二十. 柔らかな檻14
リリスは同性の話し相手に飢えていたようで、私は若い子特有のマシンガントークに捕まった。彼女の故郷の思い出話から始まり、今はこの国に落ちて来た辺り。きっと、自分の身に起きた出来事を誰かに話したくて仕方なかったのだろう。
「それでね、気付いたらここのお庭にいたんです。なんだか沢山の人に会ったけど何を言ってるかさっぱりで、鏡を見たらこんな痣が出来ていて更にびっくり! あ、この痣って落ち人の証って言って、落ちて来る時に神様が付けるって言われてるんですって。こちらの世界の人間と、迷い込んだ人間の区別を神様が付ける為の物らしいです。私の世界では神様って存在が曖昧でいるのかいないのかよくわからなかったんですけど、この世界ではちゃんといるんですって! 神殿の神官さんは神様とお話し出来て、イグネイシャスもお話した事があるって言ってたの! 本当かなぁ?」
本当だったら私は困る気がする。腹黒神官に神様が告げ口をしたら、私が落ち人だとバレてしまう。
「本当ですよ、聖女様。特別な儀式が必要ですが、貴女の事も神からの宣託によってわかりました」
あ、でも私凡人無力だから神様にとってもどうでも良いのかも。だからきっと大丈夫。
私はにこにこ微笑んでリリスの話を聞く。聞いた感じだと、どうやらリリスがいた世界って私の世界とはまた別の場所みたい。知らなかったけれど、世界ってたくさんあるんだな。もし世界同士が繋がって簡単に行き来が出来るようになったら外交が大変だ。人間ってどうしても愚かだから、人間の所為であちこちの世界が壊されてしまいそう。
「フィオンくんとスウィジンさんは最初からいてくれたの。でも言葉が通じなくて、イグネイシャスも途中から来てくれたんだけど全然だめ。でも最近になって賢者様が来てくれて、ぐらりってしたら言葉がわかるようになったの!」
あれをやられた時、私は死んだと思った。なんだか脳みそがぐちゃぐちゃのぐらぐらになって、すっごい気持ち悪かった。それよりも――
「――リリス」
私は小さく彼女の名を呼んで、指先で彼女の唇に触れてお喋りを止めた。きょとんとした彼女が可愛くて、くすりと笑ってから伝えたい事を言葉にする。
「そんなになんでも全部話したらダメ。もしかしたらあなたの話す事は、私にとってはとっても有益な情報かもしれない」
少し心配になった。だから釘を刺しておく。なんでもかんでも、誰でも簡単に信用しては危ない。特に聖女だとか祭り上げられている今のリリスは危うい存在だと、私は思う。
「チカさんは、賢者様の弟子なんでしょう?」
「そう。だけど肩書きだけで信じてしまうのは危ういと思う。自分でちゃんと見て、敵味方を判断出来るようになれば良いね?」
頭をそっと撫でたら、リリスの瞳が不安げに揺れる。
「怖がらせてごめんね。でも私から見て心配になってしまった。リリスは素直で、良い子過ぎる」
きっと幸せな家庭で育った子なんだ。彼女だから、聖女と呼ばれるような力がある。変な奴に利用されたりしないように、王様は彼女を庇護してる。……逆に、王様側が何かに利用しようとしている可能性もあるけどね。一国の王だしな。しかも腹黒そうなのが二人も側にいる。この子、大丈夫かなぁ。
「チカさん?」
心配になって、思わずリリスを抱き締めてしまった。
私の場合、拾ってくれた相手が良かった。私自身が凡人だから良かった。だけどこの子は違う。特別な子。
「……リリス、可愛い」
そっと髪を撫でてみる。リリスは相手の庇護欲を刺激するタイプだ。腹黒神官と王弟二号は腹黒そうだけど、この可愛いさに当てられてこの子を守ってくれたら良いな。悲しい事に私は無力。
「……チカさん、良い匂いがします」
「そう? 自分ではよくわからないけれど」
森の家を出てから薬草には触れていない。だったらなんの匂いかなって自分の匂いを嗅いでみるけど、よくわからない。
「あったかぁい。眠くなります」
「……お茶の効果かな。寝ても良いよ? 男の人がたくさんいるから、寝ちゃってもベッドに運んでもらえる」
「それは、悪いです」
くすくす笑うリリスの体から、少しずつ力が抜けていく。お茶の効果にしても効き過ぎだ。この子は一体どれだけの間、ぐっすり眠れていなかったんだろう。切なくなって、目頭がジンと熱くなる。リリスの髪をそっと撫でながら、私は彼女の体を温めるように抱き締め続けた。
「…………カーラットさん」
「……寝たか?」
リリスが腕の中で寝息を立てて、少ししてからカーラットさんに声を掛ける。なんとなく、腹黒神官と王弟二号には頼みたくなかった。王弟一号は論外だ。
カーラットさんにリリスを抱き上げてもらい、ベッドに寝かせるのを手伝った。隈の濃い天使の顔を見下ろして、私は柔らかな髪を撫でる。
「……皆さんにお話があります。少し、良いですか?」
天使の眠るベッドから離れた私はにっこり笑い、男どもを先程までリリスとお茶を飲んでいた隣の部屋へと追い立てた。
「神官様、王弟殿下方。あなた方は四六時中リリスにべったりですか?」
微笑んで、穏やかに問い掛ける。
「いえ、イグネイシャスはべったりですが、僕とジン兄様は交代です」
「なるほど。べったりなんですね」
王弟二号の返事に私は頭を抱えたくなる。そっと溜息を吐いてから、伝われば良いなと願いつつ言葉を続けた。
「……年頃の娘が、よく知りもしない男性がいる部屋でぐっすり眠れると思いますか? あの子の隈に気付きませんでしたか? しかもあの子は最近まで言葉も通じず、とっても不安だったと思います。人は言葉が通じなければ、見るんです。あの子は鈍感じゃない。あなた方の険悪な雰囲気に気付き、更に不安だったと思います。それなのにそんな状態でべったり常に張り付くなんて……失礼ですが、あなた方は馬鹿ですか?」
思わず、最後は心から馬鹿にしてしまった。結構な身分の彼ら。私のような身分の低い女に馬鹿にされた経験は無いのだろう。ぽかんとしている。カーラットさんだけが苦笑して私を見ていた。
「私は神殿側の思惑も陛下のお考えも知りません。ですが、何かに利用する為に聖女だなんだと一人の人間を祭り上げるのなら、心のケアをちゃんとしてあげて下さい。落ち人だって同じ人間です。特別な力があったって人間なのですから、ちゃんと人間らしく扱ってあげて下さい」
もうなんだ、すっごい腹が立って来た。なんで私なんかが恵まれた環境に拾われて、あの子は辛い思いをしていたんだろう。逆の場所に落ちていればもしかしたら、私なら放置されるだけで済んだかもしれない。グレアムさんならあの子をちゃんと、人間らしく扱ってくれたかもしれない。
「偉そうな事を言ってすみません。ですがどうか……優しくするだけが優しさじゃないと知って下さい。眠る前には温かなお茶を。そして安心出来る時間をあの子に与えて下さい。……お願いします」
言い逃げしよう。私は彼らの答えを待たず部屋を出た。カーラットさんが追い掛けて来て、私の顔を覗き込んで困った顔で笑う。
「なんでお嬢さん、泣いてんの?」
「わかりません。自分で自分に聞きたいです」
無様に鼻を啜り零れる涙を乱暴に拭おうとしたら、カーラットさんに止められた。グリグリと、もっと乱暴に騎士の制服の袖で顔を拭われる。
「……化粧が落ちました」
「だな。すげぇ顔」
「グレアムさんがいなくて良かったです。見せられません」
「俺なら良いのかよ」
半端に落ちてしまった化粧とカーラットさんの服の汚れを落とす為に水場へ向かう。私は自分の顔を洗ってから、カーラットさんの上着を脱がせて水洗いしてみる。
「素朴な顔もそそられるな」
「バカにしていますか?」
「褒めてんだよ」
汚れは綺麗には落ちなくて、染みになってしまった。
「カーラットさんは、そういえば貴族ですよね?」
「ん? そうだが」
「ならこれ、誰かがちゃんと洗ってくれますか?」
「まぁな」
「そうですか。私、魔法は使えないので乾かせません。水洗いなので染みも残ってしまいました」
「気にすんな。俺は使える」
ふわりと風が起き、びしょびしょだった制服はあっという間に乾いてしまった。
「なんで拗ねてんだよ、お嬢さん」
「別に拗ねてません。魔法、良いなと思っただけです」
「そうかよ」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でられた。折角今日は綺麗にしていたのに台無しだ。なんだかムシャクシャして髪を解く。手櫛で整え、私は溜息を吐いた。
「何故、他人と関わるとこんなに心を掻き乱されるのでしょう」
久しぶりの感情の起伏。なんだかとても、疲れてしまった。
「あんたが優しくて繊細だからじゃねぇの?」
「そんなバカな。私は基本他人などどうでも良いです。……でも、リリスに身を預けられて、腕の中で安心されたらとっても……泣きたくなりました」
温められたのは、私の方かもしれない。
細くて小さな体いっぱいに溜め込まれていた不安。腕の中で震える体を抱き締めて、不思議な感情が湧いた。
「人前で泣くなんて、不覚です……」
「そうかよ。なら目、瞑っててやる」
「涙、止まらないです。困りました」
「おー、鼻水の音が聞こえるわ」
「耳も塞いで下さい」
「へいへい」
なんだか訳のわからない感情の所為で、立っていられなくなるくらいに涙が出た。一体何年分だ。何年この涙は溜まっていたんだ。
泣きながら私は、聖女と祭り上げられ陰謀に巻き込まれかけていそうな女の子が、安心して眠れて安心して笑えるようになれば良いのにと、願った。