四. 森の家3
玄関を開ける音がした。どうやら夜の訪問者はグレアムさんの知り合いみたい。お茶の支度をしなければと、私は急いでいつもの服に着替えて化粧を落とした。
身支度を整え寝室から出ると、玄関先で仁王立ちしているグレアムさんの背中が見える。玄関で話していて中には入れないつもりらしい。グレアムさんの背中越し、訪問者の男性と目が合った。体格の良い人で、綺麗な青色の服を着ている。グレアムさんと同じ色の髪は、長く伸ばしているグレアムさんと違って短く切られている。瞳も同じ色。人種が同じって事なのかな?
「おいおいグレアム。お前はいつ嫁をもらったんだ?」
訪問者の男性は零れんばかりに目を見開き私を見ている。
「黙れカーラット。見るな。穢れる」
グレアムさんはとんでもなく不機嫌な声で告げると、私を隠すようにして立つ。
どうすべきか悩んでから、私はグレアムさんの背に歩み寄り彼の服を摘まんで引いた。
「……お茶を、淹れます」
夜も遅い。ここは森の中。まさか追い返す訳には行かないのではないかと思い、私はグレアムさんを促す。振り向いた彼の眉間には深い皺が刻まれていて、余計な事をしてしまっただろうかと不安になった。
どうやら、カーラットとグレアムさんに呼ばれていた男性には連れが二人いたようだ。まるで騎士のような格好をした男性が三人。いつもはグレアムさんとティグルと私だけの家の中へ入って来た所為で狭く感じる。不機嫌なグレアムさんとニヤニヤしているカーラットさんが向かい合ってソファへ腰掛け、年若い男性二人はカーラットさんの背後に並んで立った。やっぱり騎士なのかもしれない。それで多分、カーラットさんは偉い人だ。連れの若者二人もまた、グレアムさんとカーラットさんと同じ髪と瞳の色をしているからやっぱり同じ人種の色なのだろう。
「で、今回はどんな厄介事を持って来た」
グレアムさんの不機嫌の理由はどうやらこれみたい。カーラットさんはよく、グレアムさんに厄介事を頼みに来る相手のようだ。
「話す前にその彼女、お前のなんだ?」
お茶をテーブルに置いた私をカーラットさんが不躾に眺めて来る。不快だが、得意の笑顔を私は保つ。
「……見習いだ」
「魔術のか?」
「いや、魔力はない。薬学を教えている」
「……住み込みでか?」
「そうだ」
胸がじくりと痛んだけれど、私はやっぱり彼の恋人ではないのだと確認出来ただけだ。笑顔を保ったまま、私は台所へ引っ込む事にした。寝室に行けば泣いてしまいそうな気がしたから、自分を保つ為台所にした。
気付けばティグルが私の側にいて、肩まで上って来て頬を舐めてくれた。ふわふわの体を撫でて気を紛らす。
彼に好きだと告げる勇気はもう、しおしおと萎れてしまった。
寝室はグレアムさんが眠る場所。私の寝床はソファなのだ。グレアムさんとカーラットさんが話している為に居場所がなく、私は台所の隅で蹲っていた。ティグルは私の胸元に潜り込んでいる。最近はグレアムさんが阻止していたから、ここにティグルの温もりがあるのは久しぶりだ。なんだかほっとする。
いつの間にかうとうとしていたら、肩を掴んだ手に揺すられた。
「チカ、話がある」
グレアムさんの声が固い。見上げた顔も、強張って見える。
「明日、ここを発たねばならない。お前も共に来い」
「……どこに?」
「王都で仕事だ。いつ戻れるかもわからない」
「私も行って、良いんですか?」
ここを発つ。王都は知らない場所。きっと、人がたくさんだ。不安な気持ちで見つめた先、グレアムさんの眉間に深い皺が刻まれた。
「お前は俺の弟子という事にして連れて行くが……もし王都で仕事が見つかればそちらへ行っても構わない」
知らない世界。なんの力も特技もない私。はいと答える以外、私には選択の余地はなかった。
***
レアンディールに来てからの日数は数えていない。だけれど長い事いた気がする居心地の良い場所。私はもう戻って来られないかもしれないから、日本から来た時に身に付けていた物は全て持った。残して行ったら迷惑だ。
家の前には馬が四頭。馬……だと思う。
「チカは俺の馬に乗れ」
グレアムさんが馬と言った。だからやっぱり馬なんだ。私の知っている馬より耳が長くても、私の知っている馬にはない翼が付いていようとも、これは馬だ。
もたもたしていたら、馬上からグレアムさんに引き上げられた。彼は意外と力持ち。ぷにぷにでぶでぶだった私を森で見つけ、家まで運んでくれたぐらい力持ち。見た目は細いけれど結構筋肉質だと知っている。今も、その逞しい胸が私の背中を包み込んでいる。
甘い感情は、すっかり芽生えて根付いてしまったけれど、私はグレアムさんの厄介者にはなりたくない。一人で生計を立てられるようになるべきだ。私はきっと、その為に連れて行ってもらえる。グレアムさんへの恩義に報いる為にも、私はこの世界で、自分で自分を守らなくてはならないのだと思う。
「チカ?」
何故だか不思議そうな表情で、顔を覗き込まれた。背後から覗き込まれたから、距離が近くてどきまぎしてしまう。
「そんな不安そうにしなくとも、途中で捨てたりはしない」
グレアムさんの目元が優しく綻ぶ。大きな手に頬を包まれて、私の胸には安堵が広がった。
「……はい」
そんなに私は不安が顔に現れていたのかと、恥ずかしくなって目を伏せた。伏せた瞼に、柔らかな感触が押し付けられる。彼の唇が私に触れてくれるのは、嬉しい。だけど胸がツキリと痛む。
恋人にするようなこれは、もしかしたら文化の違いなのかもしれない。聞いてみなければと思うけれど、どう聞けば良いのかわからない。自分の想いも伝えないと説明出来る気がしない。だって、私が彼の行為を受け入れているのは、嬉しいから。グレアムさんが好きだから。だけどこれがもしただの挨拶だと言われてしまったら、はっきりとさせてしまったら、私は立ち直れなくなってしまいそうで怖い。
国どころか世界が違うっていうのはなんて大きな距離だろう。今の私には、グレアムさんしか頼れる人がいないのだ。
なんて……言い訳ばかりの私。ただ私は、初めて手に入れた包み込むように守ってくれるこの温もりを、手放したくないだけなんだ。