三十三. 檻の外側6
ベッドの周りには、お見舞いの品が溢れかえっている。王様にカーラットさん、王弟の二人からも花やら果物やらが届いた。リリスは私が寝込んでいる事を聞いて取り乱し、力を使うと泣いたらしい。だけどあの子も落ち人だから私に近付けば移ってしまう。リリスは自分を治せない。だから皆に止められて、尚且つグレアムさんが結界で誰も部屋の中に入れないよう外界と私をシャットアウトしていたみたいだ。
グレアムさんはなんでも出来る人だけど、料理は苦手。必ず焦がすか生焼けになってしまって不思議な味の物を作る。森の家で一人の時にはそれを食べていたらしいけれど病人の私には食べさせられないと考え、私が寝込んでいる間の食事はアイシャさんが用意してくれていたみたい。アイシャさんは王様の乳母だった人でグレアムさんが信用している数少ない人間の一人なのだと、起き上がれるようになってからベッドの中で聞いた。
「チカ。まだ寝ていないとダメだ」
七日間寝込んで私の熱は下がった。まるでインフルエンザにかかったみたいに体中が痛くて熱くて、このまま死んでしまうのではないかと思った。私が夢と現を彷徨う間、グレアムさんとティグルはずっと側にいてくれた。看病なんてしてもらえたのは初めてで、申し訳ないはずなのにとても嬉しくて、胸の奥がくすぐったい。
「無理はしません。……お花がたくさんで、匂いに酔ってしまいそう」
流石にお見舞いの品が増え過ぎた。気持ちはとても嬉しい。だけど室内でこんなにたくさんの花に囲まれているのはくらりとしてしまう。
「俺がやる」
グレアムさんは私の手から花束を奪うと無表情でバルコニーへ投げ捨て始めた。私はそれを、やんわり止める。
「……花が傷みます」
「そうか」
眉間に皺を寄せたグレアムさんは結局、のんびり動く私の周りをおたおた付いてまわる事になった。
「…………神官様は、大丈夫なんですか?」
手を動かしながらふと、気になった事を口にした。落ち人とはいえ私はこれだけ長く寝込んだのだ。同じ場所に行った彼は大丈夫なのかと問えば、グレアムさんの機嫌が急降下した。
「あの男は魔力を使い過ぎたが一晩寝ただけでなんとかなったようだな。それに、神官は鍛えているから頑丈だ」
「そうなんですか。……魔力は、何度も転移をしたからですか?」
むっつりと、グレアムさんは頷く。なんだか神官様の事は話したくないみたいだ。
「転移は相当な魔力を必要とする。転移の陣で繋いだ場所間でも普通は多用しない。しかも自分以外、それも魔力を持たない者を連れての転移はかなり消耗するんだ。あんなに移動を繰り返せば普通は死ぬ」
「…………神官様、生きてるんですよね?」
「腹立たしい事にピンピンしている」
忌々しそうに吐き捨てられた言葉に、私は居心地が悪くなる。寝込んでしまったから有耶無耶になっていたが、私は罪を犯したのだ。
「グレアムさん。私は城の薬草園とこの部屋から薬草を盗み、見習いなのに薬を作って人に飲ませました。この世界では、これはどういう罪になりますか?」
首を垂れ、罪人である私は判決を待つ。
「…………それは、もう解決している」
「解決、ですか?」
「お前には元々許可は出しているから、薬草を採って使っても窃盗にはならん」
「薬を作り、人に飲ませた件は?」
無言だ。眉間に皺を寄せて、グレアムさんは私から目を逸らした。相当厳しい罰があるのかもしれない。
「今は体調を万全にしろ」
抱き上げられ、ベッドへ戻される。
それ以降何度聞いても、グレアムさんはその件に関しては口を閉ざし続けた。
***
快復した私は、軟禁された。これが罰だとしたら軽過ぎるような気がする。朝はグレアムさんの腕の中で目覚め、食材はアイシャさんが運んで来てくれる。その時にゴミと洗濯物も持って行ってくれて、私は一切部屋の外へ出る事を禁じられた。
食事の支度や掃除をして、グレアムさんを仕事へ送り出した後には本を読む。グレアムさんから依頼された薬を作る事もあって、私が作った薬はグレアムさんが確認してから何処かへ持って行く。リリスにも、カーラットさんにも、王様にも会えない。神官様の話を出すとグレアムさんが不機嫌になってしまうから、彼のその後もよくわからない状態だ。だけど別に、グレアムさんとティグルがいれば私はそれで構わない。心乱されない穏やかな生活が戻っただけだ。
森の家にはまだ戻れないらしい。グレアムさんがピリピリとしていて、詳しくは聞き辛い。リリスのその後や神官様についての質問は口付けで誤魔化されるようになったから、聞く事をやめた。そんな日々が一月程続いたある夜、グレアムさんが酒瓶を手に暗く沈んだ様子で帰って来た。おかえりなさいと言って駆け寄ると、縋るように抱き締められる。
「……チカ」
「はい。お疲れのようですね?」
手を伸ばして頭を撫でたら、首筋に擦り寄られた。見えないけれど、彼の眉間には深い皺が刻まれている気がする。私はグレアムさんの心をなんとか軽くしてあげたくて、肩甲骨辺りまで伸びた白金の髪の束ごと背中を撫でた。
「…………話が、ある」
絞り出すような声だ。よっぽど話し辛い話題なのだろうと察した私は、グレアムさんの手を引きソファへと連れて行った。大人しくついて来たグレアムさんはソファへ腰掛けてから、思い出したように土産だと告げて酒の瓶を差して出して来る。
「……今、飲みますか?」
グレアムさんが頷くのを確認して、私はグラスを二つ取りに行った。彼は私と目を合わせず、じっと俯いている。酒を注いで渡したが乾杯する雰囲気でもなく、グレアムさんはグラスを持ったままで固まっていた。だから私は、彼に寄り添って静かにグラスを傾ける。
「チカ、俺は……俺はお前で、実験をしていた」
彼の口から吐き出された言葉に、私はゆっくり一度目を瞬く。続きを待ってもグレアムさんが話さなかった為、私はのんびり口を開いた。
「どのような実験ですか?」
「……知識の、複写だ」
「知識……? もしかして、薬学ですか?」
グレアムさんの頭がやけに重たそうに縦に動くのを見て、私は得心が行った。毎日本を読みグレアムさんにも教わって勉強しているが、知識の吸収がやけに早いと感じていたのだ。不思議には思っていた。だって、教わっていない事、本ですら読んでいない事まで何故か、私は知っている事があった。
「お前に生きる術を授けたかった。だから薬学の知識だけを、少しずつお前の脳に複写していたんだ。あの家にいた時から……ずっと」
「グレアムさんの知識、という事ですよね?」
「……そうだ。魔術師と名乗っている者達並みの薬学の知識が、お前の頭の中にある」
「そうなんですか。では私は、あなたのお役に立てるのでしょうか?」
知識が増えたのなら出来る事が増えたのだろう。それなら、忙しくしているグレアムさんの仕事をもっと手伝えるのかもしれない。最近薬を作らされていたのはその為かとも納得が出来たし、私は嬉しかった。だけれどグレアムさんの表情は晴れず、俯いたままだ。
「……何故怒らない」
「何故、怒らないといけないんです?」
神官様にも問われた事のある言葉だが、私はそんなに短気に見えるのだろうか。それとも私は、怒るポイントが人とはズレていたりするのかもしれない。
「許可も得ず勝手な事をしていた。言語を理解させる術の応用ではあるが、初めて実践した術だ。……普通は、怒る」
手の中の酒は飲む気がないようだから、私はグレアムさんの手からグラスを取ってテーブルへ置いた。自分のグラスも一緒に置いてから、グレアムさんの頬に触れて顔を覗き込む。
「私はあなたのものだと申し上げたはずです。森で拾われた時点で私はあなたの所有物。ですから何をしたって、良いんです」
「……それは、もし拾ったのが俺じゃなくともそう言ったか?」
「どうでしょう? わかりませんが……私はあなただから、この身を捧げるのだと思います」
グレアムさんじゃなかった場合なんてわからない。でも私は、グレアムさんを愛しているのだ。私の言葉を聞いて、灰色の瞳がゆらゆら揺れている。どうやら彼にはまだ、心配事があるようだ。
「……鳥を、自由に飛ばせようと思う」
どういう意味かわからず、私はじっと、続く言葉を待つ。
「その為にお前を王都へ連れて来た。知識も与えた。俺はお前を、解き放つ事にする」
「…………それは……出て行けと、言う事ですか?」
思わず声が、震えてしまった。
グレアムさんの灰色の瞳は逸らされ、私を映してくれない。
「俺が言う事は、なんでも聞くと言ったな?」
私は、答えに詰まった。
「神殿から正式な形で依頼が来ている。賢者の弟子の力を借りたいと。それが、神殿が聖女から完全に手を引く条件だ」
あぁ、そうか。これが自分の行動の、私の我儘の代償なんだ。グレアムさんは最初から、森の家に私を帰らせてくれないつもりだったんだ。私だけが、ずっと側にいられるなんて夢を見ていた。知識という贈り物をくれて、私が自分自身の力で生きる術をくれて、彼は私を自由にする。
「…………あなたがそれを望むのなら……あなたの命令ならば私は、従います」
涙は堪えた。涙が滲んでしまった事を悟られないよう、微かに目を伏せる。グレアムさんの顔を見続ける勇気は、私にはなかった。
「命令だ。行け。……だが、実験結果を知る為に、報告が欲しい」
「わかりました。……期限は?」
「…………決めていない」
「……そうですか」
罪を犯した私に、相応の罰が下った。