二十二. 柔らかな檻16
お酒につられて誘拐されました。グレアムさん、ごめんなさい。
ティグルを腕に抱き、口元まで花の香りのする湯に浸かってぶくぶくぶくと遊んでみる。ここは王様の部屋のお風呂。ティグルがいれば私の居場所はグレアムさんにわかるらしい。ティグルはまるで、生きたGPSだ。
風呂から上がって例の柔らかタオルで体を拭き、魔力式ドライヤーで自分の髪とティグルの体を乾かす。用意されていた服は、今回は上品なワンピースドレス。長袖で露出も無くてセンスが良い。着替えて軽く化粧も施してから、私は浴室を出る。胸もと辺りまで伸びた髪は、丁寧に梳かして下ろしたままにした。盛大に泣いた後でお風呂にも入ったからとても眠たい。王様とカーラットさんはまだ仕事中。終わるまでここでのんびり待っているように言われた。
一人だから、少し寝ても良いよね。
流石に王様のベッドは借りられないからソファに座って、そのまま倒れ込む。ソファの座面はとってもふかふか。眠い。
*
「どうしよ……凄く可愛い」
「寝てる姿も色っぽいな」
「カーラット、なんでいるの?」
「……お前、グレアムに丸焦げにされたいのか?」
「されても良いかもなぁ」
「まぁ気持ちはわかる」
「僕ら、女の趣味一緒だったっけ?」
「被った覚えはねぇな」
「だよねぇ。――手に入らないのに、ね」
「……だが、愛でるぐらいは良いだろう」
「だね。本当可愛い。食べちゃいたい」
「やめろ馬鹿」
「ぁいてっ」
「起きるだろ」
「あ、まつ毛が震えた」
「起きるか?」
「起きるね」
ぼそぼそと、話し声が聞こえる気がして目が覚めた。ぼんやり目を開けると、カーラットさんと王様がすぐ側に並んで屈んでいる。
「…………何を?」
「いつ起きるかなって、観察してた」
「悪趣味ですね」
欠伸をしながら体を起こし、座ったままで小さく伸びをする。
なんだろうとても……見られている。
「なんですか?」
「いや。よく眠れたか?」
優しく目を細めたカーラットさんに頭を撫でられた。
「思いの外ふかふかで、気持ち良かったです」
「ベッドで寝ても良かったんだよ?」
「……そこまで図々しくはないつもりです」
眉を顰めたら、王様に手を取られ立たされた。突然の事に体が対応出来ず、靴の踵が毛足の長い絨毯に絡まりよろけてしまう。
「すみません」
「いえいえー」
にこにこしている王様が支えてくれたのは助かったが、ついでのように背中をするりと撫でられたので睨んでおく。そもそもよろけたのは王様が急に引っ張った所為だ。カーラットさんも呆れたのか、王様の後頭部を強かに殴っていた。幼馴染でプライベートの時間とはいえ、上下関係が心配になる。
「さぁさぁチカ。今日はちゃんとつまみも準備万端だよ」
手フェチの王様に手を握られた状態で、彼の親指が私の手の甲を撫でている。やっぱり王様はむっつりスケベなんだなと溜息を吐いて手を取り戻そうとするが、抜けない。
「またよろけたら困るでしょう、レディ?」
「エスコートならもっとスマートにお願いします。あなたの親指が、まるで変態オヤジです」
「チカって僕に厳しいね」
「基本私は他人に興味はないけれど優しくはします。あなたには……何故でしょうね」
同族意識で話し易いのだろうか。優しさに、無意識に甘えてしまっている可能性もある。考えてみたけれど、よくわからない。
「……不敬罪になりますか?」
「公の場じゃないし、構わないよ」
「ですが、もし傷付けてしまっていたならすみません。今後気を付けます」
言葉の刃は恐ろしい。見えないから、どれだけ深く抉ってしまっているかわからない。抉られた傷は、いつまでもじくじく痛む。
「どうしたの、チカ。眠い所為?」
「何がでしょう?」
心配そうに顔を覗き込まれた。人との距離感が近いのか、王様の顔がずいっと間近に来た事に驚き私は上体を逸らす。今度は背中が、カーラットさんの胸にぶつかってしまった。カーラットさんも距離が近い。怖いからそんなに近くに来ないで欲しい。
「表情が無くなっているな。しかも不安そうだ」
大きな手が頭頂部に乗せられ、軽い力で上向かされる。カーラットさんが浮かべているのも、心配そうな表情。
「……男性にこの距離で挟まれていては、不安にもなると思います」
王様から無理矢理手を奪い返して、腕に巻き付いていたティグルを呼び両腕で抱いた。
カーラットさんは全体的に大きい。王様は細くてもやっぱり男性だから、私より大きい。少し気を許してお酒に釣られた事を後悔し始めた。
「カーラット、離れなよ」
「お前こそな、アービング」
なんなのかわからない。私は身を屈めて、するりと抜け出す。
「やはりお酒だけもらって帰ります」
「酒は欲しいんだな」
「はい」
カーラットさんに苦笑された。だってグレアムさんの部屋にはお酒がない。たまには彼と晩酌をするのも良いかもしれない。
「……今グレアムの事考えた?」
目を細めた王様に言われた。何故わかったのだろうと首を傾げた私に、王様が彼本来の笑みで答えをくれる。
「表情が柔らかくなった」
無意識だった。私の表情筋はそんなに柔らかかっただろうかと、ティグルから片手を離して頬を揉んでみる。
「まぁ待てチカ。グレアムにも知らせたから、多分あいつもそろそろ来るぜ?」
「……そうなの、ティグル?」
生きたGPSだから、他にも機能があるかもしれない。聞いてみたら、ティグルは可愛らしく鳴いて頷いた。すぐに来そうかと重ねて問えば、ティグルはまた頷く。
「……グレアムさんを待ちます。お酒を飲むのは、グレアムさんが来てからにします」
男二人から距離を取り、私はゆったり歩いてソファへ戻った。
なんだか、王様とカーラットさんの雰囲気が妙だ。よくわからない不安を煽られる。そんな状況で酒を飲むのは嫌だ。怖い。
「アービング。てめぇの所為でまた警戒されたじゃねぇか。俺が縮めた距離を返せっ」
「僕の所為? カーラットだって不用意に触れてたじゃないか」
「てめぇは触り方がいやらしいんだよ」
「えー……だってチカの肌って触り心地が良いし、腰付きも堪らないよね」
王様は危険人物認定しておこう。私は体を隠すようにティグルを抱いて膝を抱える事にした。お酒の誘いに乗るのはまだ早かったかもしれない。初めての友人に浮かれてしまったのは、迂闊だった。
子供の時は友達が欲しかった。一人が寂しかった。だけど大人になってからは、煩わしくていらないと思っていたはずなのに……レアンディールに来てからの、穏やかな空気に当てられでもしたのかもしれない。
白くて柔らかなモフモフに顔を埋めると、お風呂に浮いていた花の香りがする。良い匂いだけれどふいに、森の家が堪らなく恋しくなった。
人との距離感がわからない。だから疲れる。だから私は、人を傷付ける。
カーラットさんと王様が少し離れた場所で私を窺っている気配を感じるけれど、どんな顔をして、なんと声を掛けたら良いのかがわからなくなってしまった。今は、上手く笑顔を作れる気がしない。
折角友人になってくれたのに。
私なんかに優しくしてくれているのに。
私は本当に、なんてダメな人間なんだろう。
「チカ。また攫われたのか」
泣きたい気持ちで蹲っていたら、呆れたような呟きが降って来た。
私はパッと顔を上げる。見上げたらすぐ側にグレアムさんがいた。ワープして来たみたいだ。
「……すみません。自分でついて来ました。おかえりなさい」
両手を伸ばせば抱き締めてもらえて、力が抜ける。胸に柔らかな感情が広がり、強張ってしまっていた頬も心も綻んだ。
「何に釣られた?」
「お酒です。それと、カーラットさんと友人になりました」
「酒が好きなら、部屋に置くか」
「共に、飲んでくれますか?」
「俺も酒は嫌いではない」
「それなら、たまにで良いので一緒に飲みたいです」
グレアムさんの首筋に縋り付くように腕を巻き付け会話をする。耳のすぐ側で甘く響く低音が、体にじんわり温もりを広げてくれる。大きな手に背中を撫でられるのは、グレアムさんの手だからとても嬉しい。
「飼い主の登場だね」
「あからさまに変わるな、お嬢さんは」
少し離れた場所でこちらを窺っていた王様とカーラットさんが、苦く笑っている。グレアムさんに腰を抱かれてそちらに歩み寄り、私はまつ毛を伏せた。
「適当な人付き合いはしては来ましたが友人の存在は初めてで……どうしたら良いかわからないんです。不快にさせてしまったなら、ごめんなさい。……でも、あまり触れられるのは好きではありません」
ヘソの前で組んだ両手が震えている。何故私の手は震えているのだろう。何かが怖い。でもその何かが、私にはわからない。
「いやいやお嬢さん、さっきのはどう考えても俺らが悪い」
「そうだよ。怖がらせてごめんね? ねぇそれより、僕らってチカの初めての友達なの?」
「え? 王様も私の友人なんですか?」
「え、うそ。僕だけ仲間外れ?」
「いえ、あの……ごめんなさい。友人のなり方を知らなくて……」
「なら僕って今、チカの何?」
「……友人の、友人?」
「えー、やだ。僕も友達が良い。僕もチカの友人の一人に加えてよ」
「私なんかの友達に……なってくれるんですか?」
「もちろんだよ」
いつも作り物めいた笑顔を浮かべている王様からなんにも隠していない本物の笑顔を向けられ、カァッと顔が熱くなった。
なんだこれ、心臓がバクバクする。恥ずかしくて、嬉しい。
「……何その表情。どういう意味?」
「いえ、あの……なんだか」
目を丸くした王様に聞かれ、私は顔を上げられなくなった。緩んだ顔も戻せずに、情けない笑みが顔に浮かぶ。
「……嬉しい。友達、嬉しいです」
握り締めた両手を持ち上げて、自分の胸に押し当てた。胸に込み上げる喜び。先程の恐怖はもしかしたら、「嫌われる事」が怖かったのかもしれない。
「可愛過ぎだって。その表情、不味いって……」
王様がぼそりと零して片手で顔を覆う。彼も照れたのか、耳が赤い。
「破壊力抜群。友達でも、良い」
カーラットさんは真っ赤な顔で胸をおさえた。これはよくわからない。
「チカ、帰るぞ」
「え?」
ぐっと抱き寄せられたと思ったら、体がドアの方に向いていた。突然どうしたんだろうと、私は慌ててグレアムさんを見上げる。目が合ったグレアムさんはとっても渋い顔で私を見下ろしていて、足を止めると今度は、深い深い溜息を吐いた。
「そんな不安そうな顔をするな。……あいつらと酒を飲むのは、俺も一緒の時だけにして欲しい」
「はい。ですがグレアムさんが不快なら、友達は諦めます」
「いや、良い。友達になってやれ」
「……良いんですか?」
「あんな顔をされたら駄目とは言えん」
ふっと表情を緩め、グレアムさんは私の頬を右手で撫でた。そのまま身を屈めて額と目元に優しい口付けをくれる。
「閉じ込めておく事は良くないが……閉じ込めて、誰の目にも触れさせたくなかった」
柔らかく笑って私の耳を擽ってから、グレアムさんはすっと顔を上げ目を細めた。瞳に宿る光が、冷たい。
「わかっているだろうな?」
「勿論わかってる。なぁアービング」
「わかってるよ。グレアムの大切な宝物、僕らは愛でるだけ」
「宝物……?」
「チカはわからなくて良い」
三人の会話に首を傾げた私の髪を梳き、グレアムさんは気にするなと微笑む。彼がそう言うのなら私には関係のない事なのだろう。
初めて出来た友人との酒盛りはふわふわとした高揚感に包まれて、会話を聞いているだけでも楽しい時間となった。