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愛を求め鳥は泣く  作者: よろず
本編
32/50

三十二. 檻の外側5

 不本意だが、帰る為神官様に背中から抱き込まれた状態で城の側へと戻った。辺りはもうすっかり暗い。転移の浮遊感はおさまったはずなのに、ぐらりと視界が揺れて気持ちが悪い。


「転移に酔ったのでしょう。力を抜いて」

「嫌です。放して」


 体に力が入らない。ティグルが頬を舐めてくれるけれど、少し和んだだけだ。私が神官様と口撃し合っている間、ティグルは呑気に私の肩で眠っていた。助けておくれよ、神獣様……。だけどティグルが反応しないという事は、神官様に私への悪意はない。神官には鈍くなるといっても流石にティグルが呑気過ぎるから、私に対する彼の心配は本心かもしれない。


「意地を張らないでチカ。魔力もなく、慣れていない人間が短時間に連続で転移すれば体に負荷が掛かるんです」

「良い。大丈夫です。……そもそも、あなたの所為ですよね?」

「えぇそうですね。ですが始まりは貴女のでしゃばりです」


 私の我儘へのしっぺ返しという訳か。それなら目眩も自分の責任。自分の足で立って、歩いて、帰る。


「強情な方ですね。なら力尽くをお許し下さい」

「触るな! はーなーせーっ」


 抱き上げようとしてくるのを踏ん張って暴れて拒否する。余計な体力を使わせやがって、やっぱりこいつは腹黒神官イグアナだっ。


「神官殿。随分弟子が世話になったようだな」


 低くて深い声。取り返すように引き寄せられ、温もりに包まれたお陰で強張りが解ける。


「賢者様、ご機嫌麗しゅう存じます。……貴方お一人で愛でるには勿体無い女性。だからこそ縛り付けるのでしょうが、果たして籠の鳥とは幸せなのでしょうか? 籠の中しか知らないからこそ、幸せと囀るだけかもしれません」


 そんな事ない。反論したいのにもう体は限界のようで、力が抜けていく。同時に意識も遠退いて……嗅ぎ慣れた薬草の香りに包まれ、私はグレアムさんの腕の中、暗闇へ落ちた。



 ***



 誰も私を見ない。通り過ぎて行く。存在に気付かず、意識的に無視をして、私を視界に入れないよう目を逸らす。膝を抱えて、私は顔を伏せる。畳。ここは……あの家、あの部屋だ。


『あんたのその目、大嫌い』


 姉さんどうしてそんな事を言うの? 私は、遊んでもらいたくて見ていただけ。


『知香が何を考えてるのかわからない。責めるように見るのはやめてっ』


 そんなつもりはない。お母さん、どうして? どうしてそう受け取るの?


『お前は本当に可愛げのない。我が家の娘は香織だけ。お前は我が家にはいらない、過ちの子』


 頑張る。頑張ってる。笑う。笑ってる。鏡を見て必死に練習した。綺麗に笑う方法。必要ないなんて言わないで。お願いだから捨てないで。

 やっと身に付けた上手な笑顔。だけど笑ってももう……居場所は無かった。だって私、本当に過ちの子供だったんだ。お父さんと呼んでいた人は私の父ではなかった。

 私に残されたのは、嘘吐きの笑顔だけ。


『あの子、いつも笑ってて気持ち悪いよね』

『何考えてるかマジで謎。キモーい』


 俯いて歩いて、誰もいないマンションの一室へ帰る。そんな学生生活。

 何も望まない。何も欲しない。自分の面倒は自分で見る。

 高校卒業と同時に就職して、高校時代にバイトで貯めたお金で新しく部屋を借りた。高校さえ出れば好きにしろと言われていた私は、自由になった。

 だけれど自由もまた……居場所がない。

 この身の不確かさ。常に胸に燻る不安。死ねた時の為に、検体の登録もした。使えるのなら使って欲しくて、保険証の裏に臓器提供の意思表示もしてある。

 寂しい。寂しくなんてない。一人で良い。独りは嫌。誰もいらない。誰か私を必要として。

 助けて、誰か。暗くて寒いここから抜け出せない。


 だけど……誰かって、誰が助けてくれるというの…………?


 *


 頬を舐められ、暗闇から意識が浮上した。ぺろぺろぺろぺろ、小さな舌に舐められている。目を開けた目の前には、白いふわふわの毛。


「……てぃぐ、る」


 体だけでなく唇と舌まで重たい。瞼と頭も重たいけれど、また目を閉じるのが怖い。


「具合はどうだ?」


 ベッドが私以外の重みで沈み、額に大きな手が乗せられた。熱で痛む目を動かした先には、グレアムさん。


「ぐれ、あむさん……わたし……?」


 今すぐにでも瞼は再び閉じてしまいそう。でも嫌だ。もうあそこには、戻りたくない。


「お前の体に抗体がなかった菌の所為で、熱が出ている。落ち人にはよくある事だから気を付けてはいたんだが……神官は、お前が落ち人だとは知らなかったからな」


 短く息を吐き、グレアムさんはほっとした笑みを浮かべた。


「……目が覚めて良かった。お前を失ったらと考えたら……恐ろしかった」


 必要として。もっと私を欲して。なんでもするから。


「チカ、聞こえるか? ……チカ?」

「…………はい」


 額にあった手が頬へと移動して、包み込まれる。温かい。


「薬を飲めるか?」


 声を出すのが酷く億劫で、私は小さく頷いて答えた。それでさえ、とても疲れる。

 体を起こされて、グレアムさんに手伝われ苦い薬を飲んだ。苦味で少しだけ、頭の靄が晴れる。


「…………私はどのくらい、眠って……?」

「二晩だ。今は昼過ぎ」

「ごめんなさい。お仕事の邪魔を……お食事の、支度も……」

「気にするな。お前が元気になってくれたらそれで良い」


 体は再び横たえられ、優しい両手に頬を包まれた。目を閉じるのを促すように、彼の親指が柔らかに私の瞼を撫でる。


「眠れ。側にいる」

「……一人でも、大丈夫です。ご心配をお掛けしました」


 両の瞼がやんわりとおさえられている所為で、目が開かない。少し話しただけでもとても疲れて……眠たくなる。


「側に、いさせて欲しい」

「……あなたには、移りませんか?」

「大丈夫」

「なら、良かった……」


 安心して、口元が笑みの形に緩む。全身が重たくて、私の意識は再び沈んでしまった。


 *


 夢は暗い過去ばかり。

 熱が出ても、いつも側には誰もいなかった。一人きりで病院へ行き、コンビニでレトルトのお粥とスポーツドリンクを買い込んで一人の部屋で眠る。

 いっそこのまま死ねたらと思うのに、私の体は頑丈らしくしぶとく生き延びる。

 頼れる人もおらず、会社を休めば生活が出来ない為早く風邪を治す方法を覚えた。死ねないのに苦しいのは、嫌。


『貴女なら、助けを求め伸ばした手を取って貰えない虚しさを、理解出来ると思ったのです』


 神官様。私、もう随分前から救いなんて諦めていました。手を伸ばす事すらやめて、心の中だけで呟いていた。誰か、なんて存在しない事もわかっていた。手を伸ばそうとしても、私には背中ばかりが向けられていた。なのに……あの人は、私が伸ばす手を取ってくれるの。あの人は、私を見てくれる。伸ばした手は、あの人の温もりに届く。虚しさも、手を取って貰えた喜びも、私は知っている。だけど私は、誰かの誰かには、なれない。


「チカ……何故泣いている?」


 優しい指先が、私の目元を拭う感触。低いこの声は、私の心の氷を溶かしてくれる。


「…………夢を、見て……」

「どんな夢だ?」

「……寒いの。寒くて、怖い。ぎゅっと、していて下さい。落ちてしまいそう」

「わかった」


 抱き締められて再び落ちた夢は、今度はふわふわ、暖かかった。

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