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愛を求め鳥は泣く  作者: よろず
本編
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一. 落ち人

 小学生の頃嫌いだったのは、今までで一番楽しかった事を発表して下さいとかいう自慢大会。程々に楽しい事はあったのかもしれない。でも一番なんてない。だって、みんなが発表するのはキラキラした思い出話。私にはそれが、思い付かなかった。

 羨ましくなる。悲しくなる。悔しくなる。

 だから大嫌いだった。今思えば、まだそんなに人生経験のない子供。思い出なんて多くなくて当然だ。だけど当時の私には、この上ない苦痛と不安をもたらすものだった。

 他にも私は、好きなものは何? っていう質問も嫌い。嫌いなものはたくさん思い付く。だけど好きなものなんてすぐには思い付かない。

 私は、好きなものをたくさん挙げられる人が羨ましくて、嫌い。



 毎朝ホームで電車を待ちながら思うのは、あと二歩足を進めれば死ねるかなって事。

 でも結局進めない。

 進んでしまえば終われるのに、私は進めない。

 だって進んでしまったら、私の貯金では賄えない程の賠償金が残された家族に降りかかるのかも。だから朝のホームでの二歩は、進めない。

 ぎゅうぎゅうの満員電車。

 ホームに吐き出される人々。

 それに混じる私。

 一点を見つめて歩く。

 会社に吸い込まれる。

 仕事をする。

 息が詰まる。

 大人になったから人付き合いは上手くなった。愛想笑いだとバレない笑顔も得意になった。上手く付き合えば攻撃されない。嫌な思いをしない。

 自分を守る為、不本意な事ばかりが上手くなる。


 息が詰まる。息が詰まる。虚しくなる。


 仕事終わりはたまに飲みに誘われる。それもお付き合い。でも今日はない。帰りの駅のホームで考えるのは夕飯の事。作る、のはだるい。一人分、自分の為に作っても楽しくない。美味しくない。面倒臭い。だけどコンビニの弁当は味気ない。でもお腹は空いた。

 考えながら、結局いつもスーパーのお惣菜と発泡酒、缶チューハイを買って帰る。

 暗い部屋の鍵を開けて、すぐにシャワーを浴びる。外での憂鬱を熱いシャワーで洗い流す。

 風呂上がりは発泡酒。二人がけのソファに一人で座ってテレビを付ける。

 観たいものはいつも見つからない。

 カチャカチャチャンネルを変えながらお惣菜をつつく。作業みたいに食事を終えて、買い置きのスナック菓子を開ける。酒を飲む。

 テレビは観てないけど付けている。

 酔えば眠くなる。

 テレビを消して、歯を磨いてベッドに潜り込む。眠りは浅い。何度も寝返りを打つ。

 溜息ばかりが出る。

 もうどのくらい、ぐっすり眠れていないのだろう。睡眠導入剤は、市販のものは試した。だけど薬はダメだ。次の日怠くて起きられなくなる。

 病院は、嫌。医者が嫌い。眠れない。誰か助けて。


 誰かって、誰だよ。


 やっと眠れた頃には起きる時間。

 重たい頭を覚醒させる為にブラックコーヒーを飲む。

 身支度を整えて、家を出る。

 ホームでまた"二歩"について考える。

 二歩を進めず、すし詰め状態の電車へと押し込まれる。

 揺れて、揺れて、流れに身を任せて。

 会社の最寄り駅で電車から吐き出された私は、落ちた――――




 ***




 風が心地よかった。

 草の香りがした。

 日差しが柔らかで暖かくて、眠い。

 なんだ、私は死んだのか。死因は寝不足? そんなバカな。

 自問自答してから目を開けてみた。

 目の前には草がある。会社の側でも、家の近所でも見たことがない草が生えている。

 体を起こして周りを見回す。

 森だ。私の背後には見上げる程大きな大きな木。


「なんだこれ。めんどくさ」


 状況が理解出来ないので、寝ることにした。

 草のベッドでふわふわした眠りに包まれていたら、何者かに顔を舐められた。昔実家にいた犬を思い出す。ということは動物だろう。面倒だけれど薄っすら目を開けてみたら、白くて細長い蛇みたいな、つぶらな赤い瞳のモフモフした生き物がいた。

 なんだ可愛いな。

 手を伸ばして撫でてみたら擦り寄られた。

 ふわふわの毛が可愛くて癒される。そのまま抱き寄せてまた眠ろうとしたら、今度は人間の手に頬を叩かれた。

 大きな手だ。感触的に男。

 反応するのが面倒で、無視をしていたら話し掛けられた。でも何を言っているのかわからない。英語でも中国語でも韓国語でもない。聞いた事のない国の言葉。

 あぁでも、掠れた低い声がセクシーで心地いい。

 男があまりにしつこく揺すって話し掛けて来るものだから、私は渋々目を開けた。

 目の前には男前の顔。年齢は私より少し上くらいだろうか。でも外国の方みたいだからどうだろうか。

 瞳が灰色だ。髪も白っぽい金髪。ロシア人? あれこの人、服装が妙だ。洗いざらしのシャツにスラックス、その上に丈の長いガウンを羽織ってる。そして腰に、綺麗な装飾の施された長剣。

 私の職場は新宿。なんだろう、何かのイベントか?


「ご親切に感謝します。ですがとても眠いだけなので、大丈夫です」


 眉間に皺を寄せて私の顔を覗き込む男前に、とりあえず礼を告げる。日本語では通じないかもしれないから、英語でも同じ事を言っておく。きっと英語なら通じるだろうと思って、私はまた目を閉じる。

 男前が舌打ちをした。

 大きな手が、私の腕の中からモフモフ白蛇を奪おうとする。嫌だ、この子は私のだ。きゅうっと抱き込んだら、モフモフ白蛇がキュウッと鳴いて擦り寄って来た。可愛い過ぎる。

 今度は男が大きな溜息。

 もしかしたらモフモフ白蛇ちゃんは彼の小道具なのかもしれない。それなら名残惜しいけれど返さなくては。

 男がまた何かを言っている。

 腕を緩めたけれどモフモフ白蛇は私に擦り寄ったまま。

 もう一度目を開けて男を見上げてみたら、大きな掌が額に当てられた。同時に、頭がぐらぐら揺れて目を開けていられなくなる。

 意識が遠退く。

 あぁ、こりゃマズイ。私死んだ。


 *


 意識が浮上した。

 どうやら私は生きている。残念だ。

 目を閉じたまま息を大きく吸い込むと、不思議な香り。良い匂い。私はベッドの中みたい。だけど自分自身の嗅ぎ慣れた匂いじゃなくて、知らない男の匂いが寝具に染み付いてる。

 目を開けてみればそこは病院でもない。山小屋みたいな木造の建物の一室。窓の外に見えるのは、木。木がいっぱい。


「目が覚めたか?」


 なんだか聞き覚えがある声に目を向ければ、モフモフ白蛇を肩に乗せたロシア人(仮)の男前がいた。


「……すみません。状況が飲み込めません」


 彼が親切に助けてくれたというのなら、私は病院にいるはずだ。だけどここは病院ではない。拉致疑惑が頭に浮かぶ。


「説明してやるがその前に、具合はどうだ?」


 男前が歩み寄って来る。彼は背が高い。


「よく眠ったのか、久しぶりに頭がすっきりしています。どこも痛い場所はありません」


 これまでずっと重たかった体が軽い。寝不足の所為でぼんやりしていた頭もスッキリしている。なんだか久しぶりに体調がすこぶる良い。

 私の返事を聞いた男はベッドの端にギシリと腰掛けて、私の額や首筋に触れた。なんだ、彼は医者か?


「言葉は通じるな?」

「はい。何故だかあなたの言葉が理解出来ます」


 彼の薄い唇が紡ぐ言葉は日本語じゃない。私の口から飛び出しているのも知らない言語。不思議な事が起こっている。


「服を脱げ」

「………嫌です」


 このぷにぷにたるみきった体を見てどうしようと言うのか。医者ならば医者だと名乗れ。


「妙な想像をするな。(いん)を確認するだけだ」

「いん?」


 よくわからない。けどそれを確認しないといけないらしい。私は真っ直ぐ見つめて来る男に背を向けて、ブラウスのボタンを二つ外して中を覗き込む。


「あれ?」


 見覚えのない、痣のようなタトゥーのような物が左胸の谷間に出現している。なんだこれ、宇宙人に誘拐でもされたか?


「見せろ」

「……なんとも見せ辛い場所にあります」


 初めて会った男に見せられる場所ではない。


「青紫の、丸い、蔦のような模様があります。これの事ですか?」


 左手の親指と人差し指で十円玉大の円を作って男に見せると、男が頷いた。


「それだ。落ち人の(あかし)

「落ち人?」


 男の話によると私は、地球ではない別の世界に落ちて来てしまったらしい。世界の歪みにすっぽり嵌ってうっかり落ちたおマヌケさん。こちらの世界にはたまぁにそういうおマヌケさんが落ちて来て、帰る方法はないんだって。一方的に落ちて来るだけみたい。

 男の話を聞いて私は思った。もしかしたらこれは、神隠しと呼ばれる現象なのではないかと。神隠しは子供に起こるものかと思っていたが、大人にも起こるものなのだな。特にむこうに惜しいものはない。だけど知らない世界に迷い込んだ私はどうなってしまうのだろうと、不安な気持ちで目の前の男を見つめた。

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