7.そろそろ覚悟を決めようか
フリーマールを出てから、10年が過ぎた。
毎年、夏になると私はエトガルの墓を訪れている。
こちらでの魂に対する考え方や死生感は未だによくわからない。
だからなんとなく日本にいたときの感覚で……お盆の時期になると、彼の墓前を訪れる。ここにエトガルが戻ってきている気がするのは、たぶん、私が日本人だからだろう。
今の私の格好は、背中に身長ほどの長さがある細身の大剣を背負い、パッと見には魔法なんてまったく使えそうにない戦士というものだ。相変わらず短髪で男装をしているため、鎧姿ではますます女に見えなくなっている。剣の扱いにもずいぶん慣れたし、生き物を斬ることへの抵抗もなくなった。
……躊躇していたら大切なものを失くしてしまうということは、あの時十分すぎるくらいに思い知った。
シーアに教えてもらった片手剣の使い方はどうもあまり馴染まなくて、結局、たまたま見つけた少し湾曲した細身の大剣を手に入れて、それを私の武器にした。両手で持つほうがしっくり来るのは、やはり私は剣道をやっていたということなのだろうか。
魔法もこの10年でだいぶ使えるようになったけれど、エトガルに教えられたのは魔法使いの魔法であったため、剣を振るいながら使うのは難しかった。
魔法剣士の使う魔法は戦いながら使えるものに特化していて、魔法使いの魔法とは少し体系が違うのだと後から知り、頭の中で描いていた「華麗に魔法を唱えつつ剣を振るうデキる戦士」という夢が破れて少しだけがっかりしたと、いつだかの夏にエトガルへ報告した。
「あとね、エトガル。私はどうも歳を取らないみたいなんだ」
以前よりもすっきりサマになるようになった鎧姿で、私はエトガルの墓前で笑う。
そう、10年が過ぎて私の実年齢は35になっているはずだが、まったく身体が衰えた気がしない。30を過ぎたあたりで何かおかしいなとは思った。いくらここでは童顔に見えるといっても、30過ぎたら皺だって増えるはずだし、いかに鍛えているとはいえ身体能力も落ち始めるはずだ
「エトガルがいたら、いろいろ教えてもらえるのにね。この世界の人間の寿命と老化速度は、私がいたところとほとんど変わらないはずなのに、どうしてだろう。
私が妖精の血を引いてるなんてことも、ありえないのにね」
……私が歳を取らないのは、たぶん“来訪者”だからだろう。
どんな理屈でそうなるのかは知らないけれど、理由はそれくらいしか思い当たらない。
私を“来訪者”だと知っているのは、今となってはシーアと……あと、どこに消えたのかわからない召喚主だけだ。他の人間は、私が“余所者”を示す“アウス”を名乗ると、この国ではない遠方から来たのだろうと勝手に考える。この国の人間らしくない、一重の平坦な顔立ちに黒髪黒目という容姿で勝手にそう思うのだ。私も敢えて訂正しない。“来訪者”だと知られることが、いったいどんな事態を招くのかわからないからだ。
ここを出て傭兵の仕事をするようになってから、何人かの魔法使いとも知り合った。
けれど、召喚魔法というのはどうやら非常にコスパが悪く面倒くさい魔法であるためか、それを売りにしている魔法使いと出会うことはほぼなくて、“来訪者”について調べることも頓挫したままとなっている。
かといって、皇都エルスターにある魔法学院へ行くことも憚られた。自分がどんな扱いを受けることになるのかわからないからだ。
それでもこの10年、わからないことをどうにか解消しようと頑張ったのだが……。
「ちょっと最近、調べるにしても八方塞がりになりつつあるんだ。どうしたらいいかな、エトガル。やっぱり何か思い切ったことをしなきゃだめかなあ」
エトガルの墓前で溜息を吐きながら、私はこれからどうしたものかと考える。
リスクを承知で信用できそうな魔法使いを探し、自分の事情を明かすか……いっそいろいろごまかして魔法学院へ入学して魔法についてがっつり学ぶか、そのくらいしか浮かばない。
どちらにしても、もう少し召喚や来訪者に対する一般的な反応を調べてからだろう。
「じゃあエトガル、行くよ。また相談に乗ってね」
私は立ち上がり、フリーマールのエトガルの家に向かった。
年に1回、エトガルの墓前を訪ねるついでに、彼の家にも寄って中の掃除をしている。
窓を開け放ち、1年分の埃を払い、痛んだ箇所を修繕するのだ。
保存の魔法が使えるようになったおかげで、ここ数年は痛みを最小限に抑えられるようになったけれど、その前はかなりひどかった。どうしても害虫は湧くし埃も入るし床板も腐るし、人の住まない家は本気で痛みが早いのだなと実感した。
本当は女将さんやほかの知り合いにも会いたいのだが、閉門間際を待って町に入り、ほとんどずっと家の中で過ごして開門と同時に町を出ることにしている。万が一のことを考えると、やっぱり会うことはできない。
しかしそれでも、家の中を掃除しながら、全部片付いたらここで弟子としてエトガルの跡を継ぎ、魔法を売る生活をしてもいいかもしれないと考える。
本当に不思議なくらい、私の中から元の世界に対する執着はなくなっていて、「日本人の記憶を持っているだけのこの世界の人間」という感覚のほうが強くなっていた。「日本に帰る」というのも、私の中ではすっかりどうでもいいことになっていた。
もう10年もこの世界で生きているからかもしれない。
「シーアは元気かな」
彼の歳がいくつなのかは知らないけれど、そろそろいい歳だろう。下手したら40に届いていてもおかしくない。もしかしたら結婚とかしているかもしれないし、子供だってできている可能性がある。イケメンだったしきっとモテるんだろうな。いつか、また彼にも会えたらいいなと思う。
あの年の冬、彼はまたこの町で冬を越すと言っていたのに、私もエトガルもいなくなってしまってたのだ。悪いことをした。せめて、ちゃんと別れを言えればよかったのに、私は翌年の夏までこの町へ来ることはなく、シーアに会うこともなかったのだ。
……シーアに会うことが怖かったというのもあるけれど。
10年経ったけれど、結局あの2人以上に親しくなれた人はいなかった。親しくなることが怖かった。またあの召喚主が現れて巻き込んでしまったらどうしようと考えると、怖くてしかたなかったのだ。
「怖がってばかりにも、限度があるよね……」
掃除をしながら現状を考えてみるが、やっぱりどう考えても八方塞がりだ。ひとりでできることには、つくづく限界がある。誰か信用できる魔法使いを見つけられればいいのだけれど、この世界で深い付き合いをしている人間なんていないので、どうしたらいいかわからない。
……少し長期の仕事に入って、そこから伝手を作って辿るくらいか。
この10年、護衛の仕事を続けてきて、傭兵としてそれなりの信用は築いているはずだ。組合から変な仕事を紹介されることはないだろう。
今まで短期の仕事ばかりだったけれど、ここを出たら長期の仕事も入れてみよう。長期間一緒に過ごして仕事仲間と信頼関係が結べれば、そこから信用できる魔法使いに伝手ができるかもしれない。
掃除を終えて、エトガルの書庫から今回持ち出す魔術書をどれにするかを吟味する。選んだ本を荷物に加えてから、もう一度保存の魔法を掛け直して、翌朝出立する準備を整えた。
翌朝、開門の鐘の音とともに、町を出た。
長期の仕事を斡旋してもらうなら、やはり皇都エルスターへ行かなければならないだろう。魔法学院があり、高位の魔法使いも大勢いるという皇都エルスター。
なんとなく行くことが憚られてずっと避けてきたけれど、そろそろ潮時だ。いい加減覚悟を決めよう。
「エトガル、うまく行くよう、祈ってて」
町の外に預けていた馬を引き取り、私は皇都エルスターの方角を目指して馬を走らせた。