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愛を求め鳥は泣く  作者: よろず
本編
15/50

十五. 柔らかな檻9

 恒例になりつつあるグレアムさんの駄々っ子を宥めて見送って、再開した掃除は日暮れ過ぎに終わった。

 体の汚れを落としてから、リラックス効果のあるお茶を淹れてソファに座る。一人だと食事をとる気にならないから、空腹はお茶で誤魔化す事にした。膝に乗せたティグルの柔らかな毛を撫でながら本を読んでいると、時間を忘れる事が出来る。

 この部屋は、あまりにも静かだ。結界で外の音まで遮断されているのではないかと疑ってしまう程に、何も聞こえない。まるで、東京の自分の部屋に戻ってしまったようで不安になる。

 元々寝付きが悪く眠りも浅かったから、静かな場所にある家を選んだ。通りを通る人の声も気になるから、家賃が高くとも壁がしっかりしていて上の階にある部屋を選んだ。趣味なんてなかったから、家賃が高くとも自分の稼ぎで問題無く賄えていた。

 私が消えて、家族はどう思っただろう。面倒だと思われただろうな。でもきっと、喜ばれた。仕事は、最初は迷惑だと思われただろうけれど私がいなくて困る事なんてない。誰でも出来る仕事。代わりはいくらでも見つかる、そんな仕事。私が消えて困る人なんていなかった。むしろ、使い道もなく私が貯めていたお金が舞い込むから、家族には幸運だったかもしれない。

 実家には長い事帰っていない。あの場所は、より暗い記憶を呼び起こす。

 怒鳴り声。

 物の壊れる音。

 殴られた時の痺れるような痛み。

 同じ言語を話すはずなのに、言葉の通じない人間がいる事を、私はあの家で学んだ。


『可愛げの無い娘だ』『その目をやめろ』『余計な事ばかり話すその口、なんて憎たらしい』『誰のお陰で生きていると思ってる』『お前なんか生まれて来なければ良かったのに』『この疫病神!』


 静かだと、声が聞こえるの。

 もうやめて。

 わかってる。

 私に価値が無い事は、私が一番よくわかっているから。


「……チカ。チカ!」


 大嫌いな私の名前を、大好きな甘く低い声が呼ぶ。

 揺すられて目を開けるとグレアムさんが心配そうな表情で私を見ていた。ティグルも、私の頬に頭をすり寄せ不安そうに鳴いている。


「……おかえりなさい。眠ってしまいました」

「うなされていた。大丈夫か?」


 体を起こそうとした私の背を大きな手が支えてくれた。そっと額や頬を撫でられて、心地がよくて目を瞑る。


「嫌な夢を、見ていました。起こして下さって助かりました」

「体が冷えている」


 抱き寄せられて温もりに包まれたら、自分の体が酷く冷えていた事に気が付いた。心も凍えてしまいそう。


「…………グレアムさん……我儘が叶うなら、あなたに抱き締められて、眠りたいです」

「お前の我儘ならなんでも叶える。先にベッドへ入っていろ」

「はい……」


 浴室へ向かう彼の背を見送って、私は膝を抱えて丸くなる。脇の隙間からティグルが潜り込んで来て、慰めるように頬を舐めてくれた。


「心配かけてごめんね。ありがとう、ティグル」

「キュゥ~」


 返事をしたティグルの頭を撫でて私は微笑む。柔らかなティグルの体を抱き、立てた膝に顔を伏せた。耳を澄ませて、浴室から聞こえる音を拾う。彼が戻るのを待つ。

 一人は好き。だけど、グレアムさんがいないのは寂しい。

 扉が開いた音でパッと顔を上げて、ティグルを腕に抱いたまま立ち上がる。駆け寄るとグレアムさんが、困ったように笑った。


「お前はいつも、俺を待っているな」

「煩わしいでしょうか……」

「いや、むしろ……嬉しくて困る」


 柔らかな灯りに照らされたグレアムさんの顔は、赤く染まっている。何かを隠すように大きな手で自分の口元を覆って、彼は私から目を逸らす。


「森の中に閉じ込めておくのはお前の為にならないと思った。手放してやるべきだと……だが結局俺は、ここでもお前を閉じ込めている」


 口元を覆っていた手は下ろされ、伏せられたまつ毛が震えている。彼の髪と同じ色のまつ毛は長くて、なんて綺麗。


「閉じ込めて下さい。あなた以外は、いりません」

「俺は何も与えてやれん」

「構いません。お側に置いて下さればそれで結構です」

「……物好きな女だ」

「そうでしょうか?」


 首を傾げて見せたら、グレアムさんが泣きそうな顔で笑った。


「何も、誰も必要ないと思っていたんだがな」


 震える声が落とされたと同時に抱き上げられた。大きなベッドへ下ろされて、寄り添うようにして寝そべったグレアムさんの腕に抱き寄せられる。ティグルを抱いたまま広い胸元へ擦り寄ったら、ティグルが没収されてしまった。視線を上げると、眉間に皺を寄せたグレアムさんが枕元にそっとティグルを下ろす所だった。不機嫌なのに手付きが優しくて、思わず笑みが零れる。私と目が合った彼が浮かべたのは照れた時の変な顔。

 擦り寄るように身を寄せ目を閉じる。グレアムさんの香りと温もりに包まれて、私の体も心ももう、凍えてはいなかった。



 ***



 今朝は騎士の制服姿で、わんこなディードくんが待ち伏せていた。


「あの、賢者様は甘い物はお好きでしょうか?」


 挨拶をしたらピコピコ付いて来て、そんな事を聞いて来る。私からグレアムさんの事を聞き出そうとせず真面目に働いてもらいたい。


「昨日は城下に出たんです。有名な菓子店へ立ち寄ったので、お好きだったら良いなと思って買って来ました。良かったら食べて下さい。……け、賢者様とっ」


 グレアムさんの食の好みについてなんと答えるべきか迷っていたら、真っ赤な顔でまくし立てたディードくんは菓子の袋を勝手に私の持つ籠の中へと放り込んだ。拒否権はくれないらしい。


「お気遣いありがとうございます。休日を楽しめたようで良かったですね」

「はい! ち、因みにチカさんは甘い物はお好きですか?」

「好きという程ではないですが……師匠と共にお茶の時間にでも頂きます」

「はい! 今日もお仕事頑張って下さい!」

「ありがとうございます。ディードさんも」

「は、はい! めちゃくちゃ頑張りますっ」


 これが仕事の時間なら既に彼はサボっているような気もするが、騎士の仕事などわからないからどうでも良いか。しかしお菓子……これは賄賂だったりするんだろうか。なんだか怖い。

 例の如く早足で部屋への道を歩いていると、また別の人物に呼び止められる。朝のこの時間は私を待ち伏せする時間なんだろうか。


「見ぃちゃった。グレアムに言っちゃおうかなぁ」


 何故王様がこんな所にいるんですか。この国の騎士も王様も暇なのだろうか。国の行く末が心配だ。


「何が楽しいのかわかりませんが、陛下が楽しそうで何よりです。私に何かご用でしょうか?」

「……チカってさ、グレアム以外には冷たくない?」

「えぇ。生まれ持った優しさがとても少ないんです」

「浮かべているのは綺麗な笑顔なのにね」

「失礼ですが、陛下も似たような笑みを浮かべていらっしゃいます」

「まぁね。それでさっきの騎士くんは? 無自覚の色気にあてちゃったの?」

「グレアムさんのファンらしいです」

「へぇー。ふーん。はーん」


 王様、面倒臭い。


「私は雑談には向かない人間です。陛下をご不快にさせては心苦しいので、御用がなければこれで失礼致します」


 頭を下げて立ち去ってしまおうとしたけれど道を阻まれた。どうにも王様相手だと上手く耳障りの良い言葉を吐けないようだ。なぜだろうと一瞬考えて、きっと出会いが悪かった所為だと一人納得する。


「用はあるよ。酒の席で話した件だ」

「……私には、意味は不要です」

「チカにはそうだろうけれど、僕は知りたい。ねぇ、会ってくれるだけで良いんだ。勿論グレアムも一緒で構わない。会って、話して、僕に確かめさせて欲しい」


 真摯にお願いする瞳と口調。酒の席のあれは冗談止まりだった。私に対して、王様自身が持つ魅力や権力を使って来ないのは好感が持てる。


「グレアムさんに断られたから、陛下自ら私のもとへいらしたのでしょう?」


 彼の笑顔は崩れない。だけどなんとなく、当たりだと思う。

 昨夜、グレアムさんの様子が少しおかしかった。私を閉じ込めていると、それは正しくない事だと、酷く気にしていた。それはきっと、王様が交渉手段として突っついたのではないかと私は思うのだ。


「主が否と言う事柄は私にとっても否です。私の望みは狭い世界で完結する事。他人とかかずらう事は、私にとっては苦痛以外の何物でもありません」

「……似た者同士なんだね」


 王様が、苦く、とても苦く笑った。


「だけどごめん。僕には権力という物がある。君の意志に関係無く、僕は君を従わせる力を持っているんだよ」


 綺麗な笑顔。なのに何処か憂いを帯びている。だから私は、安心して微笑んだ。


「あなたがその力を無意味に振りかざすような人ならば、グレアムさんがあんなに優しい柔らかな表情で出来た人間だと、あなたを語る事はないと思います」


 王様の笑みが一瞬崩れた。

 私は微笑んだまま、王様の目を真っ直ぐ見つめて言葉を続ける。


「私はグレアムさんの言葉ならどんなに嫌な事でも従います。あなたがグレアムさんの心を動かせたなら、その時は私も、お望みを叶えましょう」


 言いたい事は言った。だけど自分の望みばかりが通るとも思っていない。きっとグレアムさんは、王様を好き。大事なお友達。だから彼は、王様の望みを叶えるのだと思う。

 私にとって王様はどうでも良い人だから、私が動くのならばそれは、グレアムさんの為でありたい。とても小さなくだらない拘りを他人は笑うかもしれない。だけどこれは、私が私である為の我儘。

 頭を下げて立ち去る私を、今度は王様は止めなかった。少し進んだ所にはカーラットさんが腕を組んで立っていて、苦い笑みを浮かべている。


「なぁ、もしあんたを拾ったのが俺やアービングだったとしたら、そんな風に想ってもらえたのか?」

「……起こらなかった可能性ついて私にはわかりません。あなたはどんな言葉が欲しいんですか?」

「あー……わっかんね」

「想像するだけ、無駄ですよ」


 会釈をして、私は今度こそ立ち去った。

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