三十一. 檻の外側4
神官様もワープを使えるらしい。城の周りには防衛の為の結界が張られていてワープ出来ないからと、城外へ連れ出されてから神官様がワープの魔法を使った。神様と交信するには大きな魔力が必要だとグレアムさんが言っていたから、神様と話した事があると言っていた神官様も魔力が高いのだろう。しかし、一緒にワープをするのに密着する必要があると言われ腰を抱かれたのは不快だった。好きでもない男に触れられるのはやっぱり嫌だ。滑ったのか臀部に手が来て、腹が立ったので手の甲を抓っておいた。
「痛いです」
「自業自得です」
「自意識過剰ですね」
「どうとでも思って下さい。わざとじゃなくとも不快なものは不快なんです」
密着していた体を突き飛ばすように離して、私は周りを見回してみる。グレアムさんと出会った森や城へ行く途中で通った場所と違い土地が痩せている。空気も乾いているようだ。
「ギリリアンを出た事は?」
「……覚えている限りでは、無いです」
そう問われるという事は、ここはギリリアンではないのだろう。何処かと問うてみても、私はレアンディールの地理に疎い為聞いてもわからないと思う。
「ギリリアンは気候が穏やかで国王が有能な為、平和で福祉も充実しています。ここはそうでは無い国です」
「……気候や土地からしても、難しそうですね」
「こちらです」
連れて行かれたのは廃れた村の中にある一軒の建物。どうやらそこは神殿の持ち物で、孤児達が集められているようだ。
「……あなたはまた、あからさまな場所を見せるのですね」
「こういう場所で暮らす人々こそ、聖女様の力を必要としている」
痩せ細った人々。栄養の足りていない子供達。テレビのニュース映像や映画で見たような光景が、目の前に広がっている。
「リリスは傷や病気を治すんですよね? 飢餓はどうにも出来ないと思います」
「そうですが、ここの人達は満足な治療も受けられません」
「ショッキングな現場を見せて何かを狙っている感がありありですね」
「そんな……貴女は冷たい人ですね」
「私の心は氷で覆われているもので」
舌打ちされたと思ったら唐突に腰を抱かれ歩かされる。次に行きますって言うけれど……
「その魔法は疲れると師匠が言っていましたが?」
「それは城の結界を突き破って使うからでしょう。あの人にしか出来ない芸当だ。転移の為の陣で繋いだ場所間での移動は比較的楽ですよ」
「そうなんですか。魔法は教わっていないので知りませんでした」
「魔力が皆無なのに賢者様の弟子になるなんて、その色香で落としたのですか?」
「あらあらあら。私を色っぽいと思うんですか?」
「いやらしい腰と胸をしているとは思います」
「……神官様でもそんな発言をするんですね」
「男なんですから当たり前です。ぅぐっ……」
「触らないで。自分で歩けます」
美形だからってなんでも許されると思うなよ。そんな目で見られているとわかると尚更触られるのは不快だ。鳩尾に肘をめり込ませたら、神官様がその場へ蹲る。
「失礼。向かう場所がわからないので案内して頂けます?」
「…………貴女の瞳も私以上に冷たいと思います」
「えぇ。でもリリスには向けません」
「……大嫌い、が怖いのですか?」
「どうでも良い人なら気にしません」
「聖女様はどうでも良くないのですね」
痛みから立ち直った神官様は綺麗な笑みを浮かべ、私を先導して歩く。私は、馬の尻尾のように揺れる彼の髪を睨みながら後に続いた。
狭く質素な建物を少しだけ奥へ進んだ先の一室に、円形の魔法陣があった。よくわからない文字やなんやらが床に描かれている。その中心へ立てと言われて立つと、向かいに立った神官様が徐に両手を広げた。
「……本当に、密着する必要はあるんですか?」
「自意識過剰な人ですね。賢者様は転移の術を使う時はどうしているのですか?」
「…………くっついています」
なんだか負けた気分だ。渋々一歩近付くと、両手で抱き締められる。ティグルは神官様から嫌そうに体を離しただけで何もしてくれない。悪意測定器、反応無し。ふわっと浮いたと思った時には、また景色が変わっていた。
「目眩はしませんか?」
「少し。でも大丈夫です」
「落ち着くまで掴まっていても構いませんが」
「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
少しだけ、乗り物酔いに似た感覚がする。両手を神官様の胸についてぐっと体を離した。離れてから、周りを観察してみる。
「今度は建物が進歩しています」
「進歩……面白い表現ですね」
零すように静かに笑んだ神官様が歩き出す。私はそれに、ついて行く。
「神官様は、私に何をさせたいんです?」
聞いても答えはくれない。私自身に力はない。だから狙っているのなら、私を使ってリリスかグレアムさんを動かそうとしているのだろう。王様と一緒か。先程の掘ったて小屋よりもここは綺麗で建物もしっかりした作りをしているようだ。次は何を私に見せたいのだろうか。
「魔力がなくとも、薬学の知識はあるのですよね?」
何の変哲もない、木造の扉の前で立ち止まった神官様が振り向き問い掛けて来た。氷の瞳が、願うような縋るような色を浮かべている。
「……それは、教わっています」
「それならどうか、助けて下さい」
視線で問い掛けても、中を見ろというように彼はドアノブへ手を掛けた。
私は黙って、神官様が開けた扉の中へ足を進める。そこには多くのベッドが並べられ、全てのベッドに年端もいかない子供達が横たわっていた。
「神殿が派遣する医者と薬師は数が少なく、間に合わないのです。効果の高い薬を作れる魔術師達は変わり者の人嫌いばかり。彼らからの薬の提供も望めない。人手が足りないんです」
「……私は見習いです」
「何も、出来ませんか?」
下唇を噛み、私はまつ毛を伏せた。少しの間悩んでから、近くのベッドへと歩み寄る。
「……詳しい状況を、教えて下さい」
神官様がすぐに同僚を呼んで来て、私は詳しい話を聞いた。それぞれの子供達を観察しながら、グレアムさんに学んだ事、本で読んだ知識を掻き集め必死に考える。
「…………これなら、薬があれば……」
「貴女は作れますか?」
「ですから、私は見習いです。今から言う薬を」
「貴女の言う薬は簡単には手に入らない。魔術師にしか作れないのです。貴女も知っているでしょう?」
神官様の言う通りだ。魔術師の作る薬は特殊で、学んだ者にしか作れない。少しでも調合を間違えば毒になり命を奪う。
汗で湿った髪を額に張り付け苦しそうに呼吸をしている目の前の男の子を、私は見つめた。深く息を吸ってから、静かに吐き出す。症状がかなり進行している。早く薬を飲ませないと手遅れになりそうな子もいた。
「……わかりました。神官様、材料を集めるのを手伝って下さい」
幸い、材料は城の薬草園とグレアムさんの部屋にある。その事を伝えて、私は神官様の胸元にへばり付く。
「疲れても、死にはしませんか?」
「結界を越えたりしない限り、大丈夫です」
ぐらりとしたら、ギリリアンの城の近くだった。私は駆け出して通用口へ向かい、顔見知りの門番に頼んで入城の手続きを急いでもらう。神官様を連れて向かったのは温室。中へ入り薬草を盗んだ。次にグレアムさんの部屋へ向かい、鞄に材料と道具を詰め込んでから扉の外で待っていた神官様の元へ戻り、再び城の外に出て転移をした。
*
薬は、効いた。穏やかな息遣いになった子供達を眺めて、私も神官様も、この子達の世話をずっとしていた神官の女性もほっと息を吐く。
私は神官の女性に薬の用法と用量、注意事項を説明してから部屋を出た。これは……医療行為だ。異世界とはいえ、私は自分が作った薬を人に飲ませた。失敗したら命を奪う物を。
「チカ、震えていますね」
「大丈夫です。……それよりもあなたは、これを通して私に何を望んでいるんです?」
肩を抱かれそうになって、振り払う。震えは無理矢理抑え込み、私は神官様を睨んだ。
「貴女の行動の責任を。聖女様が助けて下さらないのなら、貴女の薬学の知識で助けて下さい。この件で、貴女なら出来ると証明された」
氷色の瞳が真っ直ぐ、私を見ている。だけど私は答えられない。私が動けばきっとグレアムさんを巻き込むのだ。私は今、賢者様の弟子だから。
「私を引き込む事で賢者様を引っ張り出すつもりですか? アービング陛下がしたように」
そんなの頷ける訳がない。私は、見ず知らずの大勢の他人よりも身近で大切なたった一人を選ぶ。それに私の持つ薬学の知識など微々たるものだ。リリスの力だって、協力したとしても氷山の一角にしかならなかっただろうに……私は比べ物にならない程に無力なのだ。
「貴女なら、助けを求め伸ばした手を取って貰えない虚しさを、理解出来ると思ったのです」
一歩近寄られ、私は一歩下がる。
「それに、貴女が賢者様に監視されている事もわかっています」
「監視……?」
ティグルの事だろうか。確かにグレアムさんは、ティグルを通して私の居場所がわかるようではある。
「魔力の無い貴女にはわからないでしょうが……貴女には賢者様の術が掛けられている」
「術、ですか?」
「そうです。昨夜も賢者様は貴女を迎えに現れた。それ以外にも、知らないはずなのに貴女がいる場所へ現れた事はないですか?」
何故距離を詰めて来る。背中が壁に当たって、これ以上は下がれない。
「私なら解放してあげられます。自由の代わりに、助けて下さい。貴女にしか出来ない事がある」
氷は溶けて、熱を宿した瞳が私を見つめる。声にも熱がこもっている。だけど私は――――
「お断りします」
グレアムさん以外はいらない。自由も、いらない。
「監視も監禁も、あの方になら何をされても構わない。私が欲しいのはたった一人。あの方だけです」
私の背後の壁に両手を付いて、逃がさないよう檻を作った神官様は固まった。停止して考え、攻め方を変えるようだ。
「では兎に角、責任を取って下さい。貴女の所為で、先程の子供達のような多くの人々が死にます。聖女様の力で助かるかもしれなかったのに」
「私の心は氷だと申し上げたと思いますが?」
「ではこうしましょう。聖女様の部屋へ行っていた時間を私に下さい。今日のように症状を見て、それに合った薬を提供してもらいたいのです」
「……見習いの私は師匠の所有物。今回のこれは、緊急だったから特別です」
「では諦めず、口説き続けましょう」
何故囁く。
近付いて来た顔を、私は屈んで避けた。隙間から腕を潜り抜け距離を取る。
「顔が良いからと、誰でも靡くと思わないで下さい」
「顔は良いと思って頂けるのなら、光栄です」
氷が溶けた神官様の笑みは……なんだかとっても、不穏な予感を運んで来た気がした。