二十一. 柔らかな檻15
みっともなく泣いて私は疲れた。足元が芝生だったから寝転がってみる。
「……カーラットさん、私にはティグルがいるのでどうぞ仕事に戻って下さい。ご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
人に見せられる顔ではなくなってしまった為、両腕で顔を覆って告げる。まだ鼻はぐずぐず鳴っていて、目も溶けてしまいそうに熱い。
カサリと音がしたと思ったら近くに人が座った気配がした。腕の隙間から覗いてみるとカーラットさんだった。
「泣いた女を置いては行けねぇな」
「あなた、良い人ですね」
「良い男と言え」
思わず笑ってしまった。
「なんだかとても疲れました。眠い……」
「こんな所で寝るな。襲われるぞ」
「ティグルがいます」
「そういやそうだった」
泣いた所為で頭が重い。ぼーっとして、なんだか全てが億劫だ。心が久しぶりにずしりと重い。他人と関わるといつも私はこうなってしまう。
重たい溜息が漏れた。
「……大丈夫か?」
「慣れてます。寝れば、治るんです」
「どういう状況だ?」
「心が重くて、怠くて、溜息が溢れます。……移りますよ」
「移して治るなら、移ってやるよ」
「……良い男、と言ってやらない事もないです」
「ありがとよ」
小さく笑って、私は重たい体を起こした。私がいつまでもこうしていたら、優しくて世話焼きのこの人は仕事に戻れない。
「部屋に帰って、眠ります」
「おぅ。そうしろ」
立ち上がると、カーラットさんも立ち上がる。どうやら部屋まで送ってくれるみたいだ。
「この世界は、私にとってはとても良い世界です。優しい人達に会えて、落ちて来たのは幸運でした」
「……そうかよ」
「はい。カーラットさんも、ありがとうございます」
返事の代わりに頭を乱暴に撫でられた。この世界に来てから頭を撫でられる事が増えた。向こうでは誰も、私にそんな事はしなかった。子供の時は手が頭の上に来るのは殴られる時。嫌な思い出が湧いて来そうになって、私は慌てて違う事を考えようとする。でも何にも、思い浮かばない。
「お嬢さん。グレアム、呼ぶか?」
「……いえ、お仕事の邪魔はいけません。慣れているので、一人で平気です」
無理矢理笑う。だけど何故か、それを見たカーラットさんが顔を顰める。そうだ、この人にこれは、通用しないんだった。
「本当に大丈夫。向こうにいた時の方が酷かったんです」
眠ろう。夢も見ず。
頭がずんと重いのは泣いた所為。
心がずしりと苦しいのも、泣いた所為。
「噛むなよ、ティグル」
突然抱き寄せられて、驚いた。何故かそのまま子供のように抱き上げられる。
「何故?」
「チカ、あんたは馬鹿だな」
「……はい。賢くはないです」
「甘えんの、下手。甘えろ」
「誰にでもは、甘えません」
「俺をグレアムだと思え」
「無理ですよ」
何を言い出すんだこの人は。
下ろして貰えず、カーラットさんは私を抱えたままずんずん進む。
「あんたは一人の方が楽なんだろうけどよ、俺はこんな状態の女を一人には出来ねぇ」
「……それは、困ります」
「困れ。困って泣いて、笑え」
「無茶苦茶な」
ふっと表情が緩んだ私を見て、カーラットさんは満足気に鼻を鳴らした。
「あんたは笑うと、本当に綺麗だ」
「なっ……」
なんだこの人は。なんなんだこの人はっ!
「ゆ、友人とはこういう物なんですか? いなかったのでよくわからないのですが……距離感、近いですよね?」
「んな事ねぇよ。普通普通」
「二度言う事は、大抵嘘です」
あっはっはと豪快に笑って誤魔化された。変な人だ。
「なぁチカ。あんたの好きな物ってなんだ?」
好きな物……今は、パッと頭に浮かぶ事がある。
「薬草。ティグル。グレアムさんです」
「なら良い場所、連れて行ってやる」
「……それは良いですが、降ろして下さい。歩きます」
「嫌だね」
走り出されて、私はしがみ付くしかなくなった。舌を噛まないよう口も噤んだ。
まるで暴れ牛のように走るカーラットさんが私を連れて来たのは、庭の一角。ガラス張りの建物の前だった。
「ここさ、ガキの時のグレアムの避難所。姿が見えねぇなと思うと大抵ここにいるんだ」
その言葉で興味を惹かれた。入っても構わないと言われ、私はそっと戸を開ける。そこは、温室だった。
「……薬草園?」
「そう。ここから採った薬草で、城の奴らが使う薬を作る。他にもあるが、ここが一番端で人も滅多に来ないからグレアムのお気に入りの場所らしい」
「……凄い。見た事のない物もあります」
本を持って来たかった。効能とかを調べながら見た方が勉強になる。
「誰かがきちんと手入れをしているんですね」
「専門の人間がいるんだ。あんたも話すと勉強になるかもな」
夢中で見て回り、頭の中の知識と目の前にある物を照らし合わせる。
「あ、この花。私の化粧水にも使っています」
「へぇ……あぁ、おんなじ匂いだ」
カーラットさんは花の香りを嗅いでから私の首筋の匂いを嗅ぐ。びっくりして、私は慌てて距離を取る。
「あの子が言ってた良い匂いはこれだな」
「……そうかもしれません」
今度、あの子に合わせて化粧水を調合してあげようかな。喜んでくれるだろうか。想像したら、目元が緩む。
「閉じ込めておかねぇと、確かにヤバイ……」
「はい?」
「なんでもねぇよ」
また私の頭を乱暴に撫でて、カーラットさんは立ち上がる。見上げていたら手を掴まれ立たされた。優しいくせに乱暴で、乱暴なくせに優しい人だ。
「気に入ったならグレアムに言っておく。あいつの管轄でもあるから、許可が下りれば採るのも許されるだろ」
「とても魅力的な言葉です」
「素直なのは良い事だ」
明るい笑顔を見上げていたら何故だか唐突に照れ臭くなり、私はまつ毛を伏せる。友人という初めての存在がこそばゆい。胸の辺りがうずうずする。
「……ありがとうございます」
「元気になったか?」
「はい」
作った物ではない自然な笑顔で答えたら、褒めるように優しく頭を撫でられた。私の腕に巻き付いていたティグルにも頬を舐められて、なんだか胸の中が温かくなる。
レアンディールで過ごす日々は、何故か私にとても優しい。