十八. 柔らかな檻12
神殿と王族の仁義なき戦いの縮図。なるほどなるほど、仲が悪いのはよくわかりました。
窓辺にいる冷たい美形が神殿の人間だというのはなんとなくわかった。なっがい白金の髪は高い位置で一本に結われていて、瞳は灰色に少しだけ青が混ざっている。服はシャツとトラウザーズに膝下丈のブーツ。なんだかあんまり似合っていないから、普段は「神殿の人」って感じの服を着ているのかもしれない。冷たい美形の第一印象は、腹黒そう。
「イグネイシャスは誰にでもこんな感じなので、気にしないで下さいね」
お茶を出してくれた美青年がにっこり微笑む。こちらは対照的に柔らかな空気を纏っている。むしろふにゃんふにゃんだ。王様が難しい事に関わらずに育ったならこんな感じなんだろうな。王様の弟二号なのかもしれない。
「それにしても……兄上からちらと話は聞いていましたが、グレアムにこんなに美しいお弟子さんがいたなんて。グレアムったら、僕やジン兄様が聞いても何も教えてくれなかったんですよ」
まぁ隠したくなっても仕方がありませんね。なんてとろりと微笑んで私の手を取ってキスをした。あまりに自然な動作で避けられなかった。鳥肌が立った。王様の弟二号は、王様以上の曲者かもしれない。
隣から舌打ちが聞こえて見上げると、横に座っていたグレアムさんがこれ以上ないって程に顔を顰めていた。そして何故か、王弟二号から私の手を奪ったのは無理矢理隣に座って来た王様で、懐から出した綺麗なハンカチで私の手のキスされた場所をゴシゴシと拭き出した。どうした王様。
「チカ、これも僕の弟。フィオン、無闇にそういう事はするな。死ぬぞ」
私の体は毒ですか。
ふにゃふにゃ気障野郎は王様の二番目の弟でフィオン、二十四才。
腹黒神官はイグネイシャス、二十五才。
聖女様はリリス、十八才。
一気に紹介されたけれど名前、覚えられる気がしない。覚える気もないから、まぁいいや。
「ちなみにあっちで拗ねているスウィジンの方がフィオンよりお兄さんなんだよ。二十七にもなって空気は読めないわ口は悪いわ、困っちゃうよね」
ははっと王様が笑って背後を振り返る。長兄にボロクソに言われた王弟一号は、扉の側の椅子にお行儀悪く座ってむすっとしている。カーラットさんがまるで見張るように側に立っているのが気に入らないのかもしれない。
「私と同じ歳なんですね。それであれでは……確かに」
ふふっと笑ってコメントしてみたら、一瞬空気が固まった。
王弟を軽くバカにしたのがまずかっただろうか。でも発した言葉は取り消せないしなぁ、なんて呑気に考えていたら、カーラットさんの素っ頓狂な声が耳に届いた。
「同じ歳? 誰と、誰が?」
「私とそちらの……王弟殿下がです」
名前が出て来なくて言葉を濁し、視線で王弟一号を示した。そしたら今度は握られたままだった手を王様にぐっと掴まれる。
「なんだ、僕達意外と年が近かったんだね! フィオンと同じくらいかなぁなんて思っていたけどチカって落ち着いてるし。なるほどねー。納得」
ちなみに王様が三十一。グレアムさんとカーラットさんは三十だそうだ。三十過ぎてまだ結婚していない王様が心配になる。血筋を絶やさないようにする文化がないのだろうか。
「……アービング。さっきからお前は何をしている」
低くて冷たい、グレアムさんの声。王様の笑顔が固まった。
「ち、チカって手、綺麗だよねぇ。すべすべー」
すべすべなのは、グレアムさんに教わって作ったハンドクリームの賜物だ。水仕事をしていても手が荒れない。確かに私の手は、日本にいた時よりもつやつやのすべすべだと思う。他にも自作の化粧水のお陰か、最近は肌荒れ知らずだ。そんな事よりも王様が何をしたいのかがよくわからない。何か意図があるのだろうか。腹黒神官がさっきから、じっと私達のやり取りを冷たい笑顔のままで観察している。
「あの……チカさん。よろしければ肌のお手入れ方法を教えてもらえませんか?」
おぉっと聖女様が食いついて来た。机越しに身を乗り出して、真剣な瞳を私に向けて来る。距離が近くなって、私は彼女の真剣な理由が理解出来た。額の、髪の生え際部分が少しだけ荒れている。長い髪で隠しているけれど、輪郭にポツンとニキビ発見。
「どうにもこちらの物が肌に合わないんです……」
しょんぼり俯いて、大きな瞳をうるうるさせている。乙女にとっては一大事だ。でも……面倒臭いな。
「肌の手入れと言っても自作の物を使っている程度です。聖女様はまだお若いのですから、環境の変化がストレスとして肌にあらわれているだけではないでしょうか」
「ストレス……そうなんです! ご飯は美味しいし、皆さんとっても良くしてくれるし、お洋服も髪飾りも綺麗な物がたくさん……だけどっ…………う、うぅ~…………」
えー……泣き出されてしまった。面倒くさーい。
腹黒神官と王弟二号が慌てて彼女に駆け寄って手を伸ばすけれど、振り払われた。私の隣ではグレアムさんは相変わらず不機嫌顔で無言。王様は笑顔で、なんとかしろよと視線で私に訴えてくる。そろりと背後を振り向いてみれば王弟一号は我関せずで視線を逸らし、カーラットさんは腕を組んだまま困った振りをしている。大人の男共は泣いた少女に手を差し伸べる気がないらしい。聖女様、哀れ。でも必死に美形二人が肩や背中を摩ったり言葉を掛けたりしているのに激しく拒絶している。
傍観者気取りでいたけれど、王様に肘で突つかれた。私だってこういうの苦手で大嫌いなのに……。
「…………後で覚えてろよ」
立ち上がりざまにぼそりと王様の耳元に唇を寄せて囁いておいた。このくらいの捨て台詞は許して欲しい。
「聖女様」
近付いて呼び掛けたら、困り果てた顔の王弟二号が場所を開けてくれたので私は聖女様の隣に座る。反対側には未だ腹黒神官が張り付いているのを聖女様が煩わしそうに腕で払った。
「おね、おねぃちゃーんっ」
わあっと泣き声を上げた聖女様に抱き付かれた。私はあなたの姉ではありません。とりあえず抱き返して、背中をとんとんとあやしてやる。そうしたら、聖女様の泣き声が静かな物に変わった。
「うっ、こんな……お、おうち、帰りたい、よ…………」
「……あなたのお家は、どんな所なんですか?」
「し、しずかな、町っで……もり、が、あるの」
「そう。私も師匠と森に住んでいました」
「そ、うなん、ですか? どんな?」
「人間は私と師匠だけ。動物達の息遣いがすぐそこにあって、静かなのに色々な音がしました」
「わた、しの森も一緒……」
「そうですか。さぁ、泣いたら喉が渇いたんじゃありませんか? お茶が程よく冷めています」
手を伸ばしてテーブルの上のカップを取り差し出した。彼女は受け取って、喉を鳴らして一息に飲み干す。
私を拾ってくれたのはグレアムさんだったから、すぐに言葉を理解出来るようにしてもらえた。だけど彼女は長い事、言葉が通じない訳の分からない場所で怯えていたのかもしれない。グレアムさんが呼ばれるまで神殿とのゴタゴタや難しい事情の所為で時間が掛かったらしいから、不安な状態が長く続いたんだろうな。流石に、同情する。
「許可がもらえるのなら、私が作った薬草茶をお分けします。リラックス効果があるんですよ。あとは、そうですね……」
私はチラリと部屋の中を見回して、納得した。
「お菓子を控えましょうか。お茶でリラックスして、よく眠って下さい。そうすればきっと、お肌も健康になりますよ」
涙を拭うついでに彼女の目の下の隈を親指で撫でる。眠れていないんだ、可哀想に。
「突然知らない場所に落ちて、言葉も通じなくて不安だったでしょう。側には男性ばかり。しかも不仲なのがなんとなく感じ取れてしまったんじゃないですか?」
目を伏せて、彼女はこくりと頷いた。
聖女様だとか祭り上げるのなら心のケアもちゃんとしてあげて欲しい。なんとなく、目に付く所にいた腹黒神官を睨んでおく。睨み返された。
「みんな、私には優しいんです。でもなんとなく、空気がギスギスしてて……」
怖かったです。ぽつりと零れた彼女の本音。
私はそっと溜息を吐いてから微笑み、彼女の柔らかな髪を撫でる。
「私には、偉い方々の事はよくわかりません。この部屋にいたお二人の事も、初めて会ったのでなんとも言えませんが……私の師匠とアービング陛下は、信じても良い人達だと私は思っています」
だから安心して、と言っておく。
私には王様はとりあえず無害。だけど聖女様にはどうかわからない。わからないけれど彼女には今、何か信じて身を預けられるものが必要な気がしたから私はそう告げた。
「あの……初めて会ったのに、みっともなく泣いてしまって……その…………」
「気にしないで下さい。丁度、溜まりに溜まったものが溢れ出すタイミングだったのでしょう。……私は、あなたのお姉さんに似てでもいるんですか?」
「え? はい、あの……なんというか……」
視線を彷徨わせた聖女様は、私の胸をチラチラ見ている。なるほど、胸が大きかったのかな? そりゃそうだ。こんなに天使のような美人の姉が私と似ている訳がない。
聖女様も落ち着いた所で、私は一度退出する事になった。彼女に言ったお茶を取りに行くのだ。
「それはそうと、挨拶だけでは終わらなかったですね」
部屋を出て少し行った所で、私は王様ににっこり笑い掛ける。
王弟一号は部屋に残った為、今はグレアムさんとカーラットさん、王様と私だけ。
「特に何かは起こりそうにありませんが……あなたは意味を、見つけられそうですか?」
目を細めて問うと、王様が一瞬きょとんとしてから、困ったように笑った。
「……チカが僕の所に落ちて来てくれたら良かったのになぁ」
「何故です?」
「君のこの手、とても触り心地が良いからだよ」
にっこり笑った王様に手を握られた。手フェチか。
「きっと上手く行かなかったと思います」
「なんでさ?」
「お互い、笑顔で全てを覆い隠してしまうからですよ」
掴まれていた手をそっと抜き取り私は微笑む。王様は綺麗な笑みを浮かべて、そうかとだけ呟いた。