそんな柔らかい表情でしないでーっ。心が折れる」
王様が相変わらず面倒臭い人で安心した。久しぶりの再会が楽しくて嬉しくて、私は声を立てて笑う。
「また皆さんにお会い出来てとても嬉しいです。何も言わずに出てしまったからずっと気掛かりで……会いたかった」
腕の中のリリスをぎゅうっと抱き締めて頬擦りをする。リリスも抱き返してくれて、二人でぎゅうぎゅうに抱き締め合った。
「おかえり、チカ」
王様がぽつりと落とした言葉を聞いて、私の胸には喜びが湧く。
「ただいま……」
「おかえりなさい。チカさん!」
「ただいま。リリス」
折角嬉しくて笑っていたのに、結局私はぽろぽろと、喜びの涙を流した。