三. 森の家2
玄関先で眠ってしまった日以降、私は森のお散歩に連れて行ってもらえるようになった。不用心な女だと心配されたのかもしれない。だけど、それがどんな理由であろうと、連れて行ってもらえるのは嬉しかった。道すがら薬草について彼が教えてくれるのも、楽しい。
「チカ、あまり離れるな」
森の中を歩き慣れていない私が彼について行くのは一苦労。どうしても遅れてしまう。距離が開く度にグレアムさんが立ち止まって私を待ってくれるのが、申し訳ない。ティグルは私の護衛みたい。細く柔らかな体で私の腕へ巻き付いている。
私の靴は、グレアムさんが作ってくれた物。流石に日本から履いて来たパンプスでは動き辛いからと、初めの頃に作ってくれた。服はグレアムさんの物を借りている。ふくよかだった私には少しキツかったけれど、最近は健康的な生活を送っているお陰か肉が落ち、服にもゆとりが出来てきた。一人暮らしのグレアムさんの家に女物の服はなかった。当然の事ではあるが、何故だかほっとした。
「すみません。足手まといですね」
差し出してくれた大きな手に触れて、しょんぼりする。私は楽しいけれど、グレアムさんには迷惑ばかりかけている。
「お前は気にし過ぎだ」
唐突に引っ張られ彼の胸で受け止められた。足元が覚束ない私が悪いのだけど、突然密着してしまうのは心臓にとても悪い。
「ごめんなさい」
急いで離れようとしたのに何故だろう、離れられない。グレアムさんの掌が、私の背中に添えられている。
「謝ってばかりのその口、塞ぎたくなる」
胸がツキリと痛んだ。唇を噛んで俯く。怒らせてしまったのかもしれない。でも、謝ればもっと怒らせてしまうのだろう。
「チカ、顔を上げろ」
「……嫌です」
今、情けない顔をしているから見られたくない。見られたくないのに、大きな掌が私の頬を包んで顔を上げさせられる。見上げた先の灰色の瞳は、私の予想に反して困り果てていた。
「俺は、言い方を間違えただろうか?」
「いえ、無闇に謝るのをやめろと言いたかったんですよね?」
「そうだが……」
なんだか歯切れが悪い。怒っているというよりも、彼はやっぱり、困っている。
「……グレアムさん?」
灰色の瞳は私を真っ直ぐ見下ろしたまま。
柔らかな腕の拘束に囚われて、身動きが取れなくて、私も困ってしまう。頬を包む彼の掌が温かくて、心臓が甘く締め付けられる。
「チカ……」
ゆっくり、彼が身を屈めた。
どうしてだろう。どうしてグレアムさんは、自分の唇で、私の口を塞いだのだろう。
唇は塞がれたまま。背中がそっと撫でられる。思わず私が体を震わせると力強く抱き寄せられた。長い指が髪に差し込まれて、後頭部が包み込まれる。背中にあった手は腰に下り、二人の体が密着している。
戸惑ったまま、私は灰色の瞳を見つめた。私の唇が彼によって開かれ更に深く繋がる。
なんで、これはどんな意味があるの?
甘い毒が流し込まれてしまったかのように、私は動けない。受け入れる。だって……嬉しい。
「………すまない」
唇が離れて最初に彼が発したのは謝罪の言葉。
勇気のない私は意味を問えず、黙って目を伏せた。
***
私が謝罪を口にすると、彼の唇が私の口を塞ぐようになった。まるで恋人みたいだと勘違いしてしまう。期待してしまう。
森の中での穏やかな生活。家事をして、本を読んで、二人で森を散歩する。彼の仕事部屋にも入る事を許されるようになった。薬草の事、薬作りの事も教わっている。どうやらグレアムさんは、この家で薬を作って魔法でどこかへ送っているようだ。それがきっと収入源なのだろう。
ある夜、私はふと気が付いた。腹回りの肉がすっきりとしているではないか。この家には鏡がないから気付かなかったが、どうやら私は健康的な体になったのかもしれない。ウキウキしながら日本から着て来たスカートとシャツを身に付けてみる。なんと、ぶかぶかだ。余った布地を上手く隠して調節して、鞄の中から化粧道具を引っ張り出して化粧をしてみる。お気に入りだったパンプスも履いてみれば、グレアムさんに見てもらいたくなった。いつもの男物の服ではない女らしい私を見たら、彼はどんな表情をするだろうか。
「グレアムさん」
ソファに座り本を読んでいた彼の背中に、声を掛ける。
振り向いたグレアムさんは私を見て、目を丸くした。無言で私を見つめて口まで開いている。
これは、どういう意味の反応なのだろう。似合ってる? 似合ってない?
「変、でしょうか……? サイズが合わなくなったから、やはり似合わないですか?」
不安になって口にした私の言葉に、グレアムさんはゆるゆると首を横に振った。彼の反応を見て、私は安堵する。
「……すまない。気が付かなかった。女物の服を用意しよう」
「え? あの、そういう意味ではないです。今ある物で十分です」
「いや。俺が見たいんだ」
一気に顔も体も火照った。嬉しい。顔がにやけてしまう。
「しかし、これは足を出し過ぎではないか?」
本を置いて立ち上がったグレアムさんが側に来て、スカートの裾を気にしている。彼の眉間には皺が寄っていて、私は恥ずかしくなる。
「みっともないでしょうか?」
スカートは膝より少し上の丈。こちらに来て以降長ズボンばかりだったから、私自身も違和感がある。
「触れたくて、困る」
「え?」
腰を抱かれ、見上げた彼は、何かに困っている。
「美しいが、口付けられない」
彼の親指が私の唇の真下を撫でた。化粧をしている所為だとわかったけれど、彼の眼差しが熱を孕んでいる気がして私も困ってしまう。
「チカ……」
甘く蕩けるように名を呼ばれ、私の思考は蕩けてしまいそうになる。
彼の掌が、スカートの裾から入り込んで私の脚に触れ始める。唇は顔を除けて首筋へと落とされた。いつの間にかブラウスのボタンが外されていて、落ち人の証が見えてしまっている。グレアムさんは青紫色の印に口付けた。
「グレアムさん……」
私の気持ちを伝えても、良いのかな。
触れてくれるならきっと、良いんだよね。
私の胸元から見上げてくる灰色の瞳を、私はじっと見つめ返す。
――あなたの行動の意味を、教えて下さい。
「私――」
あなたが、好きです。
言葉は、突然の訪問者によって阻まれた。玄関のドアが、力強く叩かれる。
私はびくりと体を揺らして言葉を飲み込み、グレアムさんは酷く不機嫌そうな表情になる。自分の乱れた服装を見下ろして、私はカアッと顔に熱がのぼった。急いで身支度を整えなければならないのにグレアムさんが放してくれない所為で動けない。
「おいグレアム。俺だ、開けろ」
ドアが激しく叩かれて、壊れてしまいそうだ。
「ぐ、グレアムさん……」
見下ろした先ではグレアムさんが、赤い舌を伸ばして私の肌を舐める。え、続けるの? とびっくりしていると、胸元にチリリと痛みが走った。
「いつもの服に着替えて来い。化粧も落として。――他の男には見せたくない」
名残惜しそうに太ももを撫でられ胸にはたくさんの口付けが落とされる。甘い刺激に腰が抜けそうになった私は、着替えのある寝室へと押し込まれた。