十三. 柔らかな檻7
お風呂に入って酒は少し抜けたけれど、グレアムさんが来る前から私は大分飲んでいた。
私の入れない話を頭の片隅で聞きながら、グレアムさんの膝の上でひっそりカーラットさんオススメの酒を飲み続け久しぶりの酒を堪能する。まろやかな苦味、鼻に抜ける芳醇な香り。甘い酒よりもこういう方が私には飲み易い。会社の飲み会でも、私は気配を消して飲み食いに徹する事が得意だった。
「チカ、飲み過ぎだ」
手酌で飲んでいたら気付かれて、グレアムさんに止められてしまった。酒を知ったばかりの可愛らしい女の子じゃないのだから大丈夫なのに。
「自分の限界は分かっています」
よく私は、「佐々木さん顔色変わらないねぇ」と上司に言われていた。呂律や足取りが怪しくなる事もないし、飲み会の後はいつも自分の足で帰っていた。記憶が飛んだり変な場所で吐いたりなどの醜態を晒した事もない。さっきまでは酔えなかったけれど、今は気が抜けているから程良く気持ちが良いくらい。
「お嬢さん。それ強いからもうやめておけって」
「チカ、結構飲んでるよね」
カーラットさんと王様にまで止められてしまった。なんだい、さっきまでは放っておいてくれたのに。また存在を忘れてくれて構わないんだよ。
「今日は疲れました。もう少し、酔いたいです」
灰色の瞳を見上げながら、酒が注げないように私のグラスの淵を覆っているグレアムさんの手の甲を指先で撫でてみる。そのまま指を絡めたら、簡単に手はどかせた。ゴクリという喉の鳴る音が聞こえて首を傾げる。私じゃないけれど、まぁいいや。
お酒を注ごうとしたのに、今度は瓶が見当たらない。
「……カーラットさん。もう少しだけです」
酒瓶を私の届かない所に置いてしまったカーラットさんにとろり微笑む。目が合ったカーラットさんは、とっても渋い顔をした。
「お嬢さん、それを色仕掛けって言うんだ」
「あら、無い色気を感じて頂けたのなら光栄です」
くすりと笑ってグラスを差し出すけれど、私の望みは叶えて貰えない。気付けば右手はグレアムさんの手と繋がったまま。左手もグレアムさんに拘束されてしまう。更にグラスが王様に奪われた。
「……チカ、君って何歳?」
何故年齢の話になるんだろう。言ったらお酒をくれるのかな。
「そうですね……もう一杯頂けたらお教えします」
「ダメだ。帰るぞ」
ぐっと目線が高くなって、私は咄嗟に目の前の体に縋り付く。見上げたグレアムさんの眉間には深い皺が刻まれている。やっと帰れるんだとわかり、私は微笑みを浮かべて彼の肩に頬を擦り寄せた。
「陛下、カーラットさん。美味しいお酒をご馳走様でした。もし次回があるのなら、もう少し穏便にお招き下さい」
少なくとも、暗がりからにゅっと現れるのは勘弁してもらいたい。まぁ次回は無い方が有り難いけれど。
「無自覚の色気……ヤバイな」
「これはグレアムが骨抜きになっても仕方ないね」
カーラットさんと王様の会話が聞こえたけれど、酒の回った頭では上手く理解が出来なかった。
***
グレアムさんがワープした夢を見た。ふわふわ浮く感じが、なんだかとっても楽しかった。夢から意識が浮上して、だけどまだ頭がぼんやりする。鼻から大きく息を吸えば、嗅ぎ慣れた薬草の香り。森の家の香り。とっても幸せな気分になって、もう少しだけ眠っていたくなった。
「……チカ。起きたのか?」
掠れた低音が頭の上から聞こえ、私はぱっちり目を開けた。目の前には見慣れた寝間着に包まれた男性の胸、鎖骨、喉仏。見上げた先には、何処か疲れた様子のグレアムさんの顔がある。
「…………おはようございます」
「おはよう。よく眠っていたな」
「お陰様でよく眠れました。グレアムさんは……?」
「……眠れる訳がない」
非難する視線と口調に、私は何も言えなくなる。
昨夜の記憶はばっちりある。グレアムさんがワープしたのは夢じゃない。はしゃいだ私に魔法だと教えてくれた。何故今まで見せてくれなかったのだと拗ねてみたら、疲れるからあまり使わないんだと言っていた。横抱きのままで移動してグレアムさんのベッドへ寝かされ、待ってますと言ったのにグレアムさんが風呂から出て来るのを待てずに私は眠ってしまったんだ。
「私がいた所為で狭かったですか? 寝づらかったですよね。すみません」
慌てて起き上がろうとしたけれど、阻止された。
「酔って無駄に色気を振り撒いて、先に眠ったくせに手足を絡ませて来て……眠れる訳がないだろう」
色気……色気といえば、今グレアムさんから漂って来ています。寝不足で気怠げな様が大人の色気ばっちりです。
「睡眠の邪魔をしては可哀想だと我慢していたんだ。だがそのお陰で、俺は一晩中眠れなくなった」
「あの……それなら退きますから、ゆっくりお休み下さい。眠れるよう、お茶でもお淹れしましょうか?」
「いらん。俺に眠って貰いたいなら、手伝え」
「何を手伝えば」
言葉の途中で口を塞がれた。覆い被さられて、焦ったような深い口付けをされる。性急な手付きに体の熱を煽られ理解した。理解したけれど、今は受け入れられません!
「嫌です!」
拒否の言葉を吐くと、私の首に舌を這わせていた動きがぴたりと止まった。
「グレアムさんとこういう事をするのが嫌な訳ではないです。でも、今は嫌です」
「……何故だ?」
「時間がありません」
「時間はある」
「ないです。食事を作れなくなります。食材を取りに行き、あなたの食事の支度をするのが私の仕事です」
「…………真面目過ぎる」
ごろりと私の上から退いて、グレアムさんは拗ねてしまった。申し訳ないけれどそこは譲れない。与えられた仕事はきちんとこなしたい。
「放っておくと食事をとってくれないじゃないですか。食べて来ると言っている夜も、何も召し上がっていないんでしょう?」
彼の無言は図星だ。指通りの良い白金の髪をサラリと撫でて、私は微笑む。
「眠って待っていて下さい。私はいつでも、あなたのお側にいます」
「……昨夜は攫われたじゃないか」
「そういえばそうでした」
彼の体に毛布を掛け直し、耳元にキスをする。
ベッドから抜け出して支度部屋へ入り、身支度を整える為にネグリジェを脱ぐ。あらわになった自分の肌を目にした私は悲鳴を上げそうになった。一瞬湿疹かと思ったけど違う。点々と肌に散ったこの赤は……あれだ。犯人はベッドの上。こんな事を寝ている人間にしているから、自分が眠れなくなるんだ。グレアムさんのおバカ。ムッツリスケベ。胸元を中心に首や腹にまである。酔っていた所為か全然気付かなかった。襟元の詰まった服が多くて助かったなと思いながら物色して、胸元の開いた服が少ないのはこの為だろうかと疑ってしまう。…………まさかな。森の家ではキスはされていたけれど、カーラットさんが来るあの夜まではそういう大人な雰囲気にはならなかった。
昨日と似たような服を探し出し身に纏い、化粧を施して髪は邪魔にならないよう一本の編み込みにする。支度部屋を出てグレアムさんが寝入った事を確認してから、ティグルと一緒に私は部屋を出た。