十七. 柔らかな檻11
この城の人間は待ち伏せが好きらしい。空の散歩から戻ると今回は数人で私達を待ち構えていた。王様、カーラットさん、それと見知らぬ男性が一人。
「グレアム。お前が女を口説くような事をする奴だとは知らなかったな」
知らない男性が面白がるような口調で告げた。初めて会う人なのに、私はその声に聞き覚えがある。
「馬で空の散歩なんて本命デートコース、カーラットの入れ知恵か? 朴念仁には思い付かんだろう」
私を馬から下ろしてくれながら、グレアムさんの眉間には深い皺が刻まれている。耳が少し赤い。冷えたのかなと思いグレアムさんの耳を両手で包んでみたら、彼はビクリと肩を揺らして私を見た。珍しく目を丸くしている。
「寒かったですか?」
「いや? 何故そう思った?」
「いえ。勘違いなら構いません」
触れた耳は冷たくなかった。むしろ熱い。触り心地が良くて指先ですっと撫でてから、私は手を離した。
「……チカって、人からの好意に対しては鈍い?」
「駆け引きじゃねぇの?」
「えー? 無自覚でしょう」
「無自覚の色気持った鈍感女ってか? 罪作りだな、お嬢さん」
王様とカーラットさんに馬鹿にされている気がする。もし色気なんてものが出ているのなら、それはグレアムさんの所為だ。グレアムさんにはいつもドキドキさせられる。鈍感なのは、人付き合いの経験値が少ないのだから仕方ない。
「……私、鈍感ですか?」
若干傷付いたから、グレアムさんを見上げ確かめてみる。
「さぁ? 俺にはよくわからん。だがお前は、今のままで構わない」
「……あなたがそう言うのなら、気にしません」
頭を撫でてもらえたのが嬉しくて、私は微笑んだ。
「うへぇっ! 何これ、何でこんなん見せ付けられてんの? 面白い物ってこれ? なぁ兄さん、俺なんかつらいっ」
突然、知らない男性が叫んで体をむず痒そうに揺らし出した。叫び声を聞いて思い出す。この前扉の前で怒鳴っていた訪問者だ。グレアムさんが会いたくなさそうにしていた人。
「……兄さん?」
私は呟き、王様と男性をこっそり見比べてみる。男性の髪と瞳はギリリアン人の色。髪型は、色気のある長髪の王様と違って短く爽やか。顔立ちはよく見れば似ているかもしれない。男性もまた、綺麗な顔をしていた。
「チカ、これは僕の弟のスウィジン。スウィジン、彼女がグレアムの弟子のチカだよ」
紹介された為私は頭を下げる。お会い出来て光栄ですとでも言うべきかと考え口を開くも、グレアムさんによって阻止された。
「断ったはずだ、アービング」
私を背に隠し、グレアムさんは不機嫌な声で告げる。
「うん。チカにも断られた。でも挨拶するだけ。彼女も同じ年頃で同性の知り合いが欲しいって嘆いているんだ」
下働き以外、城内には男ばかりだからねと言って王様が肩を竦めたのがグレアムさんの背中越しに見えた。
会うだけで良いと言っていたのが知り合えに進化している。詐欺だと思う。グレアムさんの肩からティグルが音もなく下りて来て、私の腕に体を巻き付けた。柔らかな頭を撫でて、私は黙って成り行きを見守る。見守る先では、王様の弟が嘲るように鼻を鳴らして笑った。
「弟子の女を籠に入れて大切に隠しているという噂は本当だったんだな? グレアム、逃げられるのが怖いのか?」
王様の弟が一気に嫌いになった。偉そうな上に馬鹿にした口調、嫌な感じだ。
「孤高の賢者様が隠したくなるなんてどんな女かと思っていたが……案外普通だな。それとも閨では豹変するのか?」
下品だ。顔が良くてもそれはダメでしょう。
すかさずカーラットさんが右側から蹴り。王様が左側から男性の頭を殴った。王様の弟はカーラットさんに耳を引っ張られながら、少し黙っていろとお説教されている。王様はその隣で深い溜息を吐いた。弟に苦労させられてるのかな? お兄さんって大変ですねと私は心の中で王様に同情した。
「会うだけだ」
諦めたような溜息と共に、グレアムさんが呟いた。体を半分私の方へ向けて視線で確認して来る。私はそれを受け止めて、穏やかな笑みを浮かべて見せた。
「ありがとう」
ほっとしたように礼を告げた王様の先導で、私達は歩き出す。
王様の弟は未だカーラットさんに耳を引っ張られてお仕置きをされ、涙目で痛い痛いと騒いでいた。
*
王様の言う「彼女」っていうのは、私と同じ落ち人の女性。どうやら私が落ちて来たのと同じくらいの時期に彼女もこの城の庭に落ちて来たらしい。彼女は私と違って不思議な力を持っていて、その力の特性から「聖女様」なんて呼ばれているのだと、この前のお酒の席でグレアムさん達が話していたのを聞いた。グレアムさんが呼び戻されたのは、私に使ったのと同じ術を彼女に使って意思の疎通をはかれるようにする為。それ以外にもややこしい事情がありそうだけれど、酒の回った頭ではちゃんとは理解出来なかった。
とりあえず、王様は私を彼女に会わせたい。会わせて、絶対数の少ない落ち人が、同じ時期、近い場所に現れた意味を知りたいのだと言う。……意味なんて、全ての物事にある訳ではないと私は思う。意味がないから、人は意味を探すのだ。意味なんてものは結局は後付け。その人の望みや解釈でどうとでもなる。
カーラットさんからのお仕置きが終わったらしい王様の弟も、むすっとした表情で一緒について来ている。
私が落ち人であるという事は、王様、カーラットさん、グレアムさん以外には知られないようにと言われている。落ち人の証が隠し易い場所にあったのは幸運だったらしい。
城の、私が決して足を踏み入れる事のない場所にある一室。多くの騎士が警護している物々しい場所に私は連れて来られた。聖女様はよっぽどの重要人物らしい。確か、彼女の事は神殿とか呼ばれる宗教組織の予言書に書かれていたんだとか。その所為で、王族とは仲の悪い神殿から派遣された人が常に聖女様の側にいて、ピリピリしているんだって。グレアムさんはそんな事に私を巻き込みたくなかったし、私も好き好んで巻き込まれたくはない。
連れられて入った部屋の中には見目麗しい男性が二人と、天使がいた。
「こんにちは、皆さん。そちらの女性はどなたですか?」
ふわふわ柔らかそうな金の髪。青空を写し取ったようなスカイブルーの瞳。肌は真っ白卵肌。声は高く澄んでいて、正しく天使。私とは百八十度違う、聖女という言葉が似合う女性がそこにいた。
「リリス。こちらはグレアムの弟子のチカ」
王様にやんわりと背を押され、私は前へ進み出る。得意の愛想笑いを浮かべて頭を下げた。
「お目にかかれて光栄で御座います、聖女様」
聖女様の額には、私と同じ落ち人の証がある。私の印が胸の谷間に隠れていてくれて本当に良かった。彼女はそこに印がある事でより神々しさを増しているけれど、私の額にそれがあったら滑稽だ。間抜け過ぎて笑えなくなる。
「賢者様のお弟子さんですか? 噂は聞いていたけれど賢者様は何も教えてくれなくて、誰も何も知らないって言うの。お会いしたかったです」
さぁさぁどうぞ、なんて言いながら聖女様は私の手を取ってソファへと座らせた。彼女は向かいのソファに座ってニコニコしていて、部屋の中に元々いた男性の一人がお茶の支度を始める。なんだか……あの男性にお茶なんて淹れさせてはいけない気がする。彼もきっと王様の血縁者だ。下品な王様の弟よりも王様に似ている。
「お茶なら私がお淹れします」
この中で身分が一番低いのは私。それが当然だと思ったんだけれど、窓辺に座ったまま動こうとしない鋭い瞳の美形に笑顔で睨まれた。
「何処の馬の骨とも知れない女が淹れた茶など、聖女様には飲ませられません。座っていて下さい」
では、お言葉に甘えてじっとしていましょう。